二極に苦しむ方と 苦しんでいた過去のわたしへ。 | 自閉症、発達障がいのお子さんの気持ちがわかるキネシオロジー

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言葉が遅い、出てこない、話すのが苦手!でも、お子さんは伝えたい言葉をもっていて、それを伝えようとしています。その言葉を受信するには、まずはかかわる人が、素直に受けとめる準備をすること♪自分と仲良くなるセラピーを提供しています。

去年の今頃

わたしはまさに

二極にハマっていた。

 

正義の存在に期待し

悪を憎み

 

真実を知りたいと思い

嘘は排除していきたかった

 

分かってくれない人は

自分にとっての悪で

次々と縁を切っていこうとした。

 

結果。

 

自分が苦しくなって

もう無理。ってなったし

 

家族との対話を通して

自分の在り方を

見せてもらい

少しずつ

二極の世界から

抜け出ていった。

 

自分の中では

この世界は

混沌としつつも

そのカオスを楽しみながら

生きているんですが

 

二極で苦しんでいる人も

まだまだいるように思うし

今年になって

苦しんでいる人が

増えてきているような

そんな気はしています。

 

反対に

楽になっている人もいる。

 

それも二極。

 

今日は二極ってことについて

書こうと思います。

 

二極化について

検索してみると

 

「ある集団や集合 、

または何かしらの集まったものが、

段々と2つの両極端な 

グループに分かれ て行くこと。」

 

と出てきました。

 

今一番リアルな

二極化は

 

ワクチン打つ人

ワクチン打たない人

 

コロナを極度に怖れる人

コロナを全く怖れない人

 

どこへ行くにでも

マスクをする人

ノーマスクを貫く人

 

そんな感じで

出てきてるので

イメージしやすいのかなと

思うのです。

 

わたしが去年

きつかったのが

 

ワクチン絶対否定

コロナは嘘

ノーマスク

 

これだけが正しい!と

固執してしまったことにより

周囲の人と

合わなくなっていったということ。

 

ひとつの見方に

とらわれると

こういう現象になっていく。

 

これが二極化。

 

わたしは

考え方も思いも独特で

変わっているので

通じ合える人は

昔から少なくて

それが苦しかった。

 

ここ数年で

周囲の人と

自分の考え方や思いが

違うのは別にいっかと

思っているから

多数派でなくても

不安に思うことはなくなったし

自分はわかってもらえてないと

卑屈になるのもなくなった。

 

ただ自分と著しく違う人に

対しては

目が吊り上がり気味になってた。


そしてどんどん

自分の殻にはまっていく傾向に笑

 

これだけが残っていて

それがきつくて。

 

でも


なにも

意見が違う人と

争わなくてもいいし

 

争いやら分断やらは

これからの地球に

必要ないなって思って

 

そこから少しずつ

変わってきた気がする。

 

地球は今

五次元に移行しているとか

もう移行完了したとか

いろんなことを聞くけど

実はあまりよくわかってない。

頭で理解できるような

ものではないのかなと

思ってるから

まーいっか爆笑

 

でも

わたしたちが暮らす

今のこの物質世界は

三次元なのよね。

 

なのに

四次元を通り越して

五次元って!

 

すごいよね。

わかってはないけど。(笑)

 

わからんというのは

わたしが(わたしたちが)

三次元に

どっぷり生きているから

であって

 

からだを

持っているからなんですよね。

 

からだを持っているから

争いやら分断というものが

わたしたちにとっては

当たり前だし

慣れ親しんでるし

 

この分断を

経験することを

楽しみに

わたしたちは

この地球に

やってきているけど

 

わたし(わたしたち)の

たましいのふるさとは

もともとは

三次元の世界ではない。

 

それがなんとなく

「わかる」のだ。

だんだん

クリアになってきた。

 

わたしは

体験しに

この地球に

やってきているのだと。

 

頭ではわからないんだけど

 

分断を抜けた次元

ゾーンに入るときが

たまにあって

この感覚

説明できないんだなぁ

 

そのときに

 

今の三次元が

俯瞰的に

見えてくるときがある。

もちろん

そんなときばかりではなくって

三次元にどっぷり

ハマるときもあるよ。

だってそれを

体験しに来たから。

 

この俯瞰的な

「感じる」世界を

わたしは大切にしたくて

日々生きてる気がする。

 

それがおもしろいのよね。