なぜ10進数なのか
アメリカなんかの重さの単位とかで、12進数とか言うのもある。
英語自身が12進数のなごりがある。
時間などはなぜか12の倍数になってるものが多い。
これはどうも古くはユダヤ教の、12部族あたりから来てるとしか思えない。
別に10進数で秒だの分だの時だのを表しても良かったんだし、
月にしても10月までにする事も出来たはずだし。
一週間が七日であると言う事すら、ユダヤ教に由来している。
何かそう考えると、そこまでユダヤ教が世界を牛耳っている事が、何だか不気味でそれ自体が
人類に対する「呪い」のように思える。
ファンタジーなんかを考える時、別に現実の日時の表し方を適用する必要はない。
別に週みたいな概念も不要だし、
月にしても12じゃなくて構わない。
変な話全部秒単位ですら問題はない。
ただそんなおかしな時間体系でストーリーを書くとあまりに日常使い慣れた週とか月みたいな感覚から離れてしまうので、
イメージがわきにくい難点はある。
さっきはキリスト教がもしなかったらと考えたが、
ユダヤ教がもしなかったら、キリスト教もイスラム教もなかった。
さぞかし世界の歴史は大きく異なる展開を示したに違いない。
果たしてそれは人類にとって、
あるべき選択肢ではなかったのだろうか。
英語自身が12進数のなごりがある。
時間などはなぜか12の倍数になってるものが多い。
これはどうも古くはユダヤ教の、12部族あたりから来てるとしか思えない。
別に10進数で秒だの分だの時だのを表しても良かったんだし、
月にしても10月までにする事も出来たはずだし。
一週間が七日であると言う事すら、ユダヤ教に由来している。
何かそう考えると、そこまでユダヤ教が世界を牛耳っている事が、何だか不気味でそれ自体が
人類に対する「呪い」のように思える。
ファンタジーなんかを考える時、別に現実の日時の表し方を適用する必要はない。
別に週みたいな概念も不要だし、
月にしても12じゃなくて構わない。
変な話全部秒単位ですら問題はない。
ただそんなおかしな時間体系でストーリーを書くとあまりに日常使い慣れた週とか月みたいな感覚から離れてしまうので、
イメージがわきにくい難点はある。
さっきはキリスト教がもしなかったらと考えたが、
ユダヤ教がもしなかったら、キリスト教もイスラム教もなかった。
さぞかし世界の歴史は大きく異なる展開を示したに違いない。
果たしてそれは人類にとって、
あるべき選択肢ではなかったのだろうか。
シャーペンのこと
場所にもよるらしい。
シャーペンを使うなと言う客先もあるとか。
消ゴムのかすが出るのがいやだったり、芯が折れたのが床に落ちたりするのがいやだったりするとか。
多分筆記具の中で一番ポピュラーで一番経済的なものだと思う。
ふだんの仕事の書き物をボールペンとかに切り替えたら、どれだけ金銭的負担が増すだろうか。
それに間違えても簡単に消せるのがよくて、他のインク系筆記具だと消すのが大変と言うのが通念になっている。
だからとは言わないが公用文書では大抵シャーペンは敬遠される。
今年来た年賀状でも、さすがにシャーペンで書かれたものはない。
ペン習字なんかも普通は毛筆とかボールペンでなされる。
シャーペン使ってたら字がきれいにならないと言うわけでもない。
字を書くと言う事が日本よりむしろ外国の方が、
個人認証の手段として使われる事が多いから、
うかつになんべんでも書き直せるような筆記具は歓迎されない。
私は仕事にはシャーペンばかりで、宛名書きとかみたいなのしかボールペンは使わない。
まだそんな口うるさい客先に訪れた事はないが、
シャーペンなしじゃさぞかし仕事しにくいだろうと思う。
シャーペンを使うなと言う客先もあるとか。
消ゴムのかすが出るのがいやだったり、芯が折れたのが床に落ちたりするのがいやだったりするとか。
多分筆記具の中で一番ポピュラーで一番経済的なものだと思う。
ふだんの仕事の書き物をボールペンとかに切り替えたら、どれだけ金銭的負担が増すだろうか。
それに間違えても簡単に消せるのがよくて、他のインク系筆記具だと消すのが大変と言うのが通念になっている。
だからとは言わないが公用文書では大抵シャーペンは敬遠される。
今年来た年賀状でも、さすがにシャーペンで書かれたものはない。
ペン習字なんかも普通は毛筆とかボールペンでなされる。
シャーペン使ってたら字がきれいにならないと言うわけでもない。
字を書くと言う事が日本よりむしろ外国の方が、
個人認証の手段として使われる事が多いから、
うかつになんべんでも書き直せるような筆記具は歓迎されない。
私は仕事にはシャーペンばかりで、宛名書きとかみたいなのしかボールペンは使わない。
まだそんな口うるさい客先に訪れた事はないが、
シャーペンなしじゃさぞかし仕事しにくいだろうと思う。
味は言葉で表せるか
まったりしている。
その「まったり」の意味が知りたい。
何か分かったような気になる。
でも何の事やら分からない。
何かグルメと呼ばれるものを食べたとする。
例えば上トロとか。
滅多に口に出来ないようなのを食べたとして、
その味の感触を人に言葉で説明出来るだろうか。
例えばドクターペッパーとか。
コカ・コーラみたいでいて、ちょっとフルーティでしかも
