さてさて、と。
久々に更新しますね。
皆さんいかがお過ごしでしょうか?
僕の方はですね、先日やっとこさ卒業が決まりまして、ほっとしております。

 ということで、やっと自分の時間が作れるようになって、今日こうしてブログの更新を行っているのです。生物学とやらに身をやつさなかればならなかったこの半年間、全く何も書けない日々が続き、色々と書きたいこともたまっているのです。
 が、何分自分の好きなように書きたいことを書く、ということをしていなかったこともあり、冬眠から覚めた直後に体がギシギシと音を立てているような、といっても冬眠したことはないのでその感覚が分かるべくもないのですが、そんな感じなのです。
 ですので、今日はリハビリがてらつらつらと日記でも。そして暫くは、体がこの自由に慣れるまでは、リハビリがてらにツラツラとやっていくつもりです。といっても、その自由に慣れた頃にはまた新たな足かせが嵌められるのでしょうけれども。


 それにしてもこの自由に書くことの清清しさ、何物にも変えがたい。最高ですね。
何の理由もなく「ま○こ!」と連呼する快感と似ている。


 さっき、「書きたいことは沢山ある」と書いたけれども、忘れないうちにリストにしておこうか。
・iPSの森口氏について
・書きかけの小説の続き
・スクールカーストについて
・V&Rプランニングの群像劇
・大学院生活の総括(悲劇として戯曲化)
・就職活動について
・生活保護について
etc...


 そう、今リスト書いてて思い出したのだけれども、こないだ友人のS君といつものごとく昼飯を食べていたら、S君の研究室の後輩が就職活動をしていて、やりたいことが全くなくて困っている、という話になった。
 そこで俺は親切心から、その後輩の為に「最強の就活攻略本」というものを作成してあげた。ちょうど大学から「就職活動レポート」なるものの提出を求められていたこともあり、そのレポートに書かれていた設問をそこら辺の余っている紙にプリントアウトして、それに一つ一つ答えるという形で攻略本を作成した。
 その「就職活動レポート」自体には本音を書くわけにも行かず適当に綺麗ごとを書いておいたのだが、攻略本には、後輩の為に「真実」のみを書き連ねた。
 親切心から作成した攻略本であったが、真実のみを本気で書いた結果、完成した攻略本は本当に酷い代物になってしまった。それでも折角書いたのでS君経由でその後輩に渡してもらったが、後日その後輩に感想を求めたところ、その後輩は「ありがとうございました。役に立ちました。」と本当に困った顔をして言った。


思い出せる範囲でその攻略本を再現してみようと思う。


・大学主催の就職説明会には参加しましたか?
→行っていない。時間の無駄。
・自己分析はしましたか?
→していない。時間の無駄。分析した結果として分かった「自己」とやらが、社会の要求する「自己」では無いと確認して何の意味がある?
・業界研究はしましたか?
→していない。時間の無駄。君の場合やりたいことが無いのだから、逆に言えばブラックでなければどこでもいいということ。変なこだわりが無い分、手間が省けてよかったじゃないか?
・志望動機で工夫した点は?
→君の場合、やりたいことが無いのだから、志望動機もクソも無い。適当にネットにある模範解答をコピペすればいいんじゃないかな?
「個性」っぽさを演出しとけば大丈夫じゃないかな?
・OB訪問はしましたか?
→していない。時間の無駄。君の場合、やりたいことが無いのだから、特定の企業に的を絞る必要は無い。受かった会社が君の転職だと思い込めばいいと思うよ。
・後輩へのアドバイス
→君はやりたいことが無いと嘆いているようだが、嘆く必要は全く無い。やりたいことが無いということは「何でもできる」ということじゃないか?「意識の高い」とかいう強迫観念に凝り固まった個性のかけらも無いクソみたいな学生なんかよりも100倍ましだと思うよ。そもそも、この国の外では明日食うメシの無いの無い人や、自分とは一ミリも関係の無い「リョウド」とかいうもののせいで戦争に駆り出されてブッ殺される人とかが沢山いるみたいだし、そんな中で「成長」とか「自己実現」とかの単語を何の疑問もなくほざけちゃう餓鬼の方がよっぽど狂ってると思うよ。君はとても健全だと思う。生きてりゃ幸せ、それでいいじゃないか?まあ、世の中には働いているだけで何故か死んじゃう会社もあるみたいだから、そういう会社だけには気をつけて。君の為にしてあげられることは何一つ無いけど、君の就活の成功を心から祈ってる。ガンバッテ!


