3−適応障害 | オカビィと仲間たち

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「50代・適応障害・転職」

こんなキーワードで検索して、私自身、いろんな方の生き方を知りパワーをいただきました。同じ状況の方へ「こんな人もいるのか」という参考になれば幸いです。



同僚が先に適応障害で休職。


そのあと、残された自分が同僚の分まで仕事をしないと、という気がしてしまい、私も壊れてしまいました。



子会社での業務。

下流の仕事は5年以上やってなかったんで、良く分からない状態。



本社からの業務も大量。



出向先の上司に働きにくさを訴えても、

本社の上司に伝えても、

人事に訴えても、

親身になって相談に乗ってくれる人はいなかった。



内示の時にお願いした実務レベルの外部研修は、なかなか受けさせてもらいない。受けさせてもらえることになったのは、ほぼ、ココロが崩壊しかけたとき。



沖縄の人は聞けば教えてくれるけど、聞かなきゃ教えてくれない。自分が聞けていないリスキーなコトがあるんじゃないかと思うと不安でたまらなくなる。



聞いても属人化が激しく

みんな言うことが違って正しいことがわからない。



私がやった仕事を確認してくれて、出来てなかったからやっておいたというんだけど、何が出来てなかったのかを教えてくれない。聞いても次に教えると言われてしまって、仕事をパーフェクトに出来なかった自分の罪悪感だけが日々、大きくなっていってしまいました。



今思えば、属人化が進んでるならルールを決めてやってもらえばいいだけなんだけど、当時はそういう考えができないくらい追い詰められてた気がします。



そして

朝、PCに向かうと

不安で、大量の仕事を見ると涙が止まらなくなって。



ミーティングも涙が止まらないから画面オフで参加。




本社、沖縄の上司との話し合いの場でも涙が止まらず。




同僚、家族のすすめもあって

心療内科へ行き

3ヶ月の休養が必要と診断を受けました。




会社へ診断書を送り

3ヶ月間の傷病休暇に入ることに。




「忙しいのに休んで」という不安、後ろめたさ、仕事についていけなかった劣等感があり、やり切れない気持ちになりました。




でもそれは一時的なこと。

休んでよかったと、今では思えます。




あのまま働き続けたら本当に壊れてしまっていたと思います。

再生できないくらいに。




休むことは勇気のいること。

だけど休まず壊れてしまっても、一定期間は会社も保証してくれるし、同僚も同情してくれるかもしれない。



でも、それは一時的。



私の一生をサポートしてくれることなく、無責任にみんな、私のことを忘れ去っていってしまう。



その程度の保証と同情なら、

自分のために「休む」という決断はありだと思います!