今年は、区の常会長です。
区といっても、戸数30戸くらいの小さい区で、我村では最少の区です。
一昨年は、区長を務めましたが、戸数が少ないために、一生に一度ないしは二度区長が回ってきます。そして、二年に一度くらいは、何らかの区の役を勤めなければなりません。
私の区長の時は、区の規約の改正や、区所有の土地の名義変更などの課題があり苦労しました。
今年の課題は、区の50周年記念事業として、記念誌を発行しなければならず、常会長としても、その責任の一旦を担わなければなりません。一年では無理ではないかということで、二年あるいは三年がかりで発行するという計画になりました。
また、我区から民生委員を選出すると言う課題も、今年の大きい課題です。
明日、14日は、「どんど焼き」といって、公民館の庭で、夜六時から焚火をして、今年1年の健康と家庭の幸せを祈願する行事で、その役員にもなっています。
区の記念誌の準備では、昨年、村の補助で、区の公民館に大きいプラズマテレビを購入したので、そのテレビにパソコンを接続して編集する為にパソコンと、また写真などの資料を保存し、出版社に提出するためにスキャナーを区の予算で購入することを私が提案しました。それらを21日の区総会にて、案件として提案することになっています。アメブロの記事の投稿で、ある程度鍛えたパソコン入力の能力が役にたてばいいなと思います。
私の区は、戦後、開拓入植した区で、当初の区の名称は「新光開拓農業共同組合」という名前でした。今から50年前ですが、その当時も30戸くらいで、現在も30戸くらいということで、戸数の変化はほとんどありません。区の農地が、農業振興指定地域になっている為、農地以外の転用がなかなか認められないことと、戸数が少なく、また地形的に人家毎が離れていて、採算ベースに乗らないということで、下水道の計画地域外になっている為、新たな住居がなかなか建たらないというのが現状です。
私の幼少の頃には、舗装道路などは全くなく、砂利さえも敷かれていず、赤土の道路の部分もありました。現在は、区の近くに中央道のインターチェンジが出来、隔世の感があります。現在も、高原野菜の産地で、農業の振興地域です。今年も、一年、常会長として、区のために頑張りたいと思います。
Today's Top News '07.01.12
Officials in Miyazaki Prefecture are investigating a possible bird flu outbreak at a local poultry farm.
- プロフェッショナル 仕事の流儀 英語講師 竹岡広信の仕事 “なにくそ!”負けたらあかん
- ¥3,307
- Amazon.co.jp
- 3か月トピック英会話 1日まるごと英語で話そう! DVDセット
- ¥8,269
- Amazon.co.jp
拉致問題や核開発の問題の北朝鮮の情況は、東南アジアはもとより、全世界的にも極めて深刻な問題かもしれません。
つまり、そこでは、私の心理学的概念の一つである、「逆エネルギーの圧迫」という情況があるからです。逆エネルギーの圧迫とは、ある一つの問題のある状況が、健全な方向に近づくと、かえってそれを阻止するような逆のエネルギーの圧迫が、内部から生じるという現象です。
つまり、北朝鮮が拉致という犯罪をしたという情況が、北朝鮮の治安や食料情況や経済状況、あるいは体制の情況が健全な情況に近づくと、かえってその犯罪を指揮した指導者が糾弾されることになり、その危機感から、かえってその体制が健全な方向に近づくのを拒否する衝動が内部的に、特に指導者の心理の中で働くのではないだろうか?
おそらく、このような情況は、現体制が続く限り強固に堅持されるものであり、これを打破するには、国際社会は、北朝鮮という国を丸ごと、保護育成するような、マクロ的な対応が求められるのではないでしょうか? 最悪の場合には、国際社会が一丸となって現体制を一気に崩壊させるしかない情況になる可能性もあります。
イラクのフセイン政権も、かってはこの「逆エネルギーの圧迫」の情況にあったのではないでしょうか?
