みんな必要だから存在してる | 自閉症、発達障がいのお子さんの気持ちがわかるキネシオロジー

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言葉が遅い、出てこない、話すのが苦手!でも、お子さんは伝えたい言葉をもっていて、それを伝えようとしています。その言葉を受信するには、まずはかかわる人が、素直に受けとめる準備をすること♪自分と仲良くなるセラピーを提供しています。

実家に帰ってきて

はや4日目。


涼しいのに暑い

そんな変な天氣な札幌


そりゃ

大阪の比にはならないし


風は秋なんだけど

暑さが依然として残ってる


これが北国の

今までの季節と違い

余計にしんどさを感じます。


そんなわけで

母もバテ氣味で

夜の眠りが浅く

メンタルも

やられてきた感じです。


先日は

きょうだいの配偶者に対して

あんたの対応に棘を感じる、

わたしに突っかかってきた。


確かにその人のことは

あまり好きではないというか

はっきり言えば嫌い。

態度に

出ていたのかもしれないけど


別に普通通り

関わりを持っていると

わたしは思ってたし


母に

「あんたの言い方が

キツく感じるし

向こうもそう思ってると思う。

もっと優しい物言いが

出来ないのか」まで言われて


確かにその人のことは

嫌いだけど

家族だし

きちんと対応はしてるんだから

それでいいでしょ、と

話を打ち切った。


嫌いっていうのが

そんなに

いけないことなのか?


と思う。


昔のわたしなら

嫌いな人はいてはいけない。

嫌いな人がいるとするなら

それは

自分が未熟な証拠だと思って

自分を責めたりしてた。


そして

嫌いな人がいると

その人が頭の中を占めてしまい

その人と話をすることはおろか

その場にいることさえも

嫌で仕方なかった。

受け入れられなかった。


そういう面で行くと

知らずのうちに

だいぶ変わったかも。

というか

図太くなっただけかも笑


確かに

嫌いな人がいるということは

自分が未熟というか

人間が出来てないから、

とは思う。


でも

自分の中の未熟さを

否定したり恥じたりするのではなく

認められるようになってからは

最初はそんな未熟な自分を

認めるのが嫌だったけど


嫌いということは

その人の言動が

自分の内側の何かに

反応しているからであり

あくまでわたしの側の話。


だからわたしは

その人ではなく

自分の内側を

見つめることが

出来ればいいし


そんな自分に氣づけば

相手のことが

嫌いでなくなる

可能性はあるとも思う。


相手が自分にとって

密な相手で

自分の中のその人と

向き合う必要が出てきたら

すればいいけど

今は緊急では無いから

自分の中で泳がせてる。


それに今は


嫌いだからと言って

その人のことを

否定してるわけじゃない。


昔は

嫌いイコール

相手の存在を

否定してたと思う笑


でも今は

わたしがその人を

嫌いだとしても

誰かにとっては

大好きな大切な人で 

あることには間違いなく


その人も

わたしの大好きな人と

同じように

わたしにとって

學びをもたらしてくれる

必要な人であることは

変わらない。


そこが

自分で分かっているので

別に嫌いは嫌いでも良いのだ、と

思ってるし


とはいえ家族だし

今は

親の面倒を見てもらうことも

結構あるし


関わりを持つことは必須だから

最低限

かがわりももってるし

言うべきことは言っているし

お願いすべきところはしている。

それに対して

迅速かつ適切に

動いてくれてるし

有難いなとも思っている。


母いわく

その感謝が

わたしの言い方では

相手に伝わってないように思う、

とのことだろうけど


そこ

必要以上に

やらなきゃダメなのか?


と思っちゃうのよね。


まぁ

感謝は

自分の中に納めず

相手に言葉で伝えようと思う。


それが

受け入れられるかどうかは

その人次第と思ってますから

自分のやり方で良しとする。


ここまで書きながら


家の暑さ対策のことで

この方に相談があって

(この方のお父様が大工さん)

メールしたら


早速動いてくれて

すぐに返信が来ました。


そういうところは

この人の素敵なところだと

常々思っているので

ありがたいなぁと

すぐに

感謝を伝えました。


そう。


だから

嫌いでも良いのだ。


相手のせいでは無いし

自分のせいでも無い。


それがわかっていればいい。