地球ひろしさんからお話をいただいて、最初は躊躇したものの

earth-TVで「ノンデュアリティ」と「現実創造」(引き寄せ)の出会い」

というテーマでお話しさせていただきました。

 

自分語りが長すぎた!笑

 

(これはねー、私普段ほとんど過去のことを思い出すことがなくて

いつ何が起きたのかほとんど忘れちゃって来てたので、

インタビューされた時に慌てないようにと思って…年表を作っておいたんですよ。

なので、ついそれを見てしゃべってしまい、それ以外のことを話す時には

かえって頭が真っ白になってしまいました。)

 

 

あとで、大切なところをきちんとお話ししてなかった…と思うところがあって、

もう一度取り直したいくらいなんだけど、取りあえず忘れないうちに

自分のブログには書いておきます。

(細かい解説で、人によってはわかりにくいかもと思える
うんちく部分をいつものように色文字にしておきます。

そして、あくまでも今現在の私の世界観のシェアであり、

「これこそが真実!」みたいなスタンスで言うつもりではないです。(;´・ω・))
 

 

「ノンデュアリティ」と「現実創造」(引き寄せ)の接点について

 

どちらも(これまで自分だと思っていた)「幻想(個)のわたし」が落ちて、

「本当(全体)のわたし」が目を覚まします。

 

「これまで自分だと思っていた幻想のわたし」とは、ざっくり言うと

思考・感情・(もっと潜在的な)観念、を取り扱うマインドの活動のことです。

 

(もっと広い意味で言うと、個人の私だと認識している範囲すべて、
肉体機能の「自分の身体という感覚」等も含まれるかもしれませんが、
取りあえず生きるのに必要不可欠な部分は表現としては置いておいて)

 

この世界の根本的な「実在」を見ていくと、
一つのいのちの根源のエネルギー(ソースエネルギー)だけの

目に見えない波動の世界に行きつくんだけど
物理次元で生きる私達は、五感(視・聴・嗅・味・触)によって
目に見えない波動の世界を「翻訳」し、時空間という枠の中で認識しています。

(詳しくは「現実創造の5ステップ(4)」の記事で書いています)

 

この感覚器官がなければ私たちは世界を認識できません。

 

なので素晴らしい翻訳機能なんですが、

私達には人間特有の「知・情・意」という働き(私はこれを「マインドの働き」って呼びます)

もあって、これが機能すると、受け取った情報を脳で一次的に翻訳するだけで終わらず、

内面世界でさまざまな解釈を加え、自分独自のストーリーを創り出すんです。

 

その「ストーリー」が、本当は意味のないニュートラルな世界に

自分独自の解釈を与え、その人独自の世界観を作ります。

 

前の記事で紹介した「感情スケール」下位の、自己否定や無価値観などに基づく

ネガティブな解釈は苦しみや生きにくさを生み、

上位の愛・感謝・情熱などに基づくポジティブな解釈は
喜びや歓喜を生みます。

 

 

ところが、これらはすべてマインドの活動なので、ありのままの世界そのものではなく

あくまでも「世界をどう認識しているか」という私たちの内面世界の活動なんですね。

 

それを、すべては「幻想」であると見抜くのが、「悟り」であり、

今日本で広がっているノンデュアリティ」の概念だと言えます。

 

 

「認識」は残りますが、それはわたしという個人的が行っているのではなく、

「全体からのおこり」だと認識します。

 

個人的な解釈・ストーリーが落ちているので、そこから生じる苦しみが付いてきません。

 

 

(そのかわり「喜び」の側も落ちて虚無的になることもあります。

 

生物としての「快(心地よさ)・不快(痛み)」が無くなるわけではないけど、
そこに個人的な「苦しみ・喜び」という解釈(=幻想・ストーリー)がくっついて来なくなり、

物事があるがままに起こるのを受け入れる

(or なにも掴まないで流れるに任せる)ようになるのですが、

「空(何も無い)」にフォーカスが置かれることが空虚感に繋がるんじゃないかな?