その意味では、ブッシュ政権によるイラク侵攻は、その評価はいろいろあるかと思いますが、しかし、長い歴史的にみると、このような進攻による開放しかなかったのかもしれません。つまり、いずれ、北朝鮮においてイラクと全く同じ情況が生じる可能性を否定できないのではないでしょうか? それほど、北朝鮮朝鮮問題は深刻な自己矛盾の情況にあると思われ、これに対置し、その拉致家族の開放運動をしている人々に課せられてる潜在的な負担は、おそらく、その家族の人々さえ気付かないほど大きいものかもしれません。
いずれにしても、北朝鮮がこのまま核開発を続け、その脅威が現実的な脅威となったと判断された時が、タイムリミットになるのではないでしょうか? その場合、日本の米軍基地も重要な戦略ポイントになり、否応なく、少なくも北朝鮮にとっての戦闘地域に日本が入ることになるのではないでしょうか? つまり、現在の情況はそこまで読む必要があるのであり、実際に日米両国は、すでに検討しているのではないでしょうか? そうならないように、ただ祈るばかりです。
最も好ましい情況は、良い意味での逆エネルギーの圧迫が、北朝鮮の国内から生じ、クーデターなどの内部崩壊よって新たな情況が生まれることです。しかし、その芽を徹底的に押さえ込んだのがフセイン政権であったことを考えると、その壁が、北朝鮮においてどのように進展すのか見守るしかありません。
勿論、最後に残されているーと言うか本来はそれが一番目の最も好ましい解決策としての、現指導者自身の猛省による情況の健全化ということも祈ることにしましょう。
私の拙いギター演奏
副題「正常な現実社会からラインアウトするほどのストレスを、健全な手段で解消し、ミラクル的に心を癒し落ち着かせる為の演奏」
うむ~ 知る人ぞしる(私しか分かりませんが)複雑な心理学です。
超快楽ギター?
これだけでは不備です。つまり、現実社会からラインアウトするほどのストレスがある場合、仮に、私の超快楽ギターなるものが、ある効果を生むとしても、しかし、それは、自分の相当の労力をともなう努力を必要とします。
それでは、超過重なストレスがかかっている場合、瞬時にそのストレスを開放するには、時間と労力がかかり過ぎます。
つまり、ストレスを解消する場合、このような自力的超快楽手段の他に、ペアーな要素としての、完全他力的超快楽が必要なのかもしれません。アイデンティティの心理学的な方程式としてもー
当面のその、完全他力的にして健全な超快楽を得るために、以前より提唱している5賢女のイメージを瞬時に思いめぐらし、つまり、理想としては5人、あるいは複数の聡明な女性のイメージを融合することによる、健全にして、極めて中和された良識的世界の安堵感なる超快楽を得るようにしてみます。
それにしても、50歳を過ぎた私が、このようなことでまだ模索していることが情けないことです。
思うに、私の提唱する「地球物理学的大自然心理学」なる概念が有効であるとすれば、地球という健全な精神のモデルとしても有効な惑星において、その地表の自然や生物の進化の一方で、地球自身のストレスの発散というものがバランス的に起こっていると考えることが出来るのではないでしょうか?
