良い醫療を行う醫療機關には經營的な余裕が必要 | 日本國人

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令和元年・紀元2679年10月1日開始。

 現在、日本には、様々な醫療機關が存在する。その中には、明らかに儲け主義にみえる醫療機關が存在することも事實だ。

 しかし、儲け主義の目的は、様々である。理想の醫療を實現するため、そのための資金をつくるため、というところもあろう。施設が老朽化して改築したいがため、という病院もある。はたまた、職員に還元するため、というところもあろう。また、ただ單に經營者が私腹を肥やすため、というところもあるかもしれぬ。

 つまり、儲け主義にみえる醫療機關が、必ずしも惡いとは限らぬかもしれぬということである。

 經營者が私腹を肥やすために、というのは、もちろん論外だ。こんな医療機関・経営者には、さっさと退場してもらわねばならぬ。しかし、何か利他的な目的があっての儲け主義もあり得るのだ。

 儲け主義という言葉は、いささか不適切かもしれない。より有體には、なるべく保険醫療點數を多くとる工夫をし、従業する醫師等にそれをさせる醫療機關と言えばよかろうか。

 一つ言えるのは、醫師が理想と考える良心的な醫療をするのはもちろん良いことであろうし、そうすべきでもあるが、採算を度外視してそれをおこなえば、そして、そういう醫師ばかりの醫療機關であれば、その病院は大赤字となろう。

 醫師ばかりでなく他職種従業員の給料も減らさざるを得ない。そうすると、従業員の士氣は下がり、離職をも促す。結果として従業員が減少し、充分なる醫療看護體制がとりにくくなる。施設は老朽化しても改築できず、昨今流行りの充分なる”コロナ對應”も難しくなろう。

 ここが、病院經營の難しいところだ。以前は、國立病院や大學病院では、經營など考えずに、各醫師が理想と考える醫療を、有體には、好きなだけ必要と思う檢査を行い、高い藥を處方し、ということができる、そういう醫療機關があったかもしれない。しかし、現在は、國立病院や國立大學病院も、独立行政法人化されているため、一般私立病院と同じく、經營に無頓着ではいられなくなってしまっている。

 それでは、今現在、良心的理想的な醫療を受けられる醫療機關に最も近いところはというと、大きな團體が後ろについている醫療機關である。それは、大企業、宗敎團體、その他各種の潤沢な資金を持つ團體の醫療機關だ。

 實際、週刊誌等で時々出る、いい病院”ランキング”をみても、だいたい、そのような病院が名を連ねているようである。ここでその具體的な病院名を擧げることは避けるけれども。

 

令和三年 紀元二六八一年 六月二八日