長野回りで帰ります その5 | オオゼキタク Official 鉄道Blog「マジで終電5秒前」Powered by Ameba

長野回りで帰ります その5

碓氷鉄道文化むら!!!!

http://www.usuitouge.com/bunkamura/

ここはやばいですよー。絶対一度は来たほうがいいです。


昨日書いた、大動脈・横軽区間で活躍した勇者たちが

沢山、展示されているのです。


↑の写真は協調運転(EF63を連結して碓氷峠を一緒に登る)の図



パンダちゃん・・!(´Д`;)

車庫の中にシェルパEF63が鎮座ましましております。




ううむ。凛々しい。


ちなみにここに通い詰めれば、機関車運転士の資格も取れるとか!?

確か昔、木村裕子さんが運転したってどっかで見ました。



碓氷峠は66.7パーミル(1000m進むごとに66.7mあがる)

すごい急勾配ということです。

はじめは、アプト式が採用されていました。

アプト式とは、2本の線路のほかに、歯車を噛ましてぐいぐい登っていく方式。

スイスとかの登山列車に多いらしいです。


これがそのとき活躍した、ED42。




日立!


ありがとう、ローマンさん。


しかしその後、

パワーアップしたEF63電気機関車のおかげで、

粘着運転(歯車ではなく、レールだけで走る)できるようになり、1960年代にアプト式は廃止。

(日本では現在、大井川鐵道だけでアプト式を体験することができます)


ちなみに、

EF63と協調運転できる列車の系統の末尾には「9」がついてたりします(169系、189系、489系などなど)。

連結器とか台座も強化しなくちゃいけなかったので、その装備をした車両には系統の前に●がついてます。

と久留米の次さんも書かれてましたね(^^)


で、そんな風に特別な装備が必要でお金のかかるこの区間は、

1997年に長野新幹線が開業したので、路線ごと廃止になってしまったのでした。



ここ碓氷鉄道文化むらは、以前使われていた車庫がもう、


そのまんまの状態で保存されており、



こんなに間近で機関車を見れるのは、そうそうないですよ。

今にも動き出しそうなリアル感なのです。


当時活躍してた特急のヘッドマークも無造作に保管されていました。

保管っていうか、部品とかと一緒にそのまま放置されてあるって感じ。

はくたか!

そよかぜ!


シュプール号!


しかしひとつだけ難点があるとすれば。。



ずーーっと子供向けのBGMが流れ続けていることです(;´Д`)ノ



奥にも沢山の車両たちが保存されていました。

明日はそんな車両たちを一挙公開!