私の、超快楽ギター的、自力のストレスの発散は、地球の火山、地震などの運動であり、一方、5賢女イメージの融合による良識的世界の安堵感なる超快楽の完全他力的ストレスの発散は、月の引力による海面の潮汐作用と考えてもいいのでないだろうか。つまり、おおざっぱに見て、地球は、その地表の自然、生物の進化が、2つのストレスとしての自力的超快楽(火山、地震)と完全他力的超快楽(月の引力による潮汐作用)とのバランスの上に成立しているのではないかとの仮説を提示するものです。そして、その証明は、私自身において実証されることになるでしょうー
うむ~ 難しい、と言うか、分かりにくいというか、自分で書いていてもそう思います。このような心理学が私自身の中でも把握できて、機能しているのかー なんとも言えませんが、いずれにしても、このような心理学を必要としているということ自体、きわめて稀有な深刻な運命に翻弄されているということは言えるでしょう。
つまり、地球物理学的大自然心理学において、地殻を理性にたとえるなら、もし、火山というストレス発散が出来なければ、おそらく、地殻のプレート移動は、非常に過敏なものになり、その過敏さの中では、地表の自然や生物の進化は出来なかったかもしれません。その意味では、火山活動(ストレスの発散)と地殻のプレートの安定(理性の安定)ということは表裏一体の密接な関係にあるのかもしれません。
また、月の引力による潮汐作用がなければ、海面は淀んだものになり、生物の進化は現在のように出来なかったかもしれまん。特に、地表の水の動きの、海面から蒸発し雲になり、雨となって地表に降り、川になってまた海に流れる循環は、私の提唱する純なる生の力と心理学的には理解できるのであり、その海面が淀んでいたのでは、純なる生の力としての、特に理性的な「本当の私からの声」も淀んだものになるのではないでしょうか? その意味で、複数の賢女のイメージを融合する良識的世界の安堵感なる快楽によって、自分の心に潮汐作用が起こる時、自分の心は澄んで、本当の私からの声と純なる生の力としてのリビドーが生じてくるのではないでしょうか?
ここに来て、転職することになりました。今やっている仕事は、建築の解体で、これは3Kの代表的な仕事でした。汚い、キツイ、危険ということですが、しかし、自分としては、この年でこの過酷な仕事に従事していることに、逆プライドをもっていましたがー
賃金がいま一ということで、転職することになりました。
今度の仕事は、土木工事の現場代人ということですが、これも、大変な仕事です。もともと、あまり頭を使う仕事は不得手でしたが、また、少しというか、私としては、相当に頭とそして体も解体と同じ位使うことになると思います。勤まるかどうか自信と不安と半々位と言いたい所ですが、自信はほとんどありません。 しかし、生活の為には、今まで放蕩三昧なことをしてきた自分としては 、やるしかないでしょうー
ただ、いわゆる後天的進化ということから言いますと、以前、土木の代人をしていた時よりは、様々な能力の総合力で進化している部分があるので、その部分の可能性に賭けるしかありません。
それにしても、誰かこの年で、私を使ってくれるところはないかーと、それを祈るように般若心経を写経していた所、突然ある友人から電話があり、その紹介してくれる会社社長の携帯の電話番号を、無意識にその写経した紙の上に書いていたということで、従来から私のブログで一貫している神との対話があったということを又記しておきます。ーまともに聞く人は、ほとんどいないと思いますがー
2006年12月30日、自分のギター演奏のレベルが「超快楽ギター」レベルに到達した!
この場合、人が、第三者がどのように判断し、評価するかということはいっさい関係ありません。事実、人前ではいっさい演奏していませんし、当面その意志も予定もありません。
問題は、自分が、自己陶酔的に、妄想的にでもかまいませんが、「これは超快楽ギターだ!」と納得できるかどうかということです。
43歳からギターをはじめて、今年で57歳ー 14年かかりました。その間に、大学ノート54冊の運指の研究を独学で行い、最初にギターを弾くきっかけになった、あの伝説的なジャズギタリストのジョー・パスと同じ奏法を求めての研究でした。そのジョー・パス奏法とほとんど同じものを自分のものに出来たという実感に到達したということです。
私は、何故、「超快楽ギター」なるものを必要としていたのだろう? とあらためて自問自答してみます。
つまり、具体的に公言はできないものの、天性というか、生来というか、あるいは運命的というか、因縁というか、自分の人生と生活環境が極限状況のストレスを生む環境の下に生まれ、そのストレスの発散手段として、放蕩や、あるいは、犯罪的な行為ではなく、正当な手段での発散方法が必要だったということだと思います。その正当な手段としの「超快楽ギター」に到達するのに、57歳までかかってしまったということです。情けない話です。
その間、今日までの間に、そのストレスの発散の為、ずいぶんと背徳的な行為もしてきましたし、危ない橋も渡ってきました。しかし、今、ようやく、正当な手段でストレスの発散が出来そうです。おそらく、他人には、私が今書いている内容が良く分からない程の特異な精神状況だと思います。いずれ、自然のなりゆきの中で(あえて積極的に画策する余裕はありませんがー)この超快楽ギターを、私と同じように、 「ストレスを発散するのに、通常の生活環境の中では限界があり、社会生活の規範からラインアウトする危険性のある人々の役にたてるものにできればー」と思っていますがー それは、出来ても大分先の話になると思いますがー
区の神社の鳥居での初日の出
今年は、私にとって、知る人ぞ知る(私しか知りませんがー)特別の年です。
果たして、人生の再生が出来るのか否か?
果たして、今年の暮れに、このブログと私が存在しているのかいないのか?
精神的解脱の為に様々な努力をし、様々な手段と心理学的概念を駆使した上で、しかし、ある程度の努力の限界に直面した場合、最後の手段は、いっさいの付帯事項や条件、あるいは前段階的手段、補助的手段をいっさい使わず、それらは完全100%ゼロにして、ただ、最も原初的な「こうありたいー」という願いだけで、直接、無条件の自然の自分の心身の総力の後天的進化力にまかせることだと思います。
つまり、それまで培ったすぺての手段や概念は、それを覚える記憶するという形で、自分の潜在意識に完全に移譲し、その上で、顕在意識では、もはやいっさいの付帯条件や、補助的条件をつけずに、ただ、自然に願うこと、直、自然の自分の後天的進化力に任せることを、繰り返し繰り返し試技し続けることです。
つまり、補助的手段を設けると、その補助的手段の達成度や、あるいは、実存的な潜在的能力が、そのまま後天的進化力の無限の可能性に制約を与えてしまうことになります。そうではなく、いっさいの補助的手段を放棄し、ただ、「こうありたい!」と願い続けることで、自然の後天的進化力によって、ある時期、奇跡的にその能力が備わる可能性があります。
おそらく、人類の文字文明において、この「後天的進化」という言葉あるいは概念ほど光り輝く言葉を、少なくも私は知りません。
たとえば、農業において、ある種の害虫に対して、それを駆除する農薬を開発しても、数年でそれに耐性をもった害虫が出てくるといいます。人間の人生は、数年なんてものではありません。数十年であり、場合によっては百年です。たとえば、四十歳からでも平均寿命までは、約40年もあります。その間に、ただひたすら願い続け、努力し続けるならば、人間はその心も体も自然に無条件に自然の順応力で進化するのではないだろうか? 少なくも、そのような考え方あるいは仮定には、理論的に否定出来ない正当性と可能性があるーということが重要です。
ある程度、これは何も精神的な解脱に限らず、自分が「こうありたいー」と願って、様々な努力をしてもどうしても達成されないある限界、それは、時間的限界であるかもしれませんし、経済的限界であるかもしれませんし、能力的限界であるかもしれませんが、その時は、もういっさいの付帯条件を放棄し、ただ、願い一つで試技し続けることで、自然の後天的進化力にまかせてみてはどうでしょうか? 勿論それは、1回や2回の試技ではなく、場合によっては数万回の試技かもしれませんがー 諦めずに! ![]()
![]()
雪が降った時だけ、浮かび上がる八ケ岳連峰の編笠岳西斜面の不思議な図形です。
いわゆる「反転しなさい」という私たちが日常的に用いている図形です。
今でも、私は、この写真をとりながら、とても偶然に出来たとは思えないのです。
はたして、私が主張するように、八ケ岳の人面山(ブログ記事ー電子書籍「八ケ岳人面山の秘密」参照)と関係があるのではないかという説に対して、第三者から何らかの情報提供があることを待っています。
編笠岳図形の現地の写真です。






