当時、海外旅行は庶民の手が届くようになったとはいえ、まだまだ高値の花。
若い娘が旅行で行けるようなものではありませんでした。
そんな海外へ、月に何度も行くわけですから、やっぱり恵まれた仕事だったと思います。
クルーに当てがわれたホテルは決して一流ではなかったはずですが、
それでも部屋は日本のホテルのスイートルーム並みの広さで、
大抵Wサイズ位の大きさのベッドが二つあるツインルームでした。
そもそも海外のホテルには、日本のホテルのような狭いシングルルームなんてものが
ないのです。
日本ではまだ旅館が主流でしたから、まず部屋の広さ、そしてベッドの大きさに
驚いたものです。
確かに身体の大きな外国人には、日本のシングルベッドはあまりにも小さい。
シンガポールのホテルは、それこそスイートルームかと思うような
メゾネット式のバカでかい部屋。
「一人で泊まるのがもったいな~い」なんて思っていたら訪問者が・・・
「キャー! ヤモリ~~~」
当時は便数も少なかったので、ヨーロッパでは1週間以上滞在でき、
外泊こそできませんでしたが日帰り観光なら自由でした。
もっとも、あちこち観光したがるのは新人だけでしたけど。
マザーユウキの初フライト、コペンハーゲンでは、パーサーやアシスタントパーサーも
無理やり誘って、観光に連れていってもらいました。
冬のコペンハーゲンの古城は、本当に美しかったです。
有名な『人魚の像』は、海を挟んで見える景色が工場地帯みたいで、
ちょっとがっかりでしたけど。
ジャンボのフィックスメンバーとは、アラスカの氷河、アムステルダムでは
「アンネ・フランクの家」、キューケンホフのチューリップ畑、
ハーグ・スヘベニゲン(スケベニンゲンではありませんよ)の
ミニチュアランド、ベルギー・ブリュッセルの小便小僧など、
ガイドブックに載っているような所も行きました。
でも、一番衝撃的だったのは、当時まだあった『ベルリンの壁』を見に行った時。
壁の向こう、こちらから見える所に、銃を構えた兵士が立っていたのですから。
壁の向こう、すぐそこに見える建物が、まるで海を挟んでいるように遠い。
平和な日本では考えられないことでした。
ベルリンの壁が壊された時は、時の流れと時代の変化をつくづく感じたものです。

ちょうど門のようになっているところから、向こうの建物が見えます。銃を構えた兵士が見えていた写真もあったのですが、何かで使ったのか見当たりませんでした。