資本主義以前は通貨は


領主や幕府や藩が通貨を渡すことで


通貨を発行していました。



資本主義では民間銀行が


通貨を貸し出すことで


通貨を発行することになりました。



資本主義では皆が借金まみれになり


利子と元本の返済のために借金を重ね


忙しく働くことになりました。



時間と共に増える利息分の通貨を増やし返済するために


今より多く生産し消費する必要がありました。



大量生産、大量廃棄社会で雇用を産み出し


賃金を増やすことで労働者の購買力を高め


生産しても消費される社会を作りました。



利息分の経済成長が


強制されることになりました。



利子が人間を支配していると言っていいだろう。



しかしながら、


地球の資源は有限であるので


大量生産、大量廃棄社会は


終わらせる必要が出てきた。



利子を無くすことで


経済成長の強制から解放される。



つまり、通貨を貸し出して発行する方式から


通貨を渡すことで発行する方式に戻す必要が


出てきたのだ。



金融庁の調べでは


今後民間銀行は


ほとんど倒産すると予測している。



しかしながら、私は、


銀行は社会の公器として残すべきである


と考える。



民間銀行を国有化し


公共インフラとして残し


政府が通貨を発行する。



そうすることで、


私たちは負債の網から解放され


地球資源を無駄に掘り起こし、


使える物を無駄に捨てる必要が無くなる。



資本主義という人間の脳内イメージ、


脳内イデオロギーの支配から


自由になるべきなのである。
















 

 

自らを分けると書いて自分と書く

宇宙生命体を細かく分けたのが自分である

 

自らに由ると書いて自由

宇宙の生命活動に由ることが自由

 

神社の本殿に奉られているのは鏡

 

つまり、鏡に映る自分に手を合わせいる

自分が神であるということ

 

カガミから我を取ると神になる

生きている以上我を取ることは出来ない

現象界、色界で生きている以上

我、エゴを消すことはできない

神にはなれないが本質は神ですよということ

 

私から三毒の煩悩(貪、瞋、痴)の3本をのぎへんから取ると仏になる

 

煩悩を取れば仏になるが生きている以上煩悩を取ることは出来ないが

人間の本質は仏であること

仏という対象があるのではなく

煩悩の内側のあなたの中に仏がある

 

人間は色界で生きるしかない

その為に生きている

 

 

人間の意志より0.35秒前に体が先に動き出している事実、受動意識仮説

 

体を動かしているのは誰なのか?

 

この宇宙を創った、根源の一つの命が全宇宙、万物を動かしているのだ

 

私とは自分で動かしていると思い込んでいるセンサーでしかない

 

と同時に根源の一つの命でもある

 

自らを分けると書いて自分

根源の一つの命を分けたのが自分

 

分け御霊とは神様の命を分けたのが人間や万物の命

八百万の神とは万物が神であるということ

 

つまり、全宇宙の全てが神であるということ

 

全宇宙が一つの生命体として活動しており

その中の一つの細胞を分断して区切っているのが自我意識

 

つまり、全宇宙は分離、分断されてなく

人間の自我意識、左脳により

人間の皮膚の内側を自分と認識し自他に分けているだけで

宇宙は一つの生命体として今もこれからも活動している

 

ジル・ボルト・テイラーというアメリカの神経解剖学者が脳卒中で倒れ左脳の機能を失ったとき

自他の境界、物と物との境界がなくなり

自分が宇宙生命と一体になった感覚になった

時間の感覚もなくなり瞬間、瞬間は泡のように現れては消える

物をお互いに離れた物として認識できず

あらゆるエネルギーが一緒に混ざりあって見える

幸福感で一杯の海を泳いでいるかのような至福感

 

人間も他の物質も宇宙の全てが素粒子レベルでは繋がっている

 

静かに振動する粒子の流れの中にいる

 

左脳は自分自身を、他から分離された個体として認知するように訓練されているが

 

本来は全てがエネルギーとして混ざりあっている

 

その流れの中に私達もいるのです

 

 

お供え物におを付けるのは神様へのお供え物だからおを付けると分かるのだが

 

御味噌汁、御飯と人間がいただくものにも御を付けるのは人間も神様の一部であると昔の人が考えたからだろう

 

つまり、昔のひとは万物が神であることを自覚していたのだ

 

現代のように

無数の命が個別に活動していると知覚しているならば争いは無くならないのでないか

 

一つの命が全宇宙、万物を動かしていると

エネルギーの流れの中にあると

宇宙の生命活動を知覚している状態が

悟りであり

道元のいう「天地同根」(人間と宇宙は一体)

「万物一体」(人間の生命と宇宙の生命は同じ)

空海のいう「即身成仏」(体そのものがそのまま仏)ということであり

誰もが根源の宇宙生命で生きているという感覚

 

誰が怪我を治し髪を伸ばし爪を伸ばしているのか

人間の意思活動は一切関与してない

 

このような昔の人とおなじような感覚状態ならば

 

人間として喜怒哀楽を味わいながらも

心の奥底で

『いまここにくつろげる』のではないか

 

元は一つで今も分離しているではなく今も一つというが非二元、ノンデュアリティであり

昔の人の感覚であった

 

元は一つで今は分離して個別の命というのがスピリチュアルで現代人の感覚

 

このような現代人の感覚の

分離意識の枠内で右往左往しても探求のジプシーから抜け出せない

 

『これでいい』という満足は得られないのではないだろうか

 

やるべきことがどんどん出て来てしまうのではないか

 

 

知覚出来ない根源の一つの命の生命活動を知覚するなかに『これでいいのだ』というバガボンのパパの境地になれる

 