一方、「愛が残る」という表現をすることもあります。
 

これ、「誰もいない」「なにもおきてない」「解釈が無い」世界なのに、
じゃあただの「無」「からっぽ」のはずなのに、そこに残るのを「愛」だと認識するのは
誰(なに)なんだろう?という疑問も出て来るんじゃないかな~と思ったことがあります。

それについて、私の感覚でとらえた理解をことばに表現すると
こういうことなんじゃないか(↓)と思います。


「ニュートラルな世界」は根源のいのち(ソースエネルギー)の現れであり

ソースは無限の可能性の源として、

どんな現れも許容する「背景」ともいえる静寂(=空)なので

その、「なにが立ち現れることも可能な(=どんな解釈も許す)無条件の許容度」を

「無条件の愛」と呼ぶこともできるし、
苦しみや制限からの「解放」という形で静寂に出会うと、そのなにも無さを

(苦しみの対極の)「至福」と感じるかもしれず、
その辺から「なにもない」のに「愛の中にある」という表現が出てくるのだと思います。)



しかも、話の質としては別なんですが、このへんを
バシャールが「世界はポジティブに傾いている」と表現しているのと

照らし合わせると(私的には)興味深いです。

ポジティブとネガティブの他にニュートラル(中立)のポイントがある、と。
ちょうど線分の「0」、ゼロポイントのようなイメージですね。

そこではポジティブもネガティブもどちらでも選択することができる自由があるから
その分だけポジティブに傾いている、というわけです。

全てを創造する源泉のゼロポイントの無限の可能性ゆえに

この世界がポジティブに傾いている、ってのは
すべてを許容する無条件の愛の中にある、っていう表現とどこか通じてる気がします。

 

 

さて、この「これまで自分だと思っていた幻想のわたし」が落ちるという部分を

「ノンデュアリティ」のメッセージが表現しているとしたら、

「現実創造」(引き寄せ)のメッセージは、このプロセスがうまく行く道を辿ると

「本当のわたし」が目を覚ますという部分に焦点をあてているように思えます。

 

つまり、「幻想のわたし」、思考・感情・観念に振り回されるマインドの私には

「引き寄せ」(=意図的な現実創造)はうまく行かないんです。

 

マインドのやっていることはほとんどが「抵抗」を生み出すので。


 

エイブラハムは、

今でも私たちは見えない世界(=ソースエネルギー)と繋がっている、といいます。
 

ソースエネルギーは私達の身体を「生命力」として流れていて、意識していなくても

心臓を動かし、代謝をおこなって酸素やエネルギーを細胞に取り込み

いのちを支えています。

 

その同じエネルギーは、私たちの肉体活動だけではなく精神活動にも働いていて、

それをエイブラハムはinner being(=「内なる存在」)と呼んでいます。

 

それが「ほんとうの自分」であり、すべてのインスピレーションの源でもあります。

 

私達は、マインドの働きが自分だと思い込み、

その(思考・感情・観念の)せわしない活動のおかげで

ほんとうの自分である「内なる存在」との繋がりが隠れてしまっているのですが、

エイブラハムは、「感情」というナビゲーションシステムを頼りに、

マインドを意図的に働かせて(思考・感情・観念を自分で選択することにより)

「内なる存在」の声に耳を傾け、ソースエネルギーの波動と同調しなさい、

と呼び掛けているんです。

マインドの大きくてしつこい声が止むと、「内なる存在」の声が聞こえてきます。

(乱れたエネルギーの波動が落ち着いて静かになると微細な波動が現れて来る)

また別のアプローチとして、

マインドが愛や感謝などポジティブな方向に向かうと
「内なる存在」の波動との共振共鳴が起こって、同調した結果、その声が聞こえてきます。

感情をナビとして使って高い波動にあげていく。

あるいは「内なる存在」を「本当のわたし」と感知し、マインドの嘘や虚偽を捨て、

より「本来の自分」であることにより、「純度を上げる」と表現する人もいる)
 

その時に初めて、世界と「わたし」が本来の調和を取り戻します。

 

 

「内なる存在」(=本当のわたし)のナビゲーションにより

自分(=世界を観測する側)の波動と

ソースエネルギー(=世界を創造する側)の波動が同調することで

「わたしの内面世界」(望む世界)が、ソースエネルギーの創造の働きにより

「わたしの(外側の)世界」に現れるんです。
 

ちょうど「5ステップ」(3)の記事で書いた、

見たい番組を放映しているTV局の周波数にチャンネルが合うように。



それまででもマインドを通した「望まない世界」が現れていて観測をしているという意味で
私達はいつでも自分の体験する世界を創っているといえるんですが、
波動の調整の仕方(=チャンネルの合わせ方)を知らずに
望まない番組を見ていたのが
「内なる存在」と調和する(=チャンネルが合う)ことで

望む世界を観測するようになるわけです。

 