まったりしている。
だからその「まったり」てなんだろうと言いたい。
無理なわけである、言葉じゃ味覚は伝えられない。
嗅覚すら伝えられない。
可能なのはそれが何に似ているかでしかない。
だからもし未知なるにおいに遭遇したとしたら、
それ知らない人にどう言葉で説明したものやら。
例えば加齢臭とか。
自分じゃ確かにこの臭いの事だろうと思っているが、
それ知らない人には言葉じゃ説明つかない。
くさいがそれなりに酸味があるようでいて、まったりしている。
だからその「まったり」って一体何だよ。
その「まったり」の意味が知りたい。
何か分かったような気になる。
でも何の事やら分からない。
何かグルメと呼ばれるものを食べたとする。
例えば上トロとか。
滅多に口に出来ないようなのを食べたとして、
その味の感触を人に言葉で説明出来るだろうか。
例えばドクターペッパーとか。
コカ・コーラみたいでいて、ちょっとフルーティでしかも
まったりしている。
だからその「まったり」てなんだろうと言いたい。
無理なわけである、言葉じゃ味覚は伝えられない。
嗅覚すら伝えられない。
可能なのはそれが何に似ているかでしかない。
だからもし未知なるにおいに遭遇したとしたら、
それ知らない人にどう言葉で説明したものやら。
例えば加齢臭とか。
自分じゃ確かにこの臭いの事だろうと思っているが、
それ知らない人には言葉じゃ説明つかない。
くさいがそれなりに酸味があるようでいて、まったりしている。
だからその「まったり」って一体何だよ。
水には違いがない
天然水とかミネラルウォータみたいなのがいい値段で売っている。
ただの水道水とどう違うかが分からない。
コーヒーやお茶の缶に使われているものも
天然水使用とかを売り物にしている。
またピュアウォータと言うのもある。
きっとそれはまじりっ気なしの「純水」に違いない。
その天然の水と、完全なH2Oでしかない水とで、
味わいなんか変わるだろうか。
そもそも水自体に味なんかあるだろうか。
またフランス製のミネラルウォータに、ダイエット効果があるとしてさらに高額ふっかけられているが、
本当にききめがあるのか。
日本各地での名水と呼ばれるものも、果たしてどこがどう違うのか。
温泉の成分とその薬効についても。
水に過ぎないのにあれやこれやと余計な付加価値がひっついて来たように思う。
ただの水道水とどう違うかが分からない。
コーヒーやお茶の缶に使われているものも
天然水使用とかを売り物にしている。
またピュアウォータと言うのもある。
きっとそれはまじりっ気なしの「純水」に違いない。
その天然の水と、完全なH2Oでしかない水とで、
味わいなんか変わるだろうか。
そもそも水自体に味なんかあるだろうか。
またフランス製のミネラルウォータに、ダイエット効果があるとしてさらに高額ふっかけられているが、
本当にききめがあるのか。
日本各地での名水と呼ばれるものも、果たしてどこがどう違うのか。
温泉の成分とその薬効についても。
水に過ぎないのにあれやこれやと余計な付加価値がひっついて来たように思う。
キリスト教がなかったとしたら
教会はない。
キリスト教で生まれた歌や音楽もない。
聖書も「新約聖書」だけない。
クリスチャンもいない。
クリスマスもイースターもない。
宗教戦争も十字軍も宗教改革もない。
日本のキリシタンもないし宣教師もいない。
植民地の奪い合いも意味が変わってたかも知れない。
別の宗教が代わりに支配していたか知れない。
それがイスラム教だったらどうなっていただろうか。
仏教かも知れない。仏教だったらどうなっていただろうか。
神道かも知れない。ゾロアスター教かも知れない。ユダヤ教かも知れない。
イエスがいなければ間違いなくキリスト教は生まれなかった。
それでも構わなかったのに。
今思うと確かに世界中のあちこちにこれだけ影響を及ぼした人物もいない。
でも彼がいなくてもまた別の人物にて、きっと違う宗教が生まれ、
恐らく呼び名は違えども似たような信仰団体が生まれたに違いない。
歴史をやり直せるのなら、ぜひキリスト教が生まれなかった歴史をのぞいてみたい。
果たしてその方が人類にとっては
幸福だったに違いないのだから。
キリスト教で生まれた歌や音楽もない。
聖書も「新約聖書」だけない。
クリスチャンもいない。
クリスマスもイースターもない。
宗教戦争も十字軍も宗教改革もない。
日本のキリシタンもないし宣教師もいない。
植民地の奪い合いも意味が変わってたかも知れない。
別の宗教が代わりに支配していたか知れない。
それがイスラム教だったらどうなっていただろうか。
仏教かも知れない。仏教だったらどうなっていただろうか。
神道かも知れない。ゾロアスター教かも知れない。ユダヤ教かも知れない。
イエスがいなければ間違いなくキリスト教は生まれなかった。
それでも構わなかったのに。
今思うと確かに世界中のあちこちにこれだけ影響を及ぼした人物もいない。
でも彼がいなくてもまた別の人物にて、きっと違う宗教が生まれ、
恐らく呼び名は違えども似たような信仰団体が生まれたに違いない。
歴史をやり直せるのなら、ぜひキリスト教が生まれなかった歴史をのぞいてみたい。
果たしてその方が人類にとっては
幸福だったに違いないのだから。