 とまあ、こんな感じだ。今思うと彼には本当に悪いことをしたと思う。彼が、僕のようなどうしょうもないクズの言葉には耳も貸さず、しっかりと「やりたいこと」やら「夢」とやらを見つけ、「意識の高い」学生になって満足のできる「終活」をし、数年後に会ったときには立派な「ドレイ」になっていることを、心から祈るばかりである。

 

を始めたいんだが、やり方がわからん。
とりあえずお試し投稿や。
「みんな違ってみんなダメ」 執筆者 東町健太
 
 以前、上野の都美で催されたフェルメール展を観に行った。フェルメールといえば誰しも知っている有名な絵描きで、その作品は世界中で絶賛されている。だから私も観に行った。私もフェルメールをみんなと一緒に絶賛したいなと思っていた。都美は私と同じようにフェルメールを絶賛したい人であふれていた。フェルメールの作品を前に感極まった態で「ほう‥」とため息をついたおじさんがいた。作品を右から観たり左から観たりちょっと離れて観てみたり、と落ち着かないおばさんがいた。若いカップルもいて、男のほうが女の子に一つ一つの作品について訓戒を垂れたり美術史的なものの講釈をしていた。彼の語っていた事柄は全て芸術新潮のフェルメール特集に書いてあったことだということを私は知っていた。私もその記事を読んでいたからだ。いろいろな人がいてみなそれぞれのやり方でフェルメールを絶賛していた。彼の作品を堪能していた。「芸術してるぜ俺たちは」オーラが都美に満ち溢れていた。そんな中、私は一人絶望していた。悲しんでいた。何故かというと、私はフェルメールを観ても全然全く何も感じなかったからだ。「ふぇるめえる?何がいいのこれ?」と思ってしまっていたからだ。みんなが絶賛しているというのに、その作品に感動しているというのに、私はあろうことかフェルメールの作品を前にして「今日はハンバーグが食べたいな」などという救いようのない事ばかり考えてしまっていたのだ。
 ちなみに私は絵画の知識など全くないし、審美眼などというものも当然ない。しかし、誰もが絶賛している画家の作品なのだから、私のような絵画に全く無知な者でもその素晴らしさの、全部とまではいかないまでも一部くらいはわかるだろうと甘くみていた。私もみんなと一緒にフェルメールを褒め称えることができると愚かにも思っていた。だがダメだった。あんなもん、私にはどこがいいのか全くわからない。もし何かの間違いでフェルメールの作品を私が手に入れたとしても、額にもいれずに裸でトイレの壁とかに画鋲で留めるだろう。下手をしたら普通に燃えるゴミとして捨てるかもしれない。それくらい私にとってフェルメールの作品は価値がないものなのだ。
 では何故私にはフェルメールの価値がわからなかったのだろう?私の感性が人間未満、もうもはや羊とかヤギなどと同レベルだからなのだろうか?悲しいことだが、もちろんそういった要因もあるだろう。だがそんな家畜な私でも知りたい。素晴らしき社会で、素晴らしい芸術を堪能して生きていらっしゃる人間の皆様の感性がどうなっているのか知りたいのだ。
 そう思った私はそれからいろいろな美術館などを訪れた。芸術や絵画を堪能できる人間様の感性を知るには、そのような方々が多く集まるところに足を運ぶことが重要だと考えたからだ。ついでにいえば、ひょっとしたら私にでも理解できる、堪能できるような作品にいつか出会えるかもしれないという希望も捨て切れなかったからだ。本当にいろいろ行った。観た。モジリアーニやら東山魁夷やらモネやらetc。だがどれも何がいいのかどこがいいのか全くわからなかった。私の浅はかな希望は潰えた。終わった。だからむしろ人間様を観察することに重きを置いた。私は美術館に行って、絵を全く観ないで絵を観ている人ばかり観ていたのだ。今になって当時を振り返ると、一体私は何をしていたのだろうかと当時の自分が不憫でならない。 
 そのようにして私はたくさんの絵画を鑑賞している人々を観察し続けた。彼らはみな、名作とされる作品を見ては「ふむう‥」「う~ん」などとしたり顔でうなってみたり、仲間連れで来てるような方々はその作品の素晴らしさを語り合ったりしていた。その語らいはやけにカタカナ語が多く、無知な私にはよく理解できないものであったりすることが多かったが。とにかく、私のように名作と呼ばれる作品を前にしてあくびをしたり、しゃっくりをしたり、「わけわかんね」とつぶやいたりする者などいなかったのである。観察すればするほど、家畜である私と高貴な人間様であらせられる彼らの間にある超えられない壁の存在を痛感することになった。結局のところ私には彼らの名作絵画をたしなむことのできる感性が全く理解できなかったのである。私にはもう、家畜として苦役に苛まされて生き、そしてやがて屠殺されて食肉加工され食卓に並ぶ、そんな運命しか残っていないのだろうか、と自暴自棄になった。
 絶望の底にいた私だったが、やはりそう簡単には自分の悲惨な運命を受け入れることは出来ず、だらだらと性懲りもなく美術館などに足繁く通った。浅ましい家畜であった。そんな折、六本木にそびえたつとある美術館に足を運んだ。そこでは、たくさんの若手作家による現代アートを集めた催しをやっていた。
