電信電話、幹線鐵道、高速道路は國營化すべし | 日本國人

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令和元年・紀元2679年10月1日開始。

 昭和後期以降、國家にとって必要なる、いろんな機關、組織が、民營化、分社化、自由化されてきた。國鐡、電信電話、郵政、高速道路、等々。これらは、なされる時に、日本人民(≠國民)どもから支持された。そして、人民どもから支持された、中曽根政権や小泉政権といった、當時の政府与党政権によって、なされてしまったのであう。

 何故に、人民は、こういった重要機關、組織の民營化、分社化、自由化を支持したのか。それは、安くなるだの、サービスが良くなるだのといった、即物的な宣伝に乗せられてのところが大であったろう。そして、民營化、分社化、自由化に伴い失うものを、認識し、想像することができなくなっていたのである。

 それでも、少數の國民・國士は、危機感をもって、これらの妄動に反對したものだが、こういった眞の國民・國士は、愚民人民どもに支えられた、屬國奴賣國奴あるいは單なる阿呆奴によって、抵抗勢力などとなされ、多数決にて、強行されてしまった。

 全く、愚かなことだ。元をたどれば、これは、昭和二十年に、日本がポツダム宣言を受諾し、あろうことか、武装解除をしてしまったことによる。國體を守るには、軍隊が不可欠。國體と軍隊は、一體不可分なものなのだ。いくら、軍隊の無条件降伏であって國家の無条件降伏ではないのだから國體は護持される、などと強弁しようと、實際に、憲法、敎毓をはじめ、國體は無惨に歪められ、破壊されてしまったではないか。

 とりわけ、敎毓まで破壊改惡されてしまったため、戰後の学校教育では、日本國民ではなく愚かな日本人民しか育たなくなってしまったのである。その、愚かに育った日本人民が多数決選挙にて決めた賣國奴や屬國奴あるいはそれすら認識できぬ阿呆奴が権力を握り、現在に至るのである。

 國民ではなく人民にしかなれないゆえに、獨立國家日本という意識は希薄になってしまった。同時に、國家を支える交通や通信といったものが、日本國家にとって、いかに重要なものであるかという意識も希薄になり、安易に、安くなるから、サービスが良くなるからという口車に乗せられて、民營化、分社化、自由化がなされてしまったのである。

 結果、日本國内の移動であるのに、いろんな種類の切符ができてしまい、以前は買えた賣り場にて切符が買えなくなったり、引っ越しの際の電話移轉が、116だけではできずに聞いたこともない会社とのたらいまわしを經て、結局數十倍の時間と電話料金を要してかえって複雑化したり、僻地郵便局が消えたり、ということになっているのだ。そうすると、益々日本國民としての一體感は希薄になっていく。

 令和時代、我が國が滅びることなく復活するためには、軍隊の復活、日本国憲法の無力化、敎毓のたてなおしとともに、幹線道路、幹線鐡道、幹線航空路および海路、電話・通信網の、國營化再統一が必要だ。特に、通信網は、いつまでもアメリカずれのインターネットを使うのではなく、我が國獨自の國營通信網を、まず我が國だけでもつくり、それを友好国から世界に廣げていくべきだ。

 

紀元二六八二年 令和四年 九月二八日