無題 | THOUSAND WINDS

無題

ヨセフスの証言によればイエスは賢者であったらしい。預言者の意味だったかも知れない。第三者の貴重な証言かも知れないが、これにも後世のキリスト教信者の改ざんがあったかのように疑われている。
まあ疑い出すときりがないわけだが、改ざんするんだったらそんなたった一文の所だけいじらず、
新約聖書みたいにいくらでも後に章を継ぎ足してでも、教会に都合のいいもの追記すりゃいいんでないかいと思わなくない。
つまり教会の囲いの外じゃ、イエスなる人はあまりに証拠不十分で、つかみ所がない。
だからキリスト教とひとことで言ってしまっても、
様々な解釈が成り立つ。
かつては無数の派閥みたいなのが乱立して、
今以上に偽典の類いが量産されていた。
それがいつしかのタイミングで、
ちょっとすっきりさせ過ぎやろ、みたいな感じで
簡潔に収まった、
かのように見えた。
でも現状はどこからがカルトで、どこからが正統派なのかすら見えない。
外の者として見ればみな同じ穴のうずらに思えてくる。
ほんとは誰にも分からなかった、イエスについて、
めいめいで推測しては教派を増やすはめになる。
別に史実のイエスがどんな人であったか、
何をして何考えてたか、
そんなのどうでもいいじゃんか、
とにかく彼は復活させられたのだ、
その事実だけあれば十分だ、
そんな乗りで方々を歩き巡ったパウロ、
彼の思想の一部が今のキリスト教の「毒」と
なってしまってる事に、
内側の連中は気づかない。
むしろ囲いの外の者ほど、
史実のイエスを愛する。
これはパラドックスである。