投げ込みのチラシを見て、中古住宅購入・リノベーションの相談会に参加した。そこはクレバリーホームの代理店として新築を手がけているが、この度リノベーション部門を開設したので、そのオープン記念とのこと。

話を聞いた内容は大方想像通りだった。

・中古住宅購入→リノベーションの流れの場合、購入時にどのようなリノベーションがいくらでできるか専門家に適切に見積もってもらうことが重要。
・間取りを変える場合、どうしてもコストが嵩むので、費用を抑えるには間取りを変えないほうがよい。
・中古住宅購入+リノベーションでも新築同様にフラット35や銀行の住宅ローンの使用が可能。ただし、購入後のリフォームでは使えないので、購入時に行わなければならない。
・瑕疵担保条項の適用を考えると、購入後3ヶ月以内に目に見えないところのチェックを行うことが望ましい。(シロアリや柱の腐食等を発見するため。)

以上を踏まえて、リノベーション費用を含めたトータル2,000万円以内という希望を伝えた。先方は不動産業者と建築業者を兼ねていて、一貫したサポートが可能とのこと。

なお、新築の場合はということだが、土地購入から入居まで半年~1年程度かかるという。そう考えると、意外に時間はない。2年弱の期間を考えると、これから本当にいい物件を見つけたら本気で購入を検討しなければならない。要チェックや。
ダニエル・ピンクの「フリーエージェント社会の到来」を読み、ここに書いてある内容こそ、自分が手に入れたい生き方だと確信した。

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ピンクによると、米国人労働者の4人に1人、最大で3,300万人は「フリーエージェント」として組織に所属せず働いているという。このなかには正社員になれなかった臨時社員も含まれるが、組織で働くのをよしとせず、自らフリーエージェントになる人は増え続けている。

これまでは生産手段が職場にあり、組織としてそれを使用することで生産を可能にしていた。しかし、今では知的労働はパソコン1台あればできてしまい、通勤時間を割いてまで職場に出勤する必然性は減ってきている。

そもそも、職場に出勤しなければならなくなったのは産業革命後であり、それ以前はずっと職場と家の間に区別はなかった。したがって、職場に出勤する必然性がなくなれば、家が仕事場になることは至って普通のことだ。

フリーエージェントの仕事の基準は、出世やお金ではない。「自由」「自分らしさ」「責任」「自分なりの成功」である。マズローの考え方に基づいても、生理的欲求、安全欲求、社会的欲求の低次の欲求が満たされたら、次に来るのは尊厳欲求、自己実現欲求の高次の欲求である。フリーエージェントの仕事の基準は高次の欲求を満たすものである。

フリーエージェントの一番の問題は、仲間がいないことである。職場にいれば誰かが仕事を持って来て、あーでもない、こーでもないと言い合う同僚がいたが、家で仕事をしていたらそれはない。そこでは「弱い絆」が重要になってくる。Facebookやサークル活動に参加して、顔を広くする必要がある。
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自分は職場に行くことに違和感を感じている。その理由がこの本を読んではっきりした。

一つは、家でやれば3時間で終わりそうな仕事を、通勤時間も合わせて8時間もかけてやることに対する違和感である。これはあまりに非効率である。家でできるものならば家でやってしまいたいし、空いた時間を家族や自分のために使いたい。

もう一つは、自分の生き方の基準との相違である。自分が一番大事にしていることは「自由」だと思っている。もちろん、何でも自分がやりたいようにやるということではなく、一定の制約のもとで自分が一番いいと思うやり方を実行することである。結果責任は負うことになるが、組織にいて誰かに言われてやったことが成功してもあまりうれしくないし、失敗しても責任の所在が曖昧では全く張り合いがない。

独立するに当たって気がかりだった「仲間」についても書いてあった。人間が社会的動物である以上、挫けそうなとき、仕事がうまくいかないときに仲間の存在は重要である。「弱い絆」をより多くするためにも、今から一期一会を大切にしようと思う。そして、なるべく自分の考えていることを人に伝え、仲間の輪を拡げていきたい。

フリーエージェント社会の到来 新装版---組織に雇われない新しい働き方/ダイヤモンド社

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ビューティコンテスト(BC)が終盤を迎えつつある。今回は同様の案件で2回目ということもあり、前回ほど忙しく感じなかった。実際、BCの期間自体は前回より長かったものの、残業時間は月100時間程度、休日出勤も土日どちらかだけに抑えられるなど、数値で見てもさほど忙しくはなかった。

なぜそれができたのだろうか。僕は以下の要因があったからだと考えている。
・日程が事前に把握できたため、準備がしっかりできていたこと(物理的準備)
・何が起こるか分かっていたため、これからするべきことが分かっていたこと(心理的準備)
・プライベートの予定(勉強等)が重ならなかったこと(不測のリスク)

3番目は運が良かったとも言える。しかし、健康管理の面では、妻が朝野菜スープを作ってくれるなど、助けられた場面も多かった。

上の二つは経験とそれに基づく事前の計画が物を言った。するべき事が分かっていれば、人はそれに沿って動くものである。

要は、物理的・心理的な事前準備さえできていれば、破綻を来すほど忙しくなるということはないということだ。そしてこれはBCに限らずどんなプロジェクトにも言える。起業論で学んだControl Controlableの概念に近い。

まさに長距離走と同じである。
「10キロ走るからキロ3分30秒のペースを刻んでいけば、そんなに苦しくなる事はない。」
不測の場合には第2、第3の目標を設定し、そこに向けて立て直すリスク・コントロールをするだけである。

