相対的な人間の社会では、差別ではなく区別は生まれます。
他の人と比べることでしか自分を特定できないのですから、仕方ありませんね。
男と女も違いますし、国が違えば、政治や経済、宗教も違います。
アメリカに生まれるか、アフリカに生まれるかでは、当然のことながら
まったく違う人生になります。
同じ国に生まれても、その地域によって、気候や風習が違います。
その家庭によって、家族関係や経済的余裕度、抱えている問題も違います。
私は何故、日本に生まれたのか?
何故、この両親の下に生まれたのか?
人生を一回きりと考えたら、世の中不公平だと思いませんか?
有り余る才能を与えられている人がいます。有り余る富を持つ家庭に
生まれる人もいます。
片や、雨露をしのぐ家さえない人がいます。
食べるものがなくて飢え死にする人もいるのですから。
人生が一回きりなら、神様はあまりにも不公平です。
でももし、魂の存在や輪廻転生を信じれば、まったく別の捉え方ができます。
『今回のこの人生』 という考え方です。
これまできっといろいろな国で生まれ、いろいろな環境の下で、
様々な人生を送ってきたのでしょう。
男であったり女であったり、黒人であったり白人であったり、
豊かな家庭であったり貧しい家庭であったり、善人であったり悪人であったり、
もしかしたら、犯罪者だったりもして・・・
そこから学んだこと、気付いたことを魂に記憶しながら
人生という旅を続けているのだと。
そう考えると、今回この環境に、この状況で生まれる、という設定を選んだ理由や
テーマがあり、今回の人生を生きる意味があるのです。
この環境に生まれたことで学び、気付く何かがあるのです。
ところが人生のテーマとその答えはそう簡単にはわかりません。
たぶん気付くのは死ぬ時ではないかと私は思っています。
言い方を変えれば、答えに気付いてしまったら、
肉体を持って生きている理由がなくなるからです。