 それは滅茶苦茶だった。芸術でもなんでもなかった。たしかに私の感性は家畜だ。だが断言する。そこは巨大なゴミ集積所でしかなく、観るべき作品など何一つなかった。明らかに芸術を勘違いしたバカが、若気の至りでつくってしまったゴミしかなかった。よくわからないものを作れば芸術だと思い込んでしまっている勘違いバカが、わけもわからず作った作品(笑)が堂々と展示されていた。なんでもアート(笑)って言っとけば済むと考えている才能のカケラもないやつらによるふざけた展示ばかりだった。げんだいあーと(笑)なんて大体そんなものだが。私は笑った。心から笑った。「ひどいな。本当にひどいな。ひどすぎる。」笑いながら少し嬉しかった。私のほかにも人の姿をしていながら内面は家畜同然のヤツラがいることを知ったからだ。そしてふと思った。このひどい展示の数々を人間様はどのような表情で観ているのだろう?爆笑しているのだろうか?それとも激怒しているのだろうか?そのようなことを思い、周りの人間様をいつものように観察してみた。そして愕然とした。
 「ふむう‥」「う~ん」などと唸っているのである。仲間同士で目の前にあるゴミについて熱く語り合っているのである。カタカナ語を交えながら。しかもわからないなりにその会話を聞いてみると、どうやら何か褒めちぎっているようなのである。何度も言うが、ここで作品とかいう態で展示されているものはただのゴミである。そこにあるのは画用紙に絵の具をぶちまけただけのものとか、むちゃくちゃに粘土をこねくりまわして、結果的に抽象的な何かとしか表現できないようなものになり、挙句の果てに「熱情」とか恥ずかしいタイトルをつけてしまったようなものとかばかりである。それを人間様たちはどういうことか堪能なさっているのである。えっ?何で?何で人間様ともあろう方々がこんな愚にもつかないゴミを真面目に観てるの?しかも堪能しちゃってんの?
 そこで私は考えた。ふやけた脳を全力で回転させて考えた。そこで一つの仮説に至った。「人間様ってひょっとして‥家畜?」
 彼らはフェルメールの絵なんて本当は全然わからず、さもわかった感を発散してただけなんじゃないだろうか。しかし何故そのようなことをするのだろう?わからないなら「わかんね」って言えばいい。わかった感をだして何が楽しいのだろうか。彼らが絵や作品自体を全くわかっていないことはわかった。では彼らは作品の何を観ているのだろう?その疑問に私が導き出した答えは「別に作品とかは何も観ていない」という説だ。では作品を観ていない彼らは何故お金を払ってまで美術館なんぞに行くのか?それは彼らが「わかった感」を発散したいからだ。そしてその上で、「フェルメールとかわかっちゃう俺」を観たいのだ。つまりは芸術作品そのものが目当てではなく、「芸術作品もわかっちゃう俺」というファッションを身にまといたいだけなのだ。「日曜日に美術館とか行っちゃう俺」を演出したいだけなのだ。こういう連中にとって、その美術館に展示されている作品なんかはどうでもいい。ただただ「美術館に行く」「作品を見る」という行為が重要なのだ。これは家畜といってもいいと思う。全員がそうとはもちろん言わないが、こういう類の連中が美術館の中ではかなりの割合を占めるのではないだろうか。
 では何故こんなふざけた連中が大量に発生するのだろうか?彼らの心の中はどんな構造になっているのだろうか?彼らは一体何を求めているのだろうか?
 その答えを解くキーワードは「個性」であると私は考える。彼らは言うまでもなく薄っぺらいつまらないヤツラである。しかし彼らはそれを認めたくはない。自分は個性ある素晴らしい人間であると思いたい。人より優れた素晴らしい感性の持ち主であると思いたい。自分の個性が世界に一つだけの花であると思いたい。その欲求が高じて、「フェルメールってやっぱすごいよね」などとわかりもしない絵を褒めるといった行動につながるのだ。それはとてもとても没個性的な行為なのだけれども、彼らはそれを個性だと思い込んでいる。こんなやつらは世界に一つだけの花でもなんでもなく、どこにでも咲いてる誰にも見向きもされない薄汚いしょうもない花である。
 こいつらの最大の問題点は、例えば私が「フェルメール、わかんね」などと言おうものなら、「はは、それは基本だよ、そんなこともわからないのかい、ははは」などと調子に乗り始めることである。てめえでもわかってねえくせに。また、私が「チョン・ソヘンの歌、いいよね?」などと彼らが絶対知りえないような異次元の領域の話をしようものなら「う~ん‥それはどうだろ?」などと否定しにかかることである。まあ正直チョン・ソヘンがいいとは思わないが。彼らは世間様が認めていないようなものを認めることができない。彼らはあくまで世間一般の領域の中で自分の個性をアピールしたいのだ。だから世間が認めていないものを彼らは認めることができない。というか観ようともしない。自分の頭で考えることが一切できないから、世間様が評価を下していないものを彼らが語ることはできないのだ。彼らは「芸術」とかいう没個性的なファッションに身を包み、世間に受けるような個性をアピールする。そんなの個性でもなんでもないけどな。そしてつまらない仲間たちの間では「みんな違ってみんないい」とか言い出す。しかし本当に個性的なものに出会っても、彼らはそれを受け入れることはできない。それどころか自分たちの狭い世間だか常識だかなんだかよくわからない、つまらくて仕方のないものを守るためにそれを否定する。口にこそださないが、その心中は「みんな違ってみんなダメ」という思いであふれている。彼らは自分と自分に近いテリトリーに属する人間以外の個性なんて認めることはできないつまらない人たちだ。
 芸術の秋(これも本当に類型化されたつまらない表現ですね)ってことで芸術を語ってみた。実は後半、ほぼ特定の人物の論評になってしまっているが、どうせそいつはこの文章を読まないから気にしない。実際の話、わからないなりにも美術館へ行っていろんな絵を観るのは好きなので、また時間を見つけて美術館行きたいな、と思っている。こうやってさりげなく「美術館とか行っちゃう俺」を演出してる没個性的な家畜な自分に少し嫌気がさしている。
 

