信じるって使いすぎやない? | おっぽの会ブログ

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あしあとあしあとあしあとあしあとあしあとあしあとあしあとあしあとあしあとあしあとあしあとあしあとあしあとあしあとあしあと
『その人のことを信じようと思います』っていう言葉ってけっこう使うと思うんですけど、『それがどういう意味なんだろう』って考えたときに、その人自身を信じているのではなくて、『自分が理想とする、その人の人物像みたいなものに期待してしまっていることなのかな』と感じて」
「だからこそ人は『裏切られた』とか、『期待していたのに』とか言うけれど、別にそれは、『その人が裏切った』とかいうわけではなくて、『その人の見えなかった部分が見えただけ』であって、その見えなかった部分が見えたときに『それもその人なんだ』と受け止められる、『揺るがない自分がいる』というのが『信じられることなのかな』って思ったんですけど」       以下略
あしあとあしあとあしあとあしあとあしあとあしあとあしあとあしあとあしあとあしあとあしあとあしあとあしあとあしあとあしあと

これ、俳優の芦田愛菜さんの舞台挨拶での言葉。わりと有名なのでご存知の方もいますよね。

芦田さん、この時なんと16歳。当時39歳の私は絶句すると同時に、軽々しく「信じる」という言葉を使い、「裏切られた」と感じていた自分を恥じました不安
浅はかなオバサン反省です。

ああ…何か見透かされてる気がする


「期待してたのに」「こんなはずではなかった」という言葉。良く聞きますがちょっと不満

だとしたら、自分自身の覚悟が足りなかっただけではないですか?とも思います悲しい

「足が不自由になるなんて思わなかった」「病気になるなんて思わなかった」「噛むようになるなんて期待外れ」

絶対一生健康なんて

言った覚えないワン


それ、「理想の押し付け」ではないですか?何があっても家族でいる、と決めるというのは、精神的にも肉体的にも、金銭的にも簡単なことではないです。

覚悟はおあり?


「可愛いから」だけで命を引き受けないで欲しいです悲しい悲しい

だけど、それでも、「この子を家族にしたい」と思う出会いもきっとあるはず。

その出会いの一歩になるかもびっくりマーク
今度の日曜日、伊豆での初イベント開催です


ふれあって実物を感じてくださいおねがい
お待ちしています!

なっちゃんはお留守番


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クーちゃんはイベント当日

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