だから、望む現実の意図的な創造プロセスは、

マインドの「幻想のわたし」から、内なる存在の「本当のわたし」への目覚め、

とも言えるんですね。

 

 

なので私の理解では、ノンデュアリティのメッセージで虚無的になっている場合は

マインドが落ちた、個人の自分という感覚が落ちた、という状態にはなっているけど

自分本来のいのちの輝き、内なる衝動に出会う、という意味で

生命力・創造の源でもある力強いソースエネルギーが流れ込んで来るのを

許していないか感じないようにしているだけなんじゃないかな~?と思います。

 

なぜなら「内なる存在」は、

物理的な肉体にとっては内側の感覚として「ある」という(存在の)感じがするので

「わたしはいない」という言葉に引っ張られ過ぎると、

自分が感じる衝動さえ「ただ起こっている」と、ひとごとのようにとらえ、

行動しない傍観者のようになってしまうかもしれないから。

 

もしそうなら、それまで「わたし」だと感じていた感覚が変わるだけなんだ、

って、「感覚のシフト」って思ったらいいんじゃないかなと思います。

(例えばマインドからハートに、とか。「個から全体に」はわかりにくいけど

こっちはピンとくる、ってこともあるんじゃないかな?その辺は個人の感覚で)

 

 

まだ創造のプロセスのステップ3までしか記事にしてないけど、

ステップ3でマインドの抵抗をなくすことにより「受け取る」技術を磨いて、

ステップ4でその生き方の達人になり(=「悟り」が定着するプロセスと同じ)

ステップ5でそれまでと全く違う見方で世界を見るようになるんですが、

それは「ノンデュアリティ」に触れて「幻想のわたし」が落ちた状態ととても良く似ています。

 

違うのは、「ノンデュアリティ」のアプローチを通して達するのはいわば

なんの解釈もない無色透明の場所で、「自分が世界に溶けてなくなる」感覚なんですが、

 

「意図的な現実創造」(引き寄せ)のアプローチを通して達するのは

ソースエネルギーの波動と同調することにより「自分と世界がひとつになる」感覚です。

 

どちらも「ソースエネルギーそのものになってる」と表現したら同じことになります。


もう少し詳しく書きたいんだけど、十分長くなっちゃったと思うので、
もし機会があったら、このへんのこともお話ししてみたいです。

では、まだ今日の記事に書いたような表現にまで至ってない喋りだけど、

よかったらYou Tubeご覧ください。

 

 

 

 

(1) (2) (3)の続きです。

 

書きたいことが別トピックで次々に浮かんでくるのにこの話が滞り過ぎてる( ;∀;)ので

ステップ3から先をどんどこ書きます。

 

ステップ3「受け取ることを許容する」① 感情のナビゲーションシステムについてです。

 

今日もうんちく部分を色文字にしておきます。 

(ひとつの事を表すのにも背後にすごい情報量があって、しかも多次元的なので

わかりやすく整理してアウトプットするのがまだどうもうまくできません・・・)


 

前回「望みのモノや状態」を物理次元で受け取るのはパラレルリアリティを

移動するようなもので、「移動のコツは周波数の同調」だと述べました。

 

つまり、波動の現実(パラレルリアリティ) にすでに存在している「望みの状態の自分」と、

時空間の物理次元に現れている「現在の状態の自分」との周波数が合えば

(=共振共鳴すれば)現実化する(=「この世は幻想」的な理解から別の言い方をすると

「望みのチャンネルの超現実3Dホログラフィ世界を観ることができる」)わけなんですが、

どうやって周波数を(別のチャンネルに)合わせるかというと、エイブラハムはこれを

「感情のナビゲーションシステムを使って波動を同調させる」と表現しています。

 

そう、チャンネル合わせには、「感情」を使うんですね!

