◇何故かブログを書く気になれずにいたので久しぶりの投稿です。
私は小6になる時に大阪市内のN小学校から奈良市内のT小学校に転入した。初めての転校で緊張したのを覚えている。中学校を卒業後にも京都へ転居したので小中の友だちとの交流はほとんどなく過ごした。ただ中3年のクラスで仲良くしていたYくんとは同じ大学を受験したのでテスト後に会って喫茶店で話をした。それからしばらくして年賀状のやりとりも途絶え、時々Yくんはどうしているかなと思っていた。
先日近所の人からYくんが実家に住んでいると聞き、「忘れているかも」「迷惑かな」と思いつつ電話した。私が名乗るとYくんは「オーッ!」と応え、「おさむくんか?」と。69歳になった私を「おさむくん」と呼んでくれる人がいることに少し感激した。
Yくんは孫の手、ルービックキューブ、万華鏡を手土産に訪ねてきてくれた。50年ぶりの再会。互いのこれまでを交流し、小中時代の級友たちについて教えてもらう。とても勉強の出来たNさんは奈良女子大の教授になっていたのには納得した。
私には小中時代にいい思い出がほとんどない。勉強もスポーツも苦手で、特に仲の良い友だちがいたわけでもなかったし、食べたくない給食のある学校も嫌いだった。中1ではいじめられた。毎日とても苦しく、今だったら不登校になっていたと思うが、母親がとても厳しい人だったので休みたくても出来なかった。そんな時に違うクラスにいたKくんが助けてくれたことがあった。Yくんとの再会をきっかけに、電話でだったがKくんにその時のお礼を伝えることが出来た。近々会えるようで楽しみ。
◇上の絵は1960年頃の大阪市内にあった旧裁判所-控訴院と水晶橋。煉瓦造りの控訴院の高い塔は子ども心によく覚えている。その右横にあるのが西天満警察署だと思うが、自宅はその裏にあった。
