辺野古運動家どもの醜惡 | 日本國人

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令和元年・紀元2679年10月1日開始。

 琉球新報記事”ひろゆきさん「0日にした方がよくない?」 辺野古ゲート前の座り込み抗議巡る投稿が物議 市民らに「座り込みの意味理解していない」”より

 

 ”【辺野古問題取材班】インターネット掲示板「2ちゃんねる」開設者のひろゆき(西村博之)さんが名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前を訪れ、座り込み抗議の参加者が誰もいなかったことから、抗議日数を示した掲示板について「0日した方がよくない?」などと4日までにツイッターに投稿し、物議を醸している。抗議活動は2014年7月から始まり、工事車両が往来する時、一日3回展開される。抗議市民からは「基地問題の本質ではない議論」「背景を理解してほしい」との声が上がった。

 関係者によるとひろゆきさんは3、4の両日、インターネット番組収録などで抗議テントを訪問。抗議の様子も見た。日数の数え方について市民らに「座り込みの意味を理解していない」などとも発言した。
 ジャーナリストとして活動する大袈裟太郎さんの取材に、ひろゆきさんは「誤解を生むような言葉をわざと使っているのであればデマになる」などと語ったという。
 ひろゆきさんと言葉を交わした沖縄平和運動センター前議長の山城博治さんは本紙取材に「抗議を開始した日からの日数を示した掲示板だ。工事車両が来ない時や台風の時は、座り込みはやっていないが、それもあえて説明しなさいということか」と困惑気味に語った。本紙は関係者を通じてひろゆきさんに取材を試みたが、連絡を取ることができなかった。”

 

 ひろゆき氏による、まことに痛快な投稿發言である。實は、日本國人も、先日、沖縄に行った際、辺野古を見に行ったものだ。マスゴミどもが盛んに報道しているような、活発なる抗議活動がくり広げられているものと、期待していた。ところが。辺野古界隈は、キャンプ・シュワブ周邊を含め、閑散。抗議活動・座り込みの痕跡すら見あたらなかったことである。

 だいたい、「座り込み」と言うからには、普通、目的が達成されるまでずっと座り續けることを言うのであろう。と、日本國人は思っていた。とはいえ、一人が何年も座り續けるのはさすがに不可能であるから、「同志」と交代でやってもいいだろう。臺風等のときは、一時撤収もやむをえまい。しかし、そういった別段の事情が無い限り、誰かしらが座り續けていること。それをなしてはじめて、「座り込み」と言えるのではあるまいか。

 ひろゆき氏による、”「座り込みの意味を理解していない」”という發言も、もっともだ。そうではなく、”「工事車両が来ない時や台風の時は、座り込みはやっていない」”のならば、”「あえて説明しなさい」”。沖縄平和運動センター前議長の山城博治サン。別記事にて、ナザレンコ・アンドリー氏が、”「3011日の不屈座り込み抗議は普通に嘘じゃん!」”とおっしゃっているが、これも同感である。

 ことわっておくが、日本國人は、在日米軍の辺野古基地計画に賛同するものではない。これまでも、當ブログにて繰り返し書き續けてきたように、沖縄からのみならず日本から在日米軍は引き揚げさせよとの考えである。この考えは、微動だにしない。そのかわり、我が國は、万難を排して、いかなる外国をも殲滅できるほどの核武装をはじめとする軍備を整えるべきであり、加えて、日本國民は、たとえいかなる外国が、たとえ核兵器をもって攻撃してきたとしても、斷じて生き残り、日本國を守り抜くべきなのである。昭和二十年當時の日本が、卑怯卑劣にも、沖縄にだけ本土決戰をおしつけて、九洲や關東に連合軍が上陸する前にさっさと降伏し、沖縄を、あろうことか、虐殺加害者アメリカに譲り渡してしまった恨みからくる沖縄の日本やアメリカに對する反發を理解もせずに沖縄縣民を愚弄するボンクラネトウヨどもに同調するものではない。

 しかし、パヨクだかなんだか知らぬが、抗議活動をロクにしてないくせに大袈裟にしているフリをしていることが判明した反對派どももまた、醜惡極まりないものである。

 

紀元二六八二年 令和四年 十月五日