これちょっとメカニズムを詳しく説明してみます。


 

大いなる意識の一部であり、見える次元と見えない次元の両方を生きる私たちは、

物理次元に肉体をもって現れる際に、波動の翻訳機能を備えられました。

 

例えば視覚は光の波動を受け取り、

様々な波長の違いを色の違いと翻訳して脳で「見て」います。

聴覚も音の波動(音波)を鼓膜で受け取り、

様々な音色に翻訳して脳で「聞いて」います。

 

視・聴・嗅・味・触の五つの感覚は相互に協力し合って、

本当はたったひとつの創造の源であるソースエネルギー(そしてバシャールの言う「プライム・ラディアント」(原初の光)であり「プライム・パーティクル」(原初の粒)」)

無限の周波数で動いているだけの目に見えない世界を

目に見える物理的な三次元世界に翻訳し、私たちが世界を認識するのを助けています。

 

(そして私たち自身も、肉体の身体を含めてそのエネルギーのバリエーションの一部なんですね)

 

(しつこいようですが、なのでノンデュアリティのメッセージ

「すべては幻想」「わたしはいない」「本当はなにも起きていない」

という表現が出てくるわけです。

 

つまり、「“私”はこの“個人の身体”だと思ってたのに、

物質の身体も自分がいるという感覚もマインドの解釈に過ぎなかった。

すべてはひとつのエネルギー、”全体”の現れでそれだけが実体」だというわけです。

 

ノンディュアリティに関するうんちくについて、いつか

“「わたしはいない」を知覚・体験できるのか?”

“「わたしはいない」がわからないのはなぜか?”

“存在としての「ある」と個人的意識としての「ある」”…みたいなテーマについても

「意識の次元」のお話と一緒に書いてみたいです。←というのは実は

今途中まで書いたんだけど、話が膨らみ過ぎたのでまたの機会に!)


 

ところで、物理的な感覚器官は「五感」だけだけど、それ以外の知覚により

目に見えない情報を感知する機能を「第六感」と呼んだりしますよね。

 

視力や聴力の範囲・程度が人によりいろいろであるように、第六感もいろいろで、

人によってはインスピレーション・「直感」が鋭かったり、

「霊感」と呼びたくなるほどの人並み外れた能力が音楽・美術・文学などの芸術や

発明・科学や、別の形の(いわゆるスピリチュアル系の?)情報感知に関して

開いていたり敏感だったり…その精度もまたいろいろだと思うんですが、

エスターはエイブラハムからの情報を得ている源はそれと同じ所からだ、と述べています。

 

これもいつか「意識の次元」の話と一緒に書いてみたいテーマのひとつです。

 

これは怪しいと思う人には怪しいかもだけど、

人間には一般の人知を超えたインスピレーションを受け取る機能があるかも・・・

というのはそれほど突飛な考えではないように思えます。)

 

 

で、五感の話に戻ると、

モノの温度は見ても聞いても匂いをかいでもわからないけど触るとわかる、のように、

ある感覚器官がある翻訳範囲を担っています。

 

で、「感情」は、

大いなるすべて(あるいは目に見えない「本当の自分」)の波動そのものを解釈する

「感覚器官」のひとつとして、物理次元の今の自分との関係を

感知するための「指標」として使うことができる、というわけなんですね。

 

波動領域の「望みの自分」と物理次元の「現在の自分」の波動が同調に向かうと

それは「心地よい」感情として感知され、

反対に波動の違いは不快感・ネガティブな感情と感知されます。

 

 

エイブラハムは22の指標(感情のスケール)を教えてくれています。

上へ行くほどソースに同調し(波動が高い)、下へ行くほど離れて(波動が低い)います。

 

1.喜び/気づき・知っていること/自分には力があるという感覚/自由/愛/感謝

 

2.情熱

 

3.熱意/意欲/幸福感

 

4.ポジティブな期待/信念

 

5.楽観的であること

 

6.希望

 

7.満足・現状肯定

 

8.退屈

 

9.悲観的

 

10.欲求不満・ストレス/苛立ち/焦り

 

11.打ちのめされている状態

 

12.失望・落胆

 

13.疑い

 

14.心配

 

15.非難・自責の念

 

16.挫折感

 

17.怒り

 

18.復讐心

 

19.嫌悪/憤り

 

20.嫉妬

 

21.不安/罪悪感/無価値観

 

22.恐れ/悲嘆/うつ状態/絶望/無力感・無気力


 

これ、今は紹介しただけで詳しく見ませんが、よく見るとけっこう興味深いのです。

 

例えば、「怒り」は一般的にネガティブな感情と受け取られがちですが、

「無力感」を抱いているよりは「怒り」を感じた方がソース=「本当の自分」に近く、

DVを受けている人をイメージしたらわかりやすいかもしれませんが、

無力にその場にいるよりは怒りを抱け、そこから逃れろ!というわけです。

 

もしかして「悟り」を求めて瞑想とかノンデュアリティとか学んで心が平静になっても

なにか生きる気力がわかない・・・みたいな感じがある場合は

7~8あたりをうろうろしているのかもしれません。

 

