THOUSAND WINDS -70ページ目

タロットカード

Webよりいろんなデッキの写真を取り込んでながめていた時期があった
その時には魔女の家のカタログもすでに持っていたから
あれこれほしいものも出てきたわけだが、
やめてしまった。
ルーン占いに転がってしまった理由の一つはやはりこのいろんなカードの誘惑にとりつかれそうになったからだと思っている

占いはなぐさめ

占うときっと悪い卦が出るから
特にタロットなんかが危ない。
死神
何かもう確定してるみたいな、
だから今占い出来ない。
引き直したとてげんが悪い。
オラクルカードはいい。
不吉なカードがないから。
でもそれでも、マーメイドカードは、
Stay Optimistic
楽観的になりなさい。
もうじききっと夢がかなうから。
奇跡が起こるまで
諦めちゃいけない。
ほらラジオの歌もなぜか同じように
諦めちゃいけないって
シンクロニシティ、
私にはよくある話。
世界は私にはとても不思議に出来ている。
だから精霊を信じたくなる。

無題

ヨセフスの証言によればイエスは賢者であったらしい。預言者の意味だったかも知れない。第三者の貴重な証言かも知れないが、これにも後世のキリスト教信者の改ざんがあったかのように疑われている。
まあ疑い出すときりがないわけだが、改ざんするんだったらそんなたった一文の所だけいじらず、
新約聖書みたいにいくらでも後に章を継ぎ足してでも、教会に都合のいいもの追記すりゃいいんでないかいと思わなくない。
つまり教会の囲いの外じゃ、イエスなる人はあまりに証拠不十分で、つかみ所がない。
だからキリスト教とひとことで言ってしまっても、
様々な解釈が成り立つ。
かつては無数の派閥みたいなのが乱立して、
今以上に偽典の類いが量産されていた。
それがいつしかのタイミングで、
ちょっとすっきりさせ過ぎやろ、みたいな感じで
簡潔に収まった、
かのように見えた。
でも現状はどこからがカルトで、どこからが正統派なのかすら見えない。
外の者として見ればみな同じ穴のうずらに思えてくる。
ほんとは誰にも分からなかった、イエスについて、
めいめいで推測しては教派を増やすはめになる。
別に史実のイエスがどんな人であったか、
何をして何考えてたか、
そんなのどうでもいいじゃんか、
とにかく彼は復活させられたのだ、
その事実だけあれば十分だ、
そんな乗りで方々を歩き巡ったパウロ、
彼の思想の一部が今のキリスト教の「毒」と
なってしまってる事に、
内側の連中は気づかない。
むしろ囲いの外の者ほど、
史実のイエスを愛する。
これはパラドックスである。

宗教は哲学を拒むか

聖書の中にも確かにむなしい事のように書かれてはいる。
でも明らかに過敏反応であるように思える。
宗教している人はどちらかと言うと、哲学の事が嫌いみたいに見える。
哲学してる者からしてみれば、宗教している者はうさんくさくて、どちらかと言えば敬遠したくなる。
互いに牽制してるようにも思えるのだが、
世間はどちらかと言えば中立で、どっちもうさん臭くて好きになれないと言う態度を取ったりする。
真面目に哲学について一から学びたいとか言う人に
出会ってから、
私の中のやる気スイッチが入りっぱなしになったらしい。
それまでどちらかと言うと宗教の人だったのに、
その人みたいな人らの為に、一肌脱ごうて言う気になってしまう。
自分がどう頑張った所でしょせん限界はあるわけだが、
やれる所で影ながらサポート出来たらと思ってたのに、
格好の情報交換の場であるぐるっぽが停滞気味で、
まともに機能してると言いがたい。
そんなに限られた人でしか運営されていなかったのだろうか。
私が自分とこの「反」哲学ぐるっぽの書き込みを停止してしまったのもそんな理由。
私に出来るような事ってない、
私は至って無力だ・・・
従ってあえてブログで哲学的な事書くのも諦め、
短期ながら断筆宣言、
今再開したと、思うなかれ、
今の私に哲学を取ったらもう何も残らんような気がする。
なので完全に立ち直るまで、
書いたり書かんかったりすると思いますが、
ご了承の程を。

いまわたしはどこにいますか

教会でイエスキリストの逮捕から受難までの箇所を、
それぞれ配役つけてラジオドラマみたいにして
演じていました。
説教はなかった。その代わりみな今週の聖書の箇所を黙読した後に、
めいめいで黙想の時間が設けられました。
これって例のレクティオ・ディヴィナかも知れない。
ただやみくもにやるんじゃなくて、一つのテーマが与えられました。
それが「今、あなたは、どこにいますか」
イエスキリストの受難の刻を覚えて、イースター前にこんな黙想会をもよおしたらしい。
色んな考え方がある。
私はこう見えてもキリスト教にはまり切ってないので、
信者さんの模範回答なんか答えない。
ある意味イエスキリストの十字架と、今の私とを関連づけるのも難しい。
どこにいるのか、
ご近所の教会の礼拝堂の中だろうか、
聖歌隊に混じっているから、最前列にいるだろうか。
目の前に司祭がいるだろうか。
何か白い服着て、木の十字架を首から下げていただろうか。
それが今私がいた所の答えだろうか。
どこまでが現実で、どこからが答えであるのか。
霊性の育成や開発みたいな用語を用いるような教会では全くないわけだが、
つまりばりばりのリベラル派なわけだが、
答えとしてあげてみたかったのは、

私は
ゲッセマネの中で
祈ってる
彼を
力づけてます
それが
私の
属性
みなまで言うと
ばれてしまうから
ここらで
以上。