祝!因果應報、インド系イギリス首相誕生 | 日本國人

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令和元年・紀元2679年10月1日開始。

 AP通信記事”英首相にスナク元財務相が就任”より。

 

 ”英国の与党である保守党の新党首に選ばれたリシ・スナク氏が25日、首相に就任した。20世紀以降で最も若く、初めてのアジア系首相の誕生となる。

 ロンドンの首相官邸前で行った演説では、経済安定と政治への信頼感を取り戻すことを国民に約束した。”

 

 イギリスで、面白いことが起こっているようだ。この前、首相に就任したばかりの、トラスとか言う女が、五十日で職を放り出し、旧植民地であったインドの住民、インド人の子孫が、首相になったというのである。全くもって、愉快痛快な出來事だ。

 戰前の日本人が、鬼畜米英の片割れ、英畜イギリスと称したごとく、また、最近では、ブリカスなる言葉も流行っているようだが、イギリスは、そもそもロクな国ではない。元々は、今のドイツあたりに住んでいた、アングロサクソン人とか言う野蛮人どもが、ブリテン島に流れ着き、イングランドなる王国をでっちあげ、ブリテン島にあった、ウェールズやスコットランドといった他王国を征服併合したのだ。その力の源は、なんと、海賊行為

 それでも、絶對君主制のころは、まだマシであった。徳川家康時代の江戸幕府とも關係を持てる程でもあったのである。それが、革命で、あろうことか、議会が国王を、ギロチン以前の、斧にて斬首し虐殺する革命なる蛮行を行った後は、いよいよタガが外れ、海を渡ってアイルランドを征服併合し、住民を虐待。それとともに、亞細亞、特にインドを、本格的に征服し始めた。そのやり方が、また卑怯卑劣なのである。

 そもそも、當時人口一千万人程度のイギリスが、數億の人口を擁していたインドを、マトモなやり方で征服できるはずもないのだが、インドに統一政府が無かったことをいいことに、インドの港を占拠するとともに、一部のインド豪族を味方につけ武器彈藥を與えて、従わぬ他のインド豪簇を攻撃させ、すなわち、仲間割れ殺し合いをさせるよう、仕向けたのだ。

 日本のやり方、例えば、滿洲國を建國する際、住んでいた諸民簇を、漢民簇も含め、相戰わせるのではなく、五簇協和として、手をたずさえさせて統一國家をつくろうとしたのとは、正反對の蛮行である。

 このような、惡逆無道なことを重ねてきたイギリスが、虐げてきたインド人の子孫に、最高權力者たる首相の座を奪われるとは、まさに因果應報だ。

 今後、イギリスは、益々衰退を續けていくことであろう。いかにスナク新首相が有能であろうと、政治はなかなかうまくいかぬであろうが、そうなっても、スナク首相の資質によるとは限るまい。極惡国家イギリスの、自業自得的責任が大である。

 

紀元二六八二年 令和四年 十月二六日