「無力感」とか「罪悪感」はかな~り下=本当の自分からはるかにかけ離れた波動なんですね。


 

で、ちょうど自動車のナビゲーションシステムが

目的地を入力するとそこに至る道を教え導いてくれるように、

感情を使って、「望みの自分」と同調しているかどうか、経路に乗っているかどうかを

修正しながら道筋を選ぶことができる、というわけです。

 

バシャールの「ワクワクすることを行う(選ぶ)」も同じですね。

エイブラハムのスケールの1~5あたりの感情はワクワク、と表現できますから。

 

ワクワクのエネルギーは、「本当の自分」のエネルギー(=ソースエネルギー)

肉体次元に翻訳されたものなので

それを指標にして「本当の自分」を生きてください、というわけです。

 

エイブラハムは、スケールを一気に上位(ワクワク)まで駆け上がることが難しい場合でも

「今自分はどう感じているのか」を大切にし、

今よりも少しでもホッとできることを選ぶよう励まし

「あなたがいい気分でいること以上に大切なことは他にない」と言っています。

 

自分の感覚で気分が良くなること、なんでもいいんだけど例えば

美味しいコーヒーをゆっくり飲む・猫と遊ぶ・花や緑を見る・かわいい雑貨店を覗く・

好きな香りの湯船につかる…など、小さな好きなこと、安心できること、

気持ちが少しでも上がることを、自分に対してしてあげる。

(そしてこれはあくまでも「自分の個人的な感覚」で、人によって違うので

そういう意味でも自分の感情がどういう時にどう動くのか、

ないがしろにしないでしっかり感じることがことが必要かも)

 

それはすなわち、自分を大切にすること、であり、心理学的アプローチで言ったら

自分を癒す、インナーチャイルドの声に耳を傾ける、自分の感情にフタをしないで

正直に感じ認める、感情を解放する…ことに通じていくのだと思います。

 

 

ところで、感情ナビはもう少し深いやり方で使えます。

 

単に「経路を示す」だけでなく、

「障害物を取り除く」「前進のための抵抗をなくす」ために使うことができるんです。

 

ステップ3.が"Art of Allowing"(Artは“技術”)と表現されているように

受け取ることを自分に許すことは、最初は「技術」として学ぶ必要があるかもしれません。

 

なんでかというと、多くの人が自分自身に受け取ることを許してないからです。

多くの場合はまったく無意識に。

 

エイブラハムは、それを「抵抗」と呼び、9月の地中海クルーズのセミナーでは、

それは「エンジンを最前列と最後尾に2つ積んだ列車が

反対方向に引き合っているようなもの」と言っていました。

 

「自然な状態なら水に浮くはずのコルクを握りしめて沈めているようなもの」とか

「川の流れに逆らって上流に向かってボートを漕ぐようなもの」と表現することもあります。

 

望みがどんなに強くても抵抗が同じだけ強ければ受け取れません。

しかも、抵抗はどんな時にも自分自身から出るし、妨げているのはたったひとり、自分しかいません。

 

なのでもし、望みのものをボルテックスに入れているのに受け取れてない気がする・・・なら、

たいていの場合はこの「(受け取る側の)抵抗」が原因です。

 

(一方、そうではない場合もあります。

波動の現実が時空間に現れるまで、タイムギャップがあるからです。

「波動の現実には瞬時に実現しているからパラレルリアリティを移動すればいいだけ~」

とは言っても、肉体が存在する世界は「時間」「空間」「重力」などの

人類共通集合意識のルールの下に機能しているので、

「時間の緩衝帯」を通り抜ける必要があります。

 

そういう場合は「旅を楽しむ」のと同じように、旅行の目的地に着くまでの景色や体験を安心して楽しんでいたらOKです。

 

なので、同じに見える状況でも、

「どんな感覚でいるか」「どんな感情を感じているか」が大事。

 

嫌な感情を感じている時はたいてい、起きている出来事に無意識にネガティブな意味づけをしてるので、この後述べる「抵抗」をなくす技術を学んで行くといいかもです。)

 

そして、私の体験で、「引き寄せの法則」(今私は「現実の意図的創造」て呼んでるけど)