昔の人たちの感覚になれる

 

殺人鬼も聖人も宇宙の生命活動の現れ

 

誰も悪く無いし誰も良く無い

 

根源の一つの命の私が引き起こしたと観れるかどうか

 

根源の一つの命の私の視点を強く持たないと

左脳は自分を他から分離した個体と認知するように子供のころから訓練されているから

分離意識に持っていかれてしまう

 

誰が呼吸し心臓を動かしているのか「身にて学道せよ」(道元)

 

全宇宙で起こるあらゆる出来事は

根源の私から出て来た事であり

根源の命の私が見たい夢を今観ているのだ

 

 

思考、感情、気付きですら根源の私のもので

分離意識のセンサーの私のものではない

 

センサーの私が自分のものとしているだけ

 

つまり、人間の意志、思いとは根源の私の意志であり思いなのだ

 

つまり、全宇宙があなたの意志に同意しているということ

 

根源の命が私であり、根源の命の一部を私と思っているのも私であるのだから虚無に陥る必要はない

 

私の意志、思い、思考、感情は根源の命のものであるのだから「天地同根」「万物一体」(道元)

 

根源の命の私には自由意思はあり

自由自在であり何を思っても良く

『自分の見たい夢を観れる』

 

全ての出来事は根源の私の命から出て来た事であるのだから

私(根源の命)を信頼し委ねればいい

 

「最高な事が起こっている」と思ってもいいし

「最悪な事が起こっている」と思ってもいい

どちらでも自由だ

 

 

委ねて生きる中に本当の自由がある

 

自由とは自ら(根源の命の私)に由ること

 

自由に思考していい、私の思考は根源の命の思考なのだから

 

根源の命の私が全宇宙、万物を動かしている

 

全てが私とはこのこと

 

根源の命の私の生命活動を知覚することで

宇宙意識になれる

 

あの人もこの人も私も

根源の命の私が動かしている

 

きれいも汚ないもなく

善悪もない

 

全ては根源の命の私が

見たい夢を観たくて起こしている

 

監督、脚本、主演、全て私

 

主演(センサー)は監督、脚本の記憶を消して

役に成りきり楽しんでいる

 

身心脱落、体と心を緩めて夢を観よう

 

昔の人たちのように

現代人が

分離意識の枠外に出たとき

根源の一つの命の私の生命活動を知覚したとき

悪魔の手出し出来ない私になる

 

悪魔すら私であるのだから

 

悪魔という嫌われ役を務める私を抱きしめてあげる

 

善に対する感謝は悪に対する感謝に通じる

 

宇宙を構成する全てのどれが欠けても宇宙は存在出来ない

 

この世に不要なものはなにもない

 

この世のどれが欠けても

私達は夢を観ることが出来ない。

 

 

 

 

 

世界は全意識としての私の体のようなもの


全ての出来事は全意識の私から出て来た事


思考や感情も一つの全意識の私のエネルギーの流れ、現れ


それを分離意識の自分が捕まえて自分のものとしているだけ


手放す、つかまない、自分のものとしない


観てる者としての視点を持つ


全意識の視点に還る


誰も良くないし誰も悪くない


凄い人はいないしダメな人もいない


全ては全意識の私の中でのエネルギーの流れ、表現


思考、感情、やる気、行動、全てが全意識の私から湧きあがり出て来る事


驕りも卑屈もない


全意識の私の表現であり

自分達は役者である




 


高名な教育者が教育現場を訪れ、

授業参観後に担任の先生に

『A君とB君とC君の成績が今後、伸びるだろう』と助言。


半年後、高名な教育者の指摘通り

A君B君C君の成績が伸びた。


担任の先生は高名な教育者に質問した

『どうして三人が伸びると分かったのか?』と


高名な教育者は答えた

『適当に選んだだけだよ。三人の成績を伸ばしたのは先生の三人の生徒に対する態度だよ』


あなたは出来る波動で教育された三人の生徒は自分は出来ると思い込み勉強したのか

成績が伸びた


担任の先生も強烈な自己洗脳により自分の思った通りの現実を創り出した


願望が実現したかの様に振る舞い行動する


未来を先回りし感謝してしまう


先回りスタイル


自分の現実はどうにでもなるという勘違いスタイルの人の方が上手くいきやすい












 

私達のまわりには善悪あらゆるエネルギーで満ちている


あらゆるものが存在しているが

各人の認知力、知覚力によってのみの現実を創造出来る


釈迦曰く『人それぞれの生命状態によってガンジス川の砂を宝と観たり瓦礫(がれき)と観たりする』

つまり、ガンジス川の砂は同じものだが人それぞれ見え方が変わる


素粒子は波だが人間が観たとき物質化する


人間の意識が素粒子に力を与える


何を創造するかは人それぞれ


一切の根本をなしているのは自分と考えると


全てが自分だったと気づく


悪魔すら自分が創り出したものであると気づくと恐怖もなくなる


悪魔を認知、知覚できなければ、悪魔は存在出来ない

分離意識のなかで破壊と競争を経験したいひとと

全意識のなかで愛と調和を経験する人は

おのずと接点が持てなくなる

これが住み分け

住んでる世界が違うということ








 


悪魔にロックオンされない生き方とは


自己が全体に対する責任を果たしていく生き方である


全体、全意識が自分であり全てが私であるという思考であり在り方


悪魔さえも赦し愛する


嫌われ役をありがとう




 


ネガティブな出来事に対して


『良かった、ありがとう』と唱える


脳が良いこと、感謝出来ることを探す


ネガティブな出来事がついてる出来事に変わる