[裏探偵稼業日記其ノ四~反撃~]
 風が凪いで、大都会東京にも素肌に心地よい季節が訪れた。季節の彩りはうつろいゆくが、私の生活習慣はいつになっても変わることが無い。自分のことながら、もっとまともな人間になれないものかと呆れる。いつものように遅く起き上がると、携帯電話に着信が入っていた。A.M.7:56―留守電も残されている。A警察署の番号で声の主は、私がお世話になっている『刑事課知能犯捜査係』のW刑事だ。第一声を聞くとすぐに、私はいったん留守電を止めた。
「頭のスイッチを入れなければ―」私は急いで湯を湧かし、インスタントコーヒーを淹れ、一気に口に流し込み脳味噌を叩き起こす。これだけではまだ足りない気がした。すぐに洗顔も済ませた。好奇心で胸が高鳴っているのが分かった。
 深く息を吸い込んでゆっくり吐き出すと、私はもう一度留守電を再生させた。
「お世話になってます、A警察署のWです。先日はありがとうございました。内村さんから資料を頂いた事件に関してですが、あれから捜査を始めましてね、ちょっとした進展がありましたので連絡差し上げた次第です。時間のあるときで構いませんのでお電話いただけますか。よろしくお願いします―」
時間は午前9時過ぎだ。「まだ外出はしてないか―」私は根拠もなく勝手に決めつけ、すぐにダイヤルした。受付の警察官に用件を伝え、W刑事につないでもらう。W刑事はそこにいた。
「はい、刑事課のWですが。」
警察官の習性なのか、電話口での第一声は冷淡である。
「内村です。先程お電話いただいた件でご連絡いたしました。」
「あ、どうもお電話ありがとうございます。先日内村さんから頂いた資料なんですがね、本当に詳しく犯人の情報を書いてくださっていて、本当にありがとうございました。あれからですね、犯人の携帯番号と、振込に使用されている口座の両方からアプローチかけてみたんですよ。」W刑事の口調は、すぐ柔らかになった。
「まず携帯の方ですが、携帯会社に問い合わせて確認したところ、やはりプリペイド式でしたね。奴らも通話記録から自分たちの足取りを辿られるのを警戒するために、複数のプリペイド式携帯を所持していて、一度被害者とのやり取りに使用したものついては都度、廃棄しているようですね。残念ながらこちらからは足取りを掴めないようです。
しかしですね、振込口座の方なんですが、インターネット異性紹介業としての会社名義ではなく、個人名義(サイトウヒロカズ)で使用されているということで違法性が確認されました。したがって目下、この口座のある銀行に問い合わせて、名義人の住所、印鑑登録、現金引き出しの履歴等を洗い出してるところなんですよ。これを機に犯人の組織に関する情報も何か掴めればと思っています。」
「そうでしたか、わざわざありがとうございます。ズブの素人による報告書まがいの手記でもお役に立てたならば幸いですよ。いよいよ、攻勢に出られますかね…」
「そんなことは無いです、実に参考になりましたよ。我々捜査員一同、大変感謝致しております。いつ、誰が、何を、どのように―いわゆる捜査の5W1Hとでもいいますか。あのように時系列で、端的に分かりやすく書いていただくと、我々警察としましても大変動きやすいのですよ。事件性が露見しない限り、どうしてもあのような作業に時間を割くことができませんからねぇ。かといって内村さんのように事態を冷静に、そして客観的に捉え、我々に協力してくれる民間人もいませんから。ただただ被害者には、安易にいかがわしいものに手を出すな、としか言えないのが現状です。しかしここで何かしらの展開が見えてくると私は思っています。内村さんの方はあれからいかがですか、何かお変わりありませんか。」
「いやぁ、私は相変わらず迷惑メールや脅迫電話と闘っていますよ。が、彼らもこちらがなかなか要求に応じないと見たか、あの手この手でアプローチしてきますね。最近は何やら怪しげな文面で『ブランド模造品激安大量放出』などといったスパムメールも届いています。彼らも騙し取るとはいえ、金を稼ぐのに必死ですよ。その点は我々サラリーマンと何も変わりはありません。しかし、他人を不幸にすることは許しがたいです。今後も可能な限り、捜査に役立てられるように資料をお作りしますので、また何か目新しい情報が得られましたらFAX致します。」
「ありがとうございます。民間の方のご協力というものは、本当に大切なものなのですよ。今後ともどうぞよろしくお願い致します。それでは失礼致します。」
 W刑事は私に丁重に礼を述べて電話を切った。
「一歩前進した―。」私はすぐにそう呟いた。

