急に寒くなってきました。

朝起きるのも、散歩に出かけるのもいくばくかの気合を要するのを感じます。

歩きながら感じる街並みはどこかよそよそしく、行きかう人の群れからも何か物憂げな雰囲気を感じ取れます。


変わり映えの無い同じような日々に身を浸しているつもりでも、そのような日常を俯瞰してみてみると自分も時の流れに乗っているのだなと痛感します。


変わらない自分と変わり続けていく世界。

流れに乗っているのか、よどみに引っかかっているのかさっぱり分かりません。


たまには自分で水を掻いてみようと思っても、その手は何故か空回りしているようにしか思えません。

方向は合っているのか?

居場所は正しいのか?

常に答えの無い問いを投げかけているような気がします。

もちろん問いに答える者などはいません。

自問自答です。


手掛かりを探しますが周囲には何も流れていません。

ただ見えないだけなのか、本当に何も無いのか、それさえも謎のままです。


でも、1つだけ確かな事があります。


時は流れ続けている。


無情な世の常ですね。


人に黙って従うのは精神的に疲れるものです。

人それぞれにプライドというものがあり、それとどう折り合いをつけるかという事との闘いです。

しかし、うまく折り合いがつけられると途端に楽になります。

それを人間的成長、成熟と呼ぶ場合もあるでしょう。



では、他人への従属から解き放たれた場合はどうでしょう。

一瞬楽になります。

でもそのうちに何も決められない、動けない自分に愕然としてしまいます。


何故でしょうか?


行動に伴う結果を担保できないからではないでしょうか。

誰も皆不幸にはなりたくない、せめて現状は維持したいという思いに駆られ、予想不可能なリスクを取ることが困難になるのです。


事業においてマーケティングやリサーチというものは特に重要です。

行動に対する結果を可能な限り予測し、リスクを最小限にする必要があるからです。


では人生においてのマーケティングやリサーチとは一体どのようなものなのでしょうか?

これがある程度できれば、より能動的に行動することが出来るのではないでしょうか?


例えば歴史に学ぶという事が挙げられると思います。

偉人伝や歴史小説などがそれに該当します。

しかし注意すべきはその物語の主人公ではなく、むしろ失敗して脱落する登場人物の方でしょう。


要は彼らは只で失敗パターンを我々に披露してくれているのです。

成功は時の運やその人の資質に依る場合も大きいですが、失敗するケースはほぼ誰の境遇にも当てはまるものです。


彼らが何故失敗したか。

何故脱落したか。


このことを注意深く歴史から学ぶ事が出来れば、自分の行動に対するリスクを論理的に減らす事が出来ると思います。


一歩先に踏み出すことが出来る人は決して人より勇気がある訳ではなく、そのあたりのリサーチを頭の中で自然に出来ている人だと思います。


歴史を知り、それを未来に生かす。


昔から言われている言葉ですが、これは産業や政治だけではなく個人の人生についても同様に当てはまるものだと思います。



何かに迷っているとき。

一歩踏み出そうとしているとき。


大概はなかなか踏ん切りがつかないものです。

それはリスクとメリットとのせめぎ合い。

希望と恐怖との熾烈な勢力争い。


前向きな自分が前面に出ているとき、人は物事の良い面だけを見ようとします。

後ろ向きな自分が前面の場合はその逆になります。


つまり、どちらにしても助成しているのは自分自身。

他人に相談する場合においても、大よそ心の中では大勢が決している場合が多く、単にあと一押しを求めているだけに過ぎないのです。


自分に抗う最大の野党は自分自身です。

常に欠点を探し続け、いざ見つかると全力で撤退を肯定してきます。


一歩を踏み出す為には、その最大野党である自分自身を強引にねじ伏せる、或いは説得して折り合いをつける必要があります。


未知を怖れ、避けようとする行動は生物の本能であり避けようがありません。

人間は獲得した強大な理性によりその本能を制御する力を持っています。


勇気とは理性から派生している感情です。

つまり、理性をより洗練させ、有効に機能させていければ未知への一歩も容易に踏み出せる可能性があります。


若い頃は好奇心という恐怖心に対するもう1つの本能が幅を利かし、未知への挑戦を容易にさせる論理が適用できます。


しかし、本能は歳とともに保守的になります。

理性は違います。

これを磨き続ける事により、歳を重ねても常に恐怖をコントロールし、挑戦し続けることが出来るのです。


理性を磨きましょう。


どうやって?

まずはそれを考える所から始める事にしますか。