起業するときも、わからないことは多いだろうが、わかることには事前に対応すれば、死ぬ程忙しいなんてことにならないはずだ。
「ぼくたちの洗脳社会」といういかにも怪しげな本の内容がホームページで無料公開されている。中身を読んでみると、無料とは信じられないほどよく調べられていて、考えさせられる内容が並んでいる。

以下は本に書いてある内容と、自分の考えが織り交ぜられたものである。

この本ではパラダイムシフトを主なテーマとして書かれている。つまり、あるときの「常識」が突然変化して、ものの見え方が全く変わってしまうことがあるということだ。それを過去の人間の文明史で説明しているから分かりやすい。

狩猟生活を行っていたとき、人間はその日食べることが重要だった。食べ物を得るために移動を続け、争い、また天に祈った。それが「農業革命」により耕作が始まり、安定した食料を得られるようになると集団が生まれ、その中に階級が生じた。そして狩猟生活には後戻りできなくなってしまった。

中世になると人口が増え、養える人口に限界が来た。そして「足りないものは大事にしなければならない」という価値観が生まれ、今あるもので工面した。階級や職業は固定化され、代々同じ仕事を続けた。今から見たらかわいそうだという意見も出そうだが、当時の人々から見ればそれが当たり前だった。その範疇で幸せを得ようと、人々は宗教に救いを求めた。

やがて「産業革命」が起き、生産性が格段に向上すると、誰でもお金持ちになれるようになった。中世的な階級制度が崩壊し、宗教ではなく科学や論理が支配するようになった。人々は経済が豊かになることで幸せになると信じ、仕事に邁進した。

そして、今起きていることは「情報革命」である。IT技術の進歩により、情報があふれるようになり、SNSを介して世界中の人とコミュニケーションを取れるようになった。人々は経済の成長だけでは幸せになれない事を薄々気づきつつあり、世界中でフラットに共有された情報を介して自らの「幸せ」を追究するようになるのではないか。

パラダイムで重要になるのは「価値観」である。どの時代も、人々は「どうやったら幸せになれるか」という価値観に従って物事を見ている。狩猟生活では明日の食べ物、農耕が始まると秋の収穫が重要になる。中世は宗教を拠り所とし、現代は経済成長をもてはやした。

「嫌われる勇気」で読んだアドラーの考え方にも似ているかもしれない。人々は自分の価値観の中で生きていて、それに基づいて行動することが一番の幸せに繋がる。そこでは、周りからどう見られているかは重要ではない。むしろ、自分の価値観を、共感されなくても理解してもらうことこそが必要なのではないか。

では、自分の価値観とは何だろうか。現在のパラダイムシフトと同様に、自分の幸せももはや経済成長ではない。仕事のためにプライベートを犠牲にしては全く意味がない。起業するにしても会社が大きくなって忙しくなってしまうことは自分の価値観とは相容れない。

強いて言うならば、それなりのお金を稼ぎながらも、家族や友人との時間を大切にして楽しむことが自分の価値感である。お金と時間はトレードオフのテーマとして語られることが多いが、別に両方求めてもいいはずだ。つまり、「時間を確保しつつ、お金を稼ぐ(=効率的に儲ける)」ことが自分の価値観である。

それを達成するために、今はひたすら自分を磨いているのである。

ぼくたちの洗脳社会 (朝日文庫)/朝日新聞社

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いわゆるビューティーコンテストなるものに巻き込まれていて、佳境を迎えつつある。

日々遅くまで残業し、提案書を少しでも良くしようと部署内・部署間で会議を繰り返している。そこで、人々の行動について思った雑感を書こうと思う。

一つはグループシンクだ。グループシンクとは、集団が物事を判断するとき、多数決の結果としてとても合理的でない判断が行われてしまうことである。

会議では色々な意見が出るが、どこかで集約しなければならない。白黒はっきりする問題ならいいが、明確な物差しがないままどうするか判断しなければならないことがある。そういう場合の落としどころとして行われてしまうのが、偉い人が言ったことをよく考えずに鵜呑みしてしまうか、対極にある主張の中間を取ってしまうことである。

例えば、ある会社の分析を行う時に、偉い人が「ポジティブに」と言ったから、「人口減少」など明らかにネガティブなことも「都市への人口集中がポジティブ」などとありもしない分析を書いてしまったりする。あるいは、エクイティ・ストーリーを作る時に、色んな人が案を出したら、その中のキーワードを全て盛り込もうとして、全くまとまりのない文章になってしまったりする。

なぜこのようなことが起こってしまうのだろうか。僕は、結局のところ一人一人の考える力、あるいは考えに対する執着心が弱いからだと思う。普段上役が言う事をはいはいと聞いていると、適切な判断ができなくなってしまっているのである。

これはチームで仕事をしている以上、ある程度はやむを得ないのかもしれない。そもそもグループシンクの研究は優秀なメンバーが集まっていると思われるNASAを題材に行われている。

しかし、それで諦めていてしまっては自分の存在意義がない。自分はあくまでロジックに執着し、おかしいことにはおかしいと言い続けたいと思う。それで会社で浮いてしまうならある意味本望だし、全く受け入れられないようならこの組織に未来はない。

もう一つは自己愛、言い換えるとナルシズムである。身近に自己愛性パーソナリティ障害と思われる人がいたので、この障害についてはかなり研究したのだが、最近程度の差こそあれ自己愛は誰にでもあるものだと気がついた。

つまり、自分が言い出したこと、作った資料に対して人から何か言われるとムッとするし、抵抗するだろう。誰だって自分が可愛いのである。議論の結論が出たときに、多くの人がこじつけのようでも「最初から自分が言った通りだ」というのも、自己愛に関係していると思う。

これについてはイラッとすることはあれ、本質には関係がない。笑って同意しておけばいい。会社で人の行動を客観的に見ていると案外おもしろい。