 一体彼らは何者なのだろうか。今頃どこにいて、何をしているのだろうか。電話で善良な小市民を恫喝する男、無邪気な少女の如くメールで甘言を垂れ流す男、ATMで振込を誘導し、直後に金を回収する男…今この瞬間にも、この日本列島のどこかで暗躍する男達の姿が思い浮かぶ。この世に生まれ落ちた時には、誰もが邪心など持ち合わせてはいないはずだ。その後彼らはどのようにして道を誤ったのか。どうしてこんな卑劣な生き方しか出来なくなってしまったのか―。私はそんな人間の脆さを思い、切なくなった。
 集団には常に、一定の比率で悪が存在するという。その悪の分子を取り除いても、また同程度の比率で悪が出現する、ということを提唱する研究者がいたのを思い出した。そう考えると悪の分子に染まってしまった人間達もまた被害者か―。
 そう同情は出来ても、悪は悪である。無関係の者の生き血を吸って跳梁し続ける人間には、断固として社会的制裁を受けさせるべきだ。そう自分に強く言い聞かせながらベランダに出ると、私は虚空を仰ぐように秋のそよ風を身に受けながら、その場に佇んだ。

(次号に続く)

・オパ的ニュースレヴュー(2012年9月28日~10月19日)
ソース:全て朝日新聞


[注目記事]

・2012年10月7日(日)読書面

「死体は見世物か 「人体の不思議展」をめぐって 末永恵子〈著〉」

評・中島岳志

 書評欄の記事。本の内容は90年代から全国で展開されて話題になった「人体の不思議展」の倫理的是非について。プラスティネーション標本という技術によって死体の長期保存が可能になったそうだ。