の詳しい中身はほとんど知らず、「外側のものを引き寄せようと思わなくても

ただ、マインドで過去や未来についてあれこれ思い煩わず、目覚めた意識で

『いまここ』を生きてればなんの問題もないでしょ~」と思ってた時に

副産物(?)として、気がついたらいつのまにか、

それほど意識してなかったなずなのに心の望みが

ほとんどかなっちゃってる…と感じたのはおそらく、

ひたすらこの「抵抗」が無かった(あるいはかなり少なかった)からだと思います。

 

 

で、感情を「抵抗をなくす」ために使う方法ですが、私達の意識の中で感情は

観念→感情→思考パターン、というように、

無意識に思い込んでいる(とも気づかないくらい深い)観念(その人が強く信じている信条)

から出て来て、さらにそれに基づく思考パターンを作るので、

ネガティブな感情を頼りに、自分にはどんな抵抗となる観念があるのか、を探る

(&解消する)ことができますし、

「陥りがちな思考パターン」を見つけて「意識的に」変えて行くことができます。

 

これは ② 意識的な思考とフォーカス(焦点) と関係しているので、次の記事で。

 

(書いているうちに我ながらどんどんマニアックになってしまったけど、そのままアップします~(-_-;)

 

 

「ステップ1.願う」
「ステップ2.波動の世界で実現する」の続きです。

 


ステップ3.は「受け取ることを許容する」でした。
英語で言うと "Art of Allowing"(許可する技術)です。
技術なので学べます。

 

すでに波動の領域(物理次元の時空間に現象として現れる前のエネルギー状態の次元)
では実現しているあなたの「願い」が、あなたの観察する物理次元に現れるのを許す、
という段階です。

 


(これはいろんな風に表現できるので、どの表現を採用するか迷いました。
「月」はひとつでもそれを指す指(ポインター)はどの方向からでも指させるのです。
ことばはポインターで伝えたいエッセンスが「月」ですね。
なので、ポインターとしてのうんちく部分(笑)を色文字にしました。
これ以降、色文字部分が「??」だったり面倒な方は

とばして黒字の部分だけお読みくださいませ。m(__)m)

 

 

おもしろいのは、エイブラハムは「パラレルリアリティ」という言葉をそれほど頻繁に使ったり
その概念を詳細に説明したりはしていませんが、これはまさにステップ2で
波動的に実現した新しい現実(=パラレルリアリティ)に、

ステップ3で移動する、とも表現できます。

 

(実際は「移動」もなくて「知覚体験する」て方が近いのですが、
今細かい言い回しにこだわると長くなるのでその辺はしょります)

 

 

(※パラレルリアリティ=今体験している現実とは別の可能性が実現した世界で、
そのすべては「いまここ」に同時に存在しています。

 

映画の一コマ一コマに例えると、

今見ているコマも無数に存在するコマの中からひとつだけを見ているわけですが、

次のコマも無数に存在し、どのコマでも自由に選べる、というイメージで

これら並行して存在する世界を「パラレルリアリティ」と呼びます。


エネルギーの世界では、常に無限の可能性があるんだけど、

制限のある物理次元では同時に複数の体験はできないので、どれかにフォーカスを当てて
選ばれたひとつをそのひとの「現実」として体験する、ってイメージですね。


さらにこの選択は毎瞬毎瞬なされていて、「意識」がひとつのコマから

(実際には関連のない離れた)別のコマへ移って見ていく時

それは映画フィルムのコマを順番に見る時のような「連続性」と認識され、

この意識の動きが「時間」(という錯覚)を生み、しかも人類は

集合無意識の次元でこれを一定の方向に見るという合意をしているため、

時間は過去から未来へと一方向に流れるように見える、そうです。←バシャールより)

 


で、移動のコツは周波数の同調です。

 

たぶんTVの電波に例えると頭で理解しやすいかと思うんですが、

私達の目には電波は見えなくても、たった今でも、たくさんのTV局が

それぞれの番組をそれぞれの周波数帯で放送しているわけです。


日本の地デジだけでも470MHz〜578MHzの周波数領域に

13〜30チャンネルの番組が入れられるらしいけど、
BS・CS全部合わせたら数十~数百の違う番組が電波に乗って飛び交っていて、
私達は受信機のチャンネルを合わせる(=望みの周波数に合わせる)と

好きな番組を選択して見られるわけですよね。

 

それと同じ。

 

人間はエネルギー体としてそれ自体が固有の波動(=周波数)を持つ送受信機でもあるので、
波動の現実ですでに実現していること(=望みのパラレルリアリティ)に周波数が合えば
その番組を見られる(=そのパラレルリアリティに移動する)、というわけですね。

