今こそ、原油の大量輸入を | 日本國人

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令和元年・紀元2679年10月1日開始。

 原油価格が暴落しているという。なんでも、一時、零円以下(マイナス)にまでなったのだとか。これは、我が國にとり、好機である。

 我が國は、いわゆるエネルギー自給率が低い。欧米のように、軍事力にまかせて虐殺・侵略の限りを尽くして資源産出地域を強奪するようなことをしてこなかったわけだから、これはやむを得ぬ。

 木材や石炭が主要な燃料であった時代は、かなりの部分を國産でまかなえたため、まだ良かったが、主要燃料が石油に移行するや、我が國は、苦境に立つこととなった。なにしろ、我が國の本土からは、秋田や新潟からわずかに採れる以外、ほとんど原油が出なかったのだ。

 實は、北樺太からは、かなりの原油が出るのだが、江戸時代以降、ロシアの占領下にあった。大正時代、シベリア開放(出兵)にて、一時奪還したのだが、お人好しにもソ連に返還してしまったのである。

 すなわち、原油を止められると、我が國は、お手上げとなってしまったのだ。實際、野蛮極まりない欧米諸国および支那は、我が國に對して、それを行ったことがある。昭和十六年に行われた、いわゆるA(America=アメリカ)B(Britain=イギリス)C(China=支那)D(Dutch=オランダ)包囲網による、對日石油禁輸である。これにより、我が國の石油は、備蓄してあった二年分のみとなり、生き残るためには、それが尽きる前に、戰爭をしてでも東南亞細亞の産油地帯をオランダから解放するしかなくなったのだ。これが大東亞戰爭の一因となったのは、周知の事實である。

 さて、現在も、我が國にとって、石油は主要燃料資源のひとつである。エネルギー源の約半分は石油だ。原油価格がこれまでになく暴落している今こそ、原油を大量