ぼそ
ミームとは(wikipedia)
ミーム(meme)とは、文化を形成する様々な情報であり、人々の間で心から心へとコピーされる情報のことである[1]。ミームは、習慣や技能、物語といった人から人へコピーされる情報である[2]。ミームは会話や文字、振る舞い、儀式等によって人の心から心へとコピーされていく。ただしミームとは何かという定義は論者によって幅がある。
ミームは遺伝子との類推で考察され、この類推はミームが「進化」する仕組みを、遺伝子が進化する仕組みとの類推で考察するものである。遺伝子が生物を形成する情報であるように、ミームは文化と心を形成する情報である。遺伝子は子孫へコピーされる生物学的情報であるが、ミームは人から人へコピーされる文化的情報である。遺伝子は「進化」するが、ミームにも「進化」という現象が生じており、それによって文化が形成される。
ミームについて研究する学問はミーム学(Memetics)と呼ばれる。
ミーム(meme)とは、文化を形成する様々な情報であり、人々の間で心から心へとコピーされる情報のことである[1]。ミームは、習慣や技能、物語といった人から人へコピーされる情報である[2]。ミームは会話や文字、振る舞い、儀式等によって人の心から心へとコピーされていく。ただしミームとは何かという定義は論者によって幅がある。
ミームは遺伝子との類推で考察され、この類推はミームが「進化」する仕組みを、遺伝子が進化する仕組みとの類推で考察するものである。遺伝子が生物を形成する情報であるように、ミームは文化と心を形成する情報である。遺伝子は子孫へコピーされる生物学的情報であるが、ミームは人から人へコピーされる文化的情報である。遺伝子は「進化」するが、ミームにも「進化」という現象が生じており、それによって文化が形成される。
ミームについて研究する学問はミーム学(Memetics)と呼ばれる。
カメラについて回想
カメラにおける思いの箇条書き。
・二眼レフが欲しかった。
・一生ライカとは縁がないだろう。
・デジカメ業界はもう行き詰まっている。
・写す対象がもうない
・写真を見せる人がいない
・京都の観光写真を撮っても仕方がない。
・ケータイで撮るようになってから写真を忘れた。
・写真を見ることさえやめてしまった。
・便利さがかえって写真から遠ざけた。
・中古カメラ屋巡りも懐かしい思い出に過ぎない。
・ファインダーもないような「一眼レフ」なんぞいらない。
・師となるものはもういない。
・カメラをいじくる喜びも忘れてしまった。
・私はカメラをやめてしまったが後悔していない。
・もう中判カメラで写す事もないだろう。
・APSフィルムもポケットカメラと同じ運命をたどった。もう売っていない。
・地元でカメラ屋が軒並みつぶれたのは、デジカメが流行したからだけではない。
・デジカメになってカメラから心が奪われたような感じがした。まるでロボットのような、生命のない機械の固まり。
・つまり私が写真のセンス、感性なるものを喪失してしまった事が、
カメラをやめた理由。
・二眼レフが欲しかった。
・一生ライカとは縁がないだろう。
・デジカメ業界はもう行き詰まっている。
・写す対象がもうない
・写真を見せる人がいない
・京都の観光写真を撮っても仕方がない。
・ケータイで撮るようになってから写真を忘れた。
・写真を見ることさえやめてしまった。
・便利さがかえって写真から遠ざけた。
・中古カメラ屋巡りも懐かしい思い出に過ぎない。
・ファインダーもないような「一眼レフ」なんぞいらない。
・師となるものはもういない。
・カメラをいじくる喜びも忘れてしまった。
・私はカメラをやめてしまったが後悔していない。
・もう中判カメラで写す事もないだろう。
・APSフィルムもポケットカメラと同じ運命をたどった。もう売っていない。
・地元でカメラ屋が軒並みつぶれたのは、デジカメが流行したからだけではない。
・デジカメになってカメラから心が奪われたような感じがした。まるでロボットのような、生命のない機械の固まり。
・つまり私が写真のセンス、感性なるものを喪失してしまった事が、
カメラをやめた理由。
思考実験の再開
キリスト教の教義で、
神が人になったみたいな、
つまりキリストがイエスとして、
この世に顕現した、
みたいな事言ってるが、
実際には逆で、
ただの人の子が、
神に祭り上げられた、
ただそれだけだったのが、
おおごとになってしまい、
世界一信者数の多い宗教になってしまった。
一体何がよかったんだろう。
特に分かりやすい教義ってわけでもなかったんだが。
神が人になるのと
人が神になるのと
どちらの考えが
おこがましいか。
私なら人が人になること、
それこそがもっとも神聖な出来事だと思うんだが。
つまり人は、神よりも尊い。
我々は実は人の事よりも
神の事の方がよく知っている。
なぜなら神の概念は我々が作り出したものだから。
人の概念などないし、
「人」は究極的には、
誰にも理解出来ない。
ゆえに人を知るということは、
神を知るのより、
尊い。
神が人になったみたいな、
つまりキリストがイエスとして、
この世に顕現した、
みたいな事言ってるが、
実際には逆で、
ただの人の子が、
神に祭り上げられた、
ただそれだけだったのが、
おおごとになってしまい、
世界一信者数の多い宗教になってしまった。
一体何がよかったんだろう。
特に分かりやすい教義ってわけでもなかったんだが。
神が人になるのと
人が神になるのと
どちらの考えが
おこがましいか。
私なら人が人になること、
それこそがもっとも神聖な出来事だと思うんだが。
つまり人は、神よりも尊い。
我々は実は人の事よりも
神の事の方がよく知っている。
なぜなら神の概念は我々が作り出したものだから。
人の概念などないし、
「人」は究極的には、
誰にも理解出来ない。
ゆえに人を知るということは、
神を知るのより、
尊い。