父ちゃんの前立腺がん手術 


別れは突然やってくる。
それは私も例外ではなかったみたい。

22日、兄から連絡があり、父が21日に亡くなったって。

23日、冷たい雨の中、昼過ぎに兄となべちゃんとで警察署に父を迎えに行き、父の顔を確認する時…
まるでお風呂上がりのような綺麗なピンク色だったのでその時はとても実感できなかった。

葬儀会場に運ばれ、葬儀の準備をする時にはもうその血色は無くなっていて…

今思うと、もしかしたら、私たちに会うのを待っていてくれたのかなって…






実は私は父とは2年ぐらい口聞いてなくて。最後に会ったのはもう3年ぐらい前。

酔っ払った父の事が子供の頃から大っ嫌いで…
だって、酔った勢いでいらん事よーけ言うし。
いらん事しか言わんし。

あの日も酔っ払って電話掛けてきて。
とゆーかシラフで電話掛かってきたことない。
酒飲まんと物言えん人。

いらん事言うのがだんだんエスカレートしてきて…

最後に
「お前を産んだ(育てた)甲斐がなかったのー」

って実の父に言われてめちゃくちゃ腹立って…

「もう知らん!もう二度と掛けてこんといて!」

そのまま着信拒否。


それが私たち親子の最後のやり取り。
 
何度も何度も歩み寄ろうとしてもいっつもこれの繰り返し。

周りからは父の言う事を真に受けるからと言われるけど…
ワザとやっとんかなって思うぐらいの時もあって。


私はもう、お葬式にも行かんつもりやったけど、実際亡くなると………

頭と心は違うのか、、




葬儀屋さんの方に綺麗にお化粧してもらって、まるで今にも

「おぉ、美和か〜😄」

って起きてきそうな父を目の前に

あの日のやり取りがずっとループしよる、、


うちの家族はバラバラになってたのに、皮肉にも父との別れによって引き合わされて修復されたような、、


なんか、ここに来て私の心の弱さ、狭さが出たなって。

父ちゃんって本当は偉大で寛大やったんやなって。

家ではそんな父も、外面は良かったみたいで“生前とてもお世話になりました。お父さん良い人やったよ”とか“根はいい奴やで”って泣いてくれる人がたくさんいて良かった。


私はただ、仲の良い普通の親子に、なりたかったんよ…

あと10年はこんな事が続くと思ってた。

父ちゃんも釣りが好きやから、こんな所で釣りしよんやで。って、1回ぐらい武者泊も連れて行きたかった。

ロクマルの尾長、実物見せたかったなぁ…



父ちゃん
ケンカしたあの日から、父ちゃんのこと思い出さんかった日は一日もないよ。
理想の娘じゃなくてごめんな。
こんな私を許してくれて
心配してくれてありがとう。

どうか、安らかに。

2022年11月21日 享年74歳 永眠
赤崎 哲夫