生きる、ってなんなのか | 自閉症、発達障がいのお子さんの気持ちがわかるキネシオロジー

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言葉が遅い、出てこない、話すのが苦手!でも、お子さんは伝えたい言葉をもっていて、それを伝えようとしています。その言葉を受信するには、まずはかかわる人が、素直に受けとめる準備をすること♪自分と仲良くなるセラピーを提供しています。

めちゃテーマが
重いかもですが
きっと内容は重くないです
たぶん。笑

北海道の実家に住んでる
わたしの父のことなんですが

最近
ものすごく体が弱り
心もそれに伴い弱り

もう
いつ死んでもいいって
言うようになりました。

楽しいことは?

って聞いたら

あまり
それも無いみたいで。

この前実家に帰ったときに
父を観察してたんですが

父が
楽しんで観ていたのは
テレビの
相撲観戦くらいかなぁ。

そんな父を
目の当たりにして
なんかいろいろなことを
思いました。

少し前のわたしなら

いくら心と体が
きついからって
楽しいことが無いなんて
ありえないでしょ!

って思って

なんとか
父を励まして
楽しいことを探しなさいと
こんこんと
言い続けてたかも。

結局それは
「楽しそうな父を見たい」
という
単なる自分のエゴだと
今は思っているから
もうやらないのだけどね。

自由にならない
自分の心と体。

そんなのを
体感したことが無いから

楽しいことが無い
いつ死んでも良い、っていう
父の気持ちなんて
わかるわけが無いんだよ。

今なら。

自ら命を終わらせたくなる
人の気持ちも
うっすら
理解できる氣がする。
ちなみに

自死はダメ!
絶対!
悪!

とは
わたしは必ずしも
思ってないから。
自分がするかどうかは
別だけどね。

生きる、って
よく
生かされていることだ
というけれども

ほんと
そういうことなんだな、
って思った。

わたしたちの世界は
わたしたちの
日々の選択で
成り立っている。

そう思っているから

父は
「自由にならない心と体」を
選択してるんだな、
とは思うのだけど
今までの
自分の設定を超えてる。

わたしの中の
イノチ
死生観といったものが
拡がっていく。

肉親の不調は
わたしにとって
楽しいものでは無いけども

魂にとって
必要な学びだと
魂が主張してるのがわかる。

二極では
到底分からない世界。

またひとつ
自分の設定やら
自分の枠が
どんどん拡がっている爆笑

そんなわたしは
父に

人は必ず死ぬし
それをいつにするか
選ぶのは
お父さんの選択だけど
今のままだと
なんか
もったいないという氣がする

しっかりと心から
目を離さずにいてほしいな、

というようなことを
話してきたけど

なんだか
わたしの言葉が
とても心に残ったんだって。

父に変わってほしくて
言ったわけじゃないけど

素直な自分の気持ちを
言葉にして
言えてよかったなぁ