 

 

で、「見る」ことに関しては、人間はテレビと言うより

3Dホログラムを空中に投影するプロジェクターのようなもので、
目に見えない波動の領域で制作された「番組」は

ちょうど電気のようにも働く目に見えないソースエネルギーの力で
私達の時空間の「現実世界」に投影されています。

 

私達は五感を使ってその映像を見、音を聞き、なんと3Dどころか匂い・味・触感まであるので、
匂いを嗅ぎ、いろんな味を味わい、様々なモノに触れながら世界を動き回って

(しかも私に言わせたら、自然界の造形や色や景色、音楽や言語、いい香り、おいしい味わい、

スキンシップなどの触れることの心地よさなど、奇跡のような多様性と変化に富んだ美しい世界!)

さまざまな体験ができるわけですね。

 

(ノンデュアリティではこれを「すべて幻想で本当は何も起きていない」と表現したりするけど、

なんと魔法のような幻想なんでしょう、私はいのちがこんな風に現れていることに

いつも本当に感動してしまいます。 だから一層旅が好きー!)

 

 

で、ちょうど番組を制作しているのはTV局で、テレビのこっち側で受信しているように、
波動の世界で創造され(=ステップ2)、物理次元で受け取る(=ステップ3)わけだから

これを人間視点から見ると「引き寄せ」であり「現実創造」だというわけなんだけど、

・・・

でもね、これ別の観点から見ると、本当は両方とも「わたし」がやっているんです。

 


エイブラハムは私たちは目に見える物質と目に見えないエネルギーのブレンドで、
身体が目に見えない生命力に支えられているように、物質世界も

目に見えないエネルギー(創造の源であるソースエネルギー)に支えられていて、

二つの次元を切り離すことは不可能だと述べています。

 

(なので、これって「二つの次元は切り離せない=分離がない」と言う意味で
ノンデュアリティ(非二元=二つではない)のメッセージと共通するんですよね。
同じことを違う観点・違う言い方で言っているという…)

 


そして、今でも私たちの中をソースエネルギーは絶えず流れているし、
物質の身体が物理次元に存在するのと同時に、私達の一部である「内なる自分」は

見えない世界の方に存在している、とも言います。

 

「おおいなるすべて(All that is)」であるソースエネルギーが、自分自身を
物理次元に投影した、その最先端が私達ひとりひとりだ、というわけです。

 

 

「物質の身体として現れている私」はもちろん「わたし」なんですが、
波動の次元にいてより大きな視野を持つ「目に見えないソースエネルギーとしての私」も「わたし」、

しかも「本当のわたし」であり、二つの「わたし」はまったく分離していない同じもので、
その繋がりを私たちは「内なる存在」として感じている、と言うんですね。

 

この分離していない、目に見える物質と目に見えないエネルギーの「わたし」は、
創造者として自分自身を表現し、観察者として自分自身を知り、体験しています。

 

 

なのでステップ1~3でやっていることはちょうど番組の1企画・2制作・3鑑賞のようなもの。
つまり、
1企画 物質のわたしが二元のコントラストの世界を探検し、その体験から「望み」を生み「意図」し
2制作 波動のわたしが無限の可能性のあるエネルギーの世界で望みの現実を創り出し
3鑑賞 物質のわたしが時空間の三次元で「内なる波動」を反映した現実世界を体験する
…ってことになります。

 

なので、本当は全部自分がやっている、とも言えるの。


物理次元の自分と、ソースエネルギーである大いなる「本当の自分」とが、
共同創造を楽しんでいるのが私達が体験している世界なんですね。

 

 

別の言い方をすると、物理次元のわたしは、「おおいなるすべて」の無限の可能性を
ひとつにフォーカスさせ凝縮させ出現させる機能と、現実化した体験を味わう機能を持っていて、
(そしてそれを波動次元の私も「内なる存在」として一緒に味わい体験していて)
それにより「おおいなるすべて」に絶えず新たな視点や体験を加え、

宇宙は拡大成長しているわけです。

 

また、無限の可能性のひとつひとつを現象化させ体験し味わうために

たくさんの「物理次元のわたし」達が出現しているように見えるけど

(60億人以上、いやもっと大勢の人間に分かれているように見えるけど)
すべては一つの源、いのち、ソースエネルギー、「おおいなるすべて」、神、ワンネス…
いろんな表現ができて何と呼んでもいいんだけど、いわゆる「全体」の現れなんですね。


