THOUSAND WINDS -42ページ目

「だれもあなたのことなんて考えちゃいない」より

男女がうまくやるルール
A 彼女が正しい。
B 彼は本当に何も考えていない。本当に何も。



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ある怪物との戦い

私の別ブログの、うさうさ氏のブログ、
昨年の11月から断筆してるのに、
つまり今年に入ってからまだ何も書いていないのに、
毎日のアクセス数が100前後ある。
これは何か異常ではないかと考えた。
ここなんか今日のアクセス数なんか、たった5件でしかなかったのだから。
まあそれが普通だろうと思わなくない。
変に忙しいから、時間がないから、書けてなかったのだから、忘れられてもおかしくはないかなと。
でもあのうさうさ氏のアクセスは異常だ。
でもって考えてみた。ちなみにうさうさ氏とは書いているけれども、
全て同一人物なので。

私が公開しているアメーバブログ、全部で5つ現存しているのだが、
よく見てみたら、うさうさ氏のとこだけに
やたらとくそ小説が集中している。
後のハンドルのは小説らしきものもあるが、どれも散発的で、
試しに書いてみた程度のものでしかない。
なぜか知らんけど、
うさうさ氏のブログでだけ、超大作的な小説が大量に納められている。
うまい具合に切り分けられているみたいだが、
それは言うならば、
私がうさうさ氏を語っている時だけ、あんなくそ小説が書けたということだ。
今またこのハンドルで、あれに対抗出来るみたいな小説が、
果たして書けるだろうか。
我がことながら、あれは異常だ、やはり私が書いた、書けたような気がしない。
でもかつてのうさうさ氏だった私ならあれは書けていたのだ。

つまり何が言いたいかと言うと、
このハンドルの私は、あのうさうさ氏と張り合って、
こちらでも小説が書けないだろうかと模索している。
それがアクセス数アップのためじゃなく、
ただ昔の私に、今の私が負けたくないみたいな、
別人格同士の戦いのひぶたは下ろされようとしている。
だから昔書いた魔女ポプリとか引っ張ってきたわけだが、
果たしてその続きは書けるだろうか。
うさうさ氏との戦いは始まっている。

素直に負けを認めて、うさうさ氏ハンドルでブログ書けばいいのにね。



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ガラケーについて

多分もうそんなのも出ているのだろうが、
これだけスマートフォンが出回ってきたら、
ガラケーももっとシンプルな、電話機能だけみたいな機種は出ないだろうか。
スマートフォンがどちらかと言えば、万能選手てあり、何でも出来るみたいに見えながら、
電話としてみればはなはだ使いにくく感じられるのだが。
だったらもうスマートフォンは電話を諦めて、データ通信だけに絞って、
別途ただのケータイを持ち歩ければ最強かも知れない。
私の知る限り、そうしたものは見かけないみたいだが、
毎月の使用料を安く抑えてさえくれれば、
2台持ちも夢じゃなくなるので。
まあ普通のケータイを2台持てない人の戯言だと思って頂けたらなと



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カメラについて

スマートフォンでもちゃんとブログが書けるようになりたいと言う思い故、
最近思うようなことをしたためてみる。
スマートフォンレベルで、800万画素みたいな事になっている現在、
果たして他にカメラが必要であろうか。
デジタル一眼レフみたいなものが必要だろうか。
せいぜいコンパクトデジカメ位あっても、サブとして使えるだろうが、
一眼レフなるものについては、もう不要ではないかと思われる。
かつてプロが使っていた、初代のデジタル一眼レフも、
800万画素あたりは標準スペックだった。
それでちゃんと作品が撮れていた。
コンパクトデジカメですら、1000万画素が当たり前な時代、
ましてや昔のコンパクトカメラみたいな、ちゃちなファインダーじゃなく、
誰が撮っても見たまま写るのが当たり前な時代になった。
つまりもはやコンパクトデジカメなるものがあるわけではなく、
レンズの交換が出来ないだけの、
一眼レフが氾濫している。
つまり昔ながらの、でかいレンズを携えたような、
デジタル一眼レフは要らないのではないか。
確かにこんなスマートフォンみたいな、
米粒みたいなレンズの写りがどれだけなものかは分からないが、
プロでもない限り、支障のない程度ではないかと思われる。
まあ人それぞれだから何とも言えないが、
もはや画素の高さだけじゃ、カメラは売れない状況になっているのは確かだ。



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J・C・ライル抄

決して!
「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない」[ヘブ13:5]

 いかなる信仰者もこの言葉を堅くにぎり、心にたくわえておくべきである。いつでもこれが口をついて出てくるように、絶えず生き生きと記憶にとどめておくことである。いつの日か、これを必要とするときがやってくるであろう。ペリシテ人の襲撃があり、病の手があなたをとらえて打ち伏させ、恐怖の王が間近にせまり、死の影の谷があなたの眼前に姿を現わすであろう。そしてそのとき、あなたは、この聖句ほど慰めに満ちたものはないことに気づくであろう。神がともにおられる実感ほど心励ましてくれるものはないことに気づくであろう。

 「決して」という言葉を手放してはならない。これは同じ重みの純金にも値する。おぼれかけた人が命綱にしがみつくように、この言葉にしがみつくがいい。四方八方から攻めかかられた兵士がその剣を握りしめるように、これを堅く握りしめるがいい。神は語られた。そして、そのことばをお守りになる。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない」。

 「決して!」 たとえあなたの心がしばしばくじけ、あなたが自己嫌悪にさいなまれ、あなたの多くの失敗や弱さに圧倒されそうになるとしても、----そのようなときでさえ、この約束は破られない。

 「決して!」 たとえ悪魔が囁きかけ、「俺は結局はお前を手に入れてやるぞ。もう少しすれば、お前の信仰はひしゃげて、お前は俺のものになるのだ」、と云っても、----そのようなときでさえ、この神のことばは立ち続ける。

 「決して!」 死の冷気があなたに忍び寄り、友人たちにも手の施しようがなくなり、あなたが生きて二度とは戻れぬ旅路に出立しようとするとき、----そのようなときでさえ、キリストはあなたを捨てることがない。

 「決して!」 最後の審判の日が到来し、数々の書物が開かれ、死者が墓からよみがえり、今まさに永遠が始まろうとするとき、----そのようなときでさえこの約束は、ゆうにあなたの重みを支えるであろう。キリストはあなたの魂を握りしめた御手をゆるめることはなさらない。

 おゝ、信仰を持つ読者よ。主を永遠に信頼するがいい。主はこう云っておられる。「わたしは決してあなたを離れない」。あなたの渾身の重みをもって主に身を投げかけるがいい。恐れてはならない。主の約束を誇りとするがいい。あなたの慰めの力強さを喜ぶがいい。あなたは大胆にこう云えるのである。「主は私の助け手です。私は恐れません」、と。