[裏探偵稼業日記其ノ四~反撃~]
風が凪いで、大都会東京にも素肌に心地よい季節が訪れた。季節の彩りはうつろいゆくが、私の生活習慣はいつになっても変わることが無い。自分のことながら、もっとまともな人間になれないものかと呆れる。いつものように遅く起き上がると、携帯電話に着信が入っていた。A.M.7:56―留守電も残されている。A警察署の番号で声の主は、私がお世話になっている『刑事課知能犯捜査係』のW刑事だ。第一声を聞くとすぐに、私はいったん留守電を止めた。
「頭のスイッチを入れなければ―」私は急いで湯を湧かし、インスタントコーヒーを淹れ、一気に口に流し込み脳味噌を叩き起こす。これだけではまだ足りない気がした。すぐに洗顔も済ませた。好奇心で胸が高鳴っているのが分かった。
深く息を吸い込んでゆっくり吐き出すと、私はもう一度留守電を再生させた。
「お世話になってます、A警察署のWです。先日はありがとうございました。内村さんから資料を頂いた事件に関してですが、あれから捜査を始めましてね、ちょっとした進展がありましたので連絡差し上げた次第です。時間のあるときで構いませんのでお電話いただけますか。よろしくお願いします―」
時間は午前9時過ぎだ。「まだ外出はしてないか―」私は根拠もなく勝手に決めつけ、すぐにダイヤルした。受付の警察官に用件を伝え、W刑事につないでもらう。W刑事はそこにいた。
「はい、刑事課のWですが。」
警察官の習性なのか、電話口での第一声は冷淡である。
「内村です。先程お電話いただいた件でご連絡いたしました。」
「あ、どうもお電話ありがとうございます。先日内村さんから頂いた資料なんですがね、本当に詳しく犯人の情報を書いてくださっていて、本当にありがとうございました。あれからですね、犯人の携帯番号と、振込に使用されている口座の両方からアプローチかけてみたんですよ。」W刑事の口調は、すぐ柔らかになった。
「まず携帯の方ですが、携帯会社に問い合わせて確認したところ、やはりプリペイド式でしたね。奴らも通話記録から自分たちの足取りを辿られるのを警戒するために、複数のプリペイド式携帯を所持していて、一度被害者とのやり取りに使用したものついては都度、廃棄しているようですね。残念ながらこちらからは足取りを掴めないようです。
しかしですね、振込口座の方なんですが、インターネット異性紹介業としての会社名義ではなく、個人名義(サイトウヒロカズ)で使用されているということで違法性が確認されました。したがって目下、この口座のある銀行に問い合わせて、名義人の住所、印鑑登録、現金引き出しの履歴等を洗い出してるところなんですよ。これを機に犯人の組織に関する情報も何か掴めればと思っています。」
「そうでしたか、わざわざありがとうございます。ズブの素人による報告書まがいの手記でもお役に立てたならば幸いですよ。いよいよ、攻勢に出られますかね…」
「そんなことは無いです、実に参考になりましたよ。我々捜査員一同、大変感謝致しております。いつ、誰が、何を、どのように―いわゆる捜査の5W1Hとでもいいますか。あのように時系列で、端的に分かりやすく書いていただくと、我々警察としましても大変動きやすいのですよ。事件性が露見しない限り、どうしてもあのような作業に時間を割くことができませんからねぇ。かといって内村さんのように事態を冷静に、そして客観的に捉え、我々に協力してくれる民間人もいませんから。ただただ被害者には、安易にいかがわしいものに手を出すな、としか言えないのが現状です。しかしここで何かしらの展開が見えてくると私は思っています。内村さんの方はあれからいかがですか、何かお変わりありませんか。」
「いやぁ、私は相変わらず迷惑メールや脅迫電話と闘っていますよ。が、彼らもこちらがなかなか要求に応じないと見たか、あの手この手でアプローチしてきますね。最近は何やら怪しげな文面で『ブランド模造品激安大量放出』などといったスパムメールも届いています。彼らも騙し取るとはいえ、金を稼ぐのに必死ですよ。その点は我々サラリーマンと何も変わりはありません。しかし、他人を不幸にすることは許しがたいです。今後も可能な限り、捜査に役立てられるように資料をお作りしますので、また何か目新しい情報が得られましたらFAX致します。」
「ありがとうございます。民間の方のご協力というものは、本当に大切なものなのですよ。今後ともどうぞよろしくお願い致します。それでは失礼致します。」
W刑事は私に丁重に礼を述べて電話を切った。
「一歩前進した―。」私はすぐにそう呟いた。
一体彼らは何者なのだろうか。今頃どこにいて、何をしているのだろうか。電話で善良な小市民を恫喝する男、無邪気な少女の如くメールで甘言を垂れ流す男、ATMで振込を誘導し、直後に金を回収する男…今この瞬間にも、この日本列島のどこかで暗躍する男達の姿が思い浮かぶ。この世に生まれ落ちた時には、誰もが邪心など持ち合わせてはいないはずだ。その後彼らはどのようにして道を誤ったのか。どうしてこんな卑劣な生き方しか出来なくなってしまったのか―。私はそんな人間の脆さを思い、切なくなった。
集団には常に、一定の比率で悪が存在するという。その悪の分子を取り除いても、また同程度の比率で悪が出現する、ということを提唱する研究者がいたのを思い出した。そう考えると悪の分子に染まってしまった人間達もまた被害者か―。
そう同情は出来ても、悪は悪である。無関係の者の生き血を吸って跳梁し続ける人間には、断固として社会的制裁を受けさせるべきだ。そう自分に強く言い聞かせながらベランダに出ると、私は虚空を仰ぐように秋のそよ風を身に受けながら、その場に佇んだ。
(次号に続く)