人生って? 2  -人間の社会- | 「真面目にふざけて、ふざけて真面目に』 真面目なゆうき先生の妄想シリーズ紹介

「真面目にふざけて、ふざけて真面目に』 真面目なゆうき先生の妄想シリーズ紹介

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私の実家は神道です。ですから仏壇ではなく神棚がありました。
神道は「八百万の神」と言うように全ての物に神が宿るという考えで、
言ってみれば自然崇拝。宗教としてはとてもおおらかです。
私自身は特定の宗教を持っていませんし、どんな宗教団体にも属していません。 
仕事に宗教を持ち込むつもりもありません。

けれど、宗教心は大切だと思いますし、魂や生まれ変わり(輪廻転生)を
信じるか信じないかで、人間や人生に対する考え方が根本的に違ってきますよね。 
この人生は一回きりのもので、二度と生まれてくることはないと考えれば、
生きている間に好きなことをしよう、やりたい放題しようという考えもあるでしょう。
行きたい所に行って、おいしいものを食べて、自分の好きなように生きたい。
そう考えても無理はありません。


逆に、魂の存在や輪廻転生を信じるとすれば、人生とは何か?という疑問も
沸いてきます。 
魂とは何で、人間は何のために生まれてきたのか?
何のために生きているのか? 何を目的として生きるのか?
 

人間は何のために生まれてきたのか、何のために生きるのかを考えるためには、
人間の社会がどうなっているのかを見なければなりませんね。

人間の社会は、相対的なものです。
分かりやすく言えば、みんな背丈がバラバラだから、背の高い人や低い人が存在します。 
もしみんなが同じ背丈なら、背の高い人も低い人も存在しません。 
太っている人、痩せている人もしかり。 きれいな人、そうでない人。 
頭のいい人、悪い人。 歌の上手い人、下手な人。 スポーツの得意な人、苦手な人。 
強い人、弱い人。 健康な人、病気の人。
世に中の人みんなが優しければ、優しい人も存在しません。 
悪人がいなければ、善人も存在できないのです。 なんだか禅問答みたいですけれど。

もし、人間がみんなピンポン玉のように、同じ色、同じ形であれば、
自分というものが存在できるのでしょうか?
自分と同じ姿かたちで、同じように考えるクローン人間ばかりの世界を想像すると、
ちょっと気持ち悪いですけど、私という人間を他の人とどう区別できるのでしょう?
自分と言うものの存在意義すらなくなってしまうのではないかしら?

もし、みんなが何もかも同じなら、人間の社会は必要ないでしょうね。 
そうじゃないということに意味があるのでしょう。