阪神淡路大震災25年目に思う | 自閉症、発達障がいのお子さんの気持ちがわかるキネシオロジー

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言葉が遅い、出てこない、話すのが苦手!でも、お子さんは伝えたい言葉をもっていて、それを伝えようとしています。その言葉を受信するには、まずはかかわる人が、素直に受けとめる準備をすること♪自分と仲良くなるセラピーを提供しています。

今日は

阪神淡路大震災から数えて
25年目。
 
わたしはこのとき
北海道の網走で
学校の教員をしていて
 
朝起きて
テレビで
燃え盛る神戸の街を見て
いったい何が起きてるのか
呆然としたのを覚えています。
 
その当時
同期で仲良くしていた
大阪出身の先生がいました。
 
彼女は
北海道が大好きで
北海道の学校を受験し
就職したのだけど
彼女の自宅は大阪にあり
 
震災の後
炊き出しなどの
ボランティアに行き
それから一年後
仕事を辞めて
大阪に帰って行きました。
 
今思えば
震災を目の当たりにし
人生観が変わったのかな
そう思います。
 
ときは流れて、、、
 
2011年1月に
わたしは夫にはじめて
出会いました。
 
そして
おつきあいをはじめて
まだ何回かしか会ってない
3月に
 
東日本大震災が
起きました。
 
わたしが地震のことを
知ったとき
真っ先に
彼のことが
思い出されました。
 
なぜならその日
出張で
東北に行くというのを
聞いていたから。
 
なんか
よくわからない
気持ちのまま
すぐに電話をしました。
彼はすぐに出てくれました。
 
本来は
出張だったそうだけど
早く仕事が終わり
大阪に帰ってきていて
震災のときには
東北にいなかったと聞いて
ホッとしたのを
覚えています。
 
その震災のあとは
東北にいなかった
わたしですら
塞ぎ込むくらいの
衝撃を受け
 
震災について
彼とも話していました。
 
彼はじつは
阪神淡路大震災で
育った家を
なくしていたのです。
 
神戸の震災の日
彼は岡山で
仕事をしてましたが
その日のうちに
神戸に駆けつけたそうです。
 
もうあと少し遅かったら
道路も封鎖になっていた
ところだったそうです。
 
結果
さいわいなことに
お父さんもお母さんも
親戚関係は
すべて無事でした。
 
知り合いには
亡くなった方もいたそうだし
震災のあとの
事後のことも
全て見てきたそうです。
 
ひとの暖かさも感じる一方で
とてもここでは書けないような
ひどいことがあったのも
目の当たりにしてきたそうです。
 
わたしは
その話を聞いて
 
夫のことが
さらに
好きになっていきました。
 
夫は
東日本大震災のあとも
東北に率先して
出張に行き
何週間か滞在
会社の事務所の復興に
力を尽くしていました。
 
ほんとに
すてきな人だなと
尊敬できる人だなと
思いました。
 
のろけみたいに
なってしまいましたが
 
そんなわけで
 
阪神淡路大震災は
今現在大阪に住む
わたしにとっても
とても身近なもので
 
忘れてはならないものに
なりました。
 
今日の朝のニュースで
遺族の方の話を聞いて
朝から涙していました。
 
災害は
いつ起こるか
わからないけど
 
それでも
不安ではなくて
丁寧な暮らしを
楽しさとともに
していきたいと
思います🌸
 
お読みいただき
ありがとうございました。