つまりどの「わたし」も世界と分離していないんです。


全体がそれぞれの「わたし」として現れているのであり、

「わたし」はすべてを満たす全体でもあるんですね。

それはちょうど一本の大きな木(全体)とたくさんの葉(個)のようでもあり

ひとつの海とそこに無数に現れては消える波のようでもあります。

 

なのでノンデュアリティのメッセージで「わたしはいない」「分離は無い」という表現が出てくるんですが

私の感覚では分離と言うより、無限の可能性の無限の側面が

物理次元に現象化して現れた結果、多様性や個性化が起こっている、という感じです。

(しかもそれが全体の表現、やりたいこと、なんです)

 

そして、個性化して現れたひとりひとりは他の誰とも違う、世界にただひとつの現れであり、

これまでの歴史にもいまだかつて現れたことのない初めての現象、なんです。

 

・・・あなたのことですよ!笑

 

ちょっとストーリーになりますが、ノンデュアリティのメッセージに触れた人に

時に「無力感」が起こる、ってことを思い出して付け加えたくなったのでこれも書いておきます。

 

この時空間に生まれた時に目を開いて、あなたの宇宙は始まりました。

(そういう意味で一人にひとつ宇宙があると言えます。この宇宙は肉体を離れる時に閉じます)

 

それからいろんな体験をし、感じ、考えてきたそのあなたしか知らないストーリーや内面世界は

今ある世界すべての中にも、これまでの歴史の中にも、一つとして同じものがない唯一独自のもので

内なる存在であるソースはあなたと一緒にそのすべてを体験し、味わい、

その記録が宇宙に新たに書き加えられ、そうやって宇宙は拡大しています。

その、拡大の最先端にあなたはいて、そこに無限のソースエネルギー(生命力)が流れ込んでいます。

別の言い方をしたらあなたという現れが無かったらソースはそれを体験できませんでした。

 

だから、「無価値観」なんてのは(マインドの)幻想で、あなたは、私達は誰も、

生まれただけで、そのままで価値があるんです。

 

「わたしはいない」「誰も生まれていない」のはある一つの視点から真実だけど、

このように時空間に現れているソースの視点からすると、誰とも違うあなたがいること、

その体験は、内面世界で起きたことも含めてすべて、かけがえのないもので、貴重です。

 


もうひとつ別の表現のしかたも付け加えておきます。

 

エネルギーの「波動の世界」は般若心経で言う「空即是色」の「空」とも言える目に見えない世界、
「物理次元」は「色」とも言える目に見える現象世界、と表現することもできて、
「色即是空」(物質の本質は空でありなにもない)と同時に
「空即是色」(空はそのまま物質現象となって表れている)と言えるわけですが、
これも物理次元と空(エネルギー次元)は不可分のもの(=二つでない=非二元)であるという点で
ノンデュアリティに繋がる表現だと思います。

 

物質の最小単位である素粒子は「波」(=エネルギー)の性質と「粒」(=物質)の性質の
両方を持っていて、光も「波」と「粒」の両方の性質を持ちます。

 

なので、私たち自身も「波」(=波動、エネルギー体)であり「粒」(=肉体)であり
私達のいる世界も「波」(=波動、エネルギーの世界)であり「粒」(=物質世界)であり、
目に見えないソースエネルギーとして「空」の世界にいる「本当のわたし」が
その一部を目に見える肉体として三次元の物理次元に投影させてはいるけど、
同じひとつの「わたし」であり、まったく分離してなくて
「いまここ」という時空を超えたすべてを満たしている、というのが今の私の感覚に近いです。

 

 

そしてさらに、そのどちらも「The one」(=ただひとつの「ある」)から立ち上がっている感覚で
この、生まれた時から誰にでも胸の奥(?本当は場所はわからないけど)にある

「ある」という存在の感覚が、「個人の私」という錯覚を生んでいるんだろうな~と思います。


本当は個人的なものではなくて、存在すべての根底にある「ある」という感覚なんだろうな。


私にはハートに感じられて、それが「内なる存在」(=大いなるすべて、ソース)との

繋がりのようにも感じられます。

 

 

…と、最後はマニアックな記述になってしまいました・・・。


きっと、書き始めるとこうなる気がして(笑)なかなか書けないでいたんだな~。(-_-;)

 


まだまだまさかのステップ3のとっかかり部分にいますが、もう好きに書いて行きます。笑