三峡ダム決壊の危機は、今年も續く? | 日本國人

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令和元年・紀元2679年10月1日開始。

 昨年の今頃、支那では、武漢風邪やイナゴ(バッタ)の大發生に加えて、三峡ダムの決壊危機が話題となっていた。しかし、この三峡ダム決壊危機、昨年で終わったわけではなく、今年も言われているようである。今年も、去年に劣らぬ大雨が、三峡ダムがある長江流域周邊に降り、長江水系の水量が増えているようなのだ。

 確かに、天気圖を見てみると、日本列島周邊では南北によく動いている梅雨前線が、支那内陸部では、長江に沿うかのように停滞しているように見えるのも、昨年の天気圖と同様だ。

 三峡ダムは、平成時代に造られた、新しいダムであるが、構想は大正時代、中華民國創成期からあった。構想者は、中華民國國父、初代大統領の孫文とされている。孫文は、中華民國建國前後に、我が國の東京へ亡命していた。三峡ダムの構想も、日本人の學友から學んだものであろう。

 三峡ダムは、大河長江にあるダムだけあって、規模も、日本のダムとは桁違いである。併設の水力發電所は、年間發電量一千兆キロワットに及び、日本で一年間にて使われる電力量の一割にも及ぶという。また、パナマ運河にあるような閘門も設置されており、ダム湖まで、一万トン級の船を遡上させることもできるそうな。一万トンと言えば、日本の主要港を結ぶ車載旅客船(フェリー)や、最新鋭防空驅逐艦(イージス艦)と同規模である。

 こういう、雄大な規模のダムであるから、万一決壊となれば、大變なことになろう。長江下流が水浸しとなる。三峡ダムの下流長江流域周邊は、夏王朝以來、支那の穀倉地帯であり、支那米作の中心地だ。ここが水浸しになれば、支那の水田稲作は大打撃を被ることになろう。また、河口域には、支那随一の大都市上海をはじめとした大都市群がある。さらに、水力發電所の電力も止まるだろう。つまり、三峡ダムが決壊ともなれば、支那の經濟が大打撃を被ることは必至だ。

 今年、三峡ダムがどうなるかはわからない。しかし、昨年も今年も決壊の危機が言われているとすれば、今年もったとしても、今後も決壊の危機が續くだろう。支那が抱えるアキレス腱の一つとも言える。アメリカなどは、彈道彈(ミサイル)の照準を合わせていることであろう。我が國にもそうしてもらいたいものだが。

 ところで、ダムを造ると、どうしてもダム湖に沈む地域が出てきてしまう。そこに人が住んでいれば、退去移住せざるを得ない。我が國の川辺川ダム建設計畫に伴い、ダム湖に中心部が沈む五木村は、住民の半分二千人が退去移住した。三峡ダム建設によって退去移住させられた人口は、何と、百二十万人に及ぶという。その中には、少数民族も居たというが、その方々は、自分たちの利にはほとんどならぬダム建設にて父祖の地を支那人のために追われ、氣の毒なことである。

 

令和三年 紀元二六八一年 六月二七日