 で、記事には書いていないが、問題となっているのはその大量の「死体」を一体どうやって手に入れたのかということ。どうやら中国経由らしい、ソースは忘れた。で、パブー作家のGrasshouse氏がこのテーマそのものズバリをテーマにした小説『美麗花茶の淹れ方』を書いている(http://p.booklog.jp/book/21976)。それがきっかけで気になっていたのでストック。


・2012年9月28日(金)社会面

「死刑「駆け込み執行」 内閣改造直前 廃止団体が抗議」

 まあ、タイトル通りの記事。27日、江藤幸子氏(65)、松田幸則氏(39歳)の二人の執行がされたそうだ。今年に入ってからこれで7人になるそうだ。江藤氏は祈禱師で、信者男女6人を「悪霊払い」と称して太鼓のばちで撲殺。松本氏は強盗殺人で男女2名を包丁で殺害。

 この国で生きている以上は、好む好まざるに関わらず、この国の制度に乗っかって生きているということ。だから俺は彼らの処刑に少なからず加担しているということになる。俺は彼らに個人的な面識はない、会ったこともない人を殺したと考えると、あんまいい感じはしないな。

 でも、そういう意識で、これからも死刑については執行されるたびに気にかけようと思う。


・2012年9月28日(金)オピニオン面 記者有論

「警察へ 不祥事なくせ 能書きいらぬ」

編集委員 緒方健二

・2012年10月16日(火)オピニオン面 耕論

「どうしたケーサツ」

原田宏二 元北海道警釧路方面本部長

大宅映子 元警察刷新会議委員

青木理 ジャーナリスト

 警察の不祥事に関する記事2本。「不祥事」というが、最もやばいのは警察官による性犯罪だろう。俺の中で教師と並んでやばい職業ダントツトップ2である。いよっ、横綱!って感じである。今年1月~6月までに、既に205人の警察官・職員が不祥事を起こして懲戒処分を受けたそうだ。

 いま、沖縄で米兵が強姦事件を起こして大問題となっている。これは、本気時とは別にどこかで論じる必要があると考えているが、それを捕まえるべき権力・警察がこれではもう何を信じていいのか分からない。教師にしても警察にしても、医者の不養生はなはだしい。そのくせ風俗を「淫らだ」とかいって偉そうに取り締まったりしているんだから、不愉快極まりない。

 全ての警察官・教員がこのようなHENTAIではないことは重々承知だし、僕はHENTAIを差別するつもりもない。もちろん僕もHENTAIの一人である。僕が言いたいのは、こういったことしといて、偉そうに取り締まるな、ということである。「秩序の維持」を大義名分に公的な暴力を振りかざしている以上、そういうところは本当にしっかりして欲しい。まあ、無理だろうけども。彼らが「社会的正義」なのならば、僕は断固として「反社会分子」で構わない。光栄である。


・2012年10月11日(木)オピニオン面 異議あり

「深夜のダンス禁じるのはヘンでしょ グレーゾーンにこそ生まれる文化の芽。影響はいずれ身近に」

クラブ規制の「暴走」危ぶむ音楽ライター 磯部涼(34)

 「風営法の過剰適用」でクラブ規制が厳しくなっているという記事。コンビニが24時間、居酒屋が朝までやっているのに「0時以降、踊っちゃいけない」っておかしくないか、という指摘には「言われてみればおかしいな」と思った。国家に映画撮影を禁じられた監督の報道の時は「なんてヒドい国なんだ!」みたいな感じでマスコミは切れてたけど、踊っちゃいけない国って大差ないじゃん。全然対岸の家事じゃないな。まあ、六本木で撲殺事件があって、薬物問題もあるし、やばいものはとりあえず禁止しとけって流れなんだろうけど。

 薬物問題で迷惑をこうむっているのは、ゲイバーとかもそうだね。ちょっと前に摘発の記事がちょくちょく出てた。上の記事で既に言ったけどさ、人のこと言えるような状態じゃないんだよ、教師も警察も。「クラブは危険です、不健全です。」とかしたり顔で言われても、教師はロリコンだし、警察に至ってはレイパーじゃねえか、っていうね。漫才やってるんじゃないんだから。

 ということで、俺の主張は「取り締まるな。自由化しろ」。そもそも薬物に関しても、勝手にラリって死ぬ分にはそいつの勝手であって、自由だろ、と思う。なんで捕まえる必要があるのか、余計なお世話だろ。


 長くなったけど、とりあえず注目記事は以上です。いつかけるか分からないけど、次はこの期間の記事の中で面白かった・しょうもない記事をピックアップする予定です。では、おやすみなさい。