わたしたちは どう生きるか? | 自閉症、発達障がいのお子さんの気持ちがわかるキネシオロジー

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言葉が遅い、出てこない、話すのが苦手!でも、お子さんは伝えたい言葉をもっていて、それを伝えようとしています。その言葉を受信するには、まずはかかわる人が、素直に受けとめる準備をすること♪自分と仲良くなるセラピーを提供しています。

ちょっと前の

8月末のある水曜日。


友達にパンを焼いて

送ろうと思っていて

その仕込みを家でしてました。


あと1種類

何か作りたいわと思ってたけど

粉切れーーーーーー!


うーん

うちにある粉を使えば

何か出来なくはない。


だけどなんか違う。

そのお友達にぴったり来る

パンを作るには

粉が必要。


買いに行くなら

天王寺?難波?


でもそれだけで

難波やら天王寺に行くのは面倒


でもでも

このへんで

国産の強力粉買うところはない。


そうか水曜日といえば

イコール

映画が安い。


そういや

観に行きたい映画が

あったわと思い


時間調べたら

なんとちょうどいい時間に

上映あり。


決まりだな。


というわけで行ってみた♡


前もって

予定を立てるのもいい。


だけど

こういう思いつきを

大事にしたい自分もいる。


思いつきって

見えないところから

ぽん、と来ている。


自分が観たいよ、と

なんとなく思って 

空間に投げといて

宇宙でもいいけどね


それを

受け取ってる感じです。


この日観たのは


「君たちはどう生きるか」


ご覧になった方も

多いかと思います。


ぶっちゃけて一言で言うと


宇宙の秘密が

あるとするなら

宮崎駿さんは

やっぱり全部知ってる。


再確認だけど

そう思った。


読んでも

ネタバレには

ならないと思いますが

でもこれから観たい人は

氣をつけて読んでね♡


いつもながら

全く予備情報を入れないままに

映画に行ったわけだけど


宮崎駿さんの

少年時代の体験が

元になっていると聞いて


やっぱりーーー!


と思った。


死んだら終わりでは無い

ということ


この世は

写し鏡で虚像。

目に見えない世界の方が

本物かもしれなくて

それは

確かに存在するということ。


ドアで異次元への

行き来が

出来るということもそうだし


過去から未来へ流れるのが

当たり前と思われがちな

時間軸も

実は

一定方向の

流れだけでは無いということ


そーゆーの

全部分かってないと

描けないよなーと思った。


文字通り

魅入られて

(身入られて)

観てました。


アタマで感じるのではなくて

細胞が「分かってる」感覚が

確かにあった。


これは

ファンタジーでも

フィクションでも無くて

ほんとうのことだ。


鑑賞後 

前を歩いてたカップルの

男子の方が話してたのが

偶然聞こえてきたのだけど


君たちはどう生きる、という

投げかけ的な

映画ではなかったね、

と話してた。


その人が

わかってないとか

そんなふうには思わないけど

アタマで観てたら

確かにテーマは

わかりにくいかも。


いわゆる

勧善懲悪では無いし。


主人公の

眞人くんの生きざまが 

メッセージとして

何かを伝えているのだとすれば


それは


アタマで考えるな。


とか


常識とされることよりも

今自分が

湧き上がるように

したいことを

大切にしなさい。


ってことでしかない。


だって

次々と巻き起こる

スピードが速すぎて

何を選ぶか?

どう生きるか?

考えてる暇はない。


ほとんど

直感なんだよね。


アニメだから

スピードが速そうに思うけど


いざ

現実に置き換えてみると


わたしたちが

何かを選択するときの

スピード感って

実はこんな速いんだろうね。


無意識だけど

わたしたち

毎日毎瞬

選択してるんだよね。  


だから

何を選ぶかが大事で


その選択が

自分の感覚と

大きくかけ離れて 


たとえば

自分はさておき

誰かがこう言ったから、とか

社会的な通念やら常識やら

外側の基準を

自分の選択の基準にしてしまい


それが積み重なっていくと

修正不可能になってしまう。


修正不可能になったとしても

もちろん

修正可能ではあるんだけど


もうこの歳になると

その遠回りが

もったいないよね笑


だから

何があっても

わたしを置き去りにしない。


そう思いながら

生きているかな♬


この映画を観た後に

「君たちはどう生きるか」を

読みました。



ジュニア版で

字が大きくて

ふりがなもついてて


若い頃は

おそらく


子ども向けなんて!笑と


要らないプライドが邪魔して

絶対に選ばなかっただろうけど


ぶっちゃけ

読みやすさが一番!


わたしの中に

素直に入ってきました。

それがなにより

重要なんだよね。


映画の中で

眞人くんが

この本を読んで

涙して


それから物語が

加速して行ったから

どんなことを

書いてるんだろう?って

思ったんだよね。


一時話題になったときは

見向きもしなかったけど。


時間をかけて

ゆっくりと読んで、、


昔のわたしが読んでたら

いかにも道徳の教科書に

書いてそうなことで

素直に

受け入れられなかったと思う。


で。


そもそも真っ先に

こう感じてしまうことが

わたしが

勝手に思い込んでいる

呪文?なのかもと思った。


正しいことを

することはダサい。


点取り?

評価されたい?


正義なんて

ドラマの中だけ。


逆に

ヤバい奴とか思われる。


いい子ちゃんとも

思われたくない。


だから

胸に秘めとこう。


目立たず騒がず

みんなと一緒にしないと。


今振り返れば

いいおばちゃんになるまで

そんなことを

ずーっとそう思って

生きてきたし


なんなら

まだこういう思い込みは

細胞に染み付いて

残っているかと思う。


そして

この思い込みこそが

呪縛であり

わたしを

素直さから遠ざけてた。


そして

わたしを

わたしらしさから

遠ざけてた。


きっとこれは

わたしだけではないよね。


そう思ったとき

愕然としたよ。


わたしたちが

当たり前のように

刷り込まれてきたものの

大きさに。


だってそれが

すなわち


自分が何であるか

わからなくさせ

自己肯定感を剥ぎ取られ

いじめや同調圧力など

今の日本の社会に巣食う

根っこの部分に

繋がっているわけだから。。。


別に

正しいことを

しなくてもいい。


世間的に正しいことが

イコール

正しいことではないから


そこもしっかり見極め

十分に情報も見聞きした上で

入れた上で


どうしたいか

自分が決めて動くことの大切さ。


そこを 

この本から読み取りました。


この本は

日本が太平洋戦争中は

発刊されなかったそうだけど


そりゃそうだよね。

お国の非常時

従順な国民を育成するには

悪書だと

お国は判断したのでしょう。


そして

戦後になって

発刊されたときには


もうすでに

子どもたちは


目の前にある

キラキラしたアイドルやら

スポーツに夢中で

正義はダサいと

道徳はかったるいと

刷り込まれてた。


それが今も

続いているんだもんね。


この本が脚光を浴び

映画が世に出てきたのは

必要だからだと思うし


これからの日本を

素敵な国にしていくには

ほんとにみんなが

「わたしらしく」

生きることしかないのだと

思わされるなぁ。


うーん

もう一度観たい♡