震災から10年 | 夢追い人のヨメ in ジャカルタのおとなり

夢追い人のヨメ in ジャカルタのおとなり

夫が南の島で突然起業→夢追い中。
遠距離生活ののちナースをひと休みしてマニライフ開始。
からのジャカルタ生活はじまりました。
経営者妻の自覚なく自由気ままに暮らしてます。
ズボラなんで気が向いたら書きます。

毎年、この日は特別な思いを持って過ごすのですが

今年は東日本大震災から10年。地元に帰りたかったなぁと思います。


私の地元は海に囲まれた小さな町で、大きな津波被害を受けました。


ただ、高台や坂道、山も多い地形なので、家や家族を失った人と、家も家族も無事だった人が分かれた地域でもありました。


町全体としてはインフラが壊滅し、ガソリンも電波も水も電気もなく、みんな深刻な被災者だったのだけれど、

うちの親はいつも自分たちよりも大変な人がいるから、と言いボランティアに尽力してきました。



あの日、私は東京の職場で、その夜にまさに帰省するために残業しないよう忙しく仕事をしていました。


東京も大きな揺れがあり、病院だったので安全確認、医療機器や手術、化学療法の調整、緊急患者の受け入れ準備など患者さん対応でてんやわんやでした。


でも、東北の津波の映像が病室のテレビで目に入ってからの記憶があまりありません。頭が真っ白なまま、必死で目の前の仕事に取り組んでいたような気がします。


親とは3日間連絡が取れず、気が遠くなるような長い時間に感じられました。


数時間、1日ずれていたら私もあの中にいたかもしれない。


そう思うといてもたってもいられず、、


テレビが原発問題一色になるなか、地元の家族や友人が必要としている配給、給水、避難所や道路通行状況などの情報を必死でかき集め、Twitterとメールで発信しはじめました。


SNSのリアルな情報の圧倒的な多さを実感したのはこの出来事からでした。

(当時はmixiとツイッターの情報量が半端なかった)



震災後に変わり果てた地元の姿から、徐々に復興していく様子を定期的に見てきたけれど、

コロナでここ1年半は帰ることができていません。


次に帰れるのはいつかなぁ。



マニラでも地震がくると言われているけれど、幼い家族を守るために何ができるのか不安は尽きません。


マニラの耐震も心配。もし大きな地震があったらその時どこにいたかによって、運任せな予感もしています、、。


何気ない日常をすごせるありがたさを改めて感じます。



今日は遠い東北に祈りを送りながら、静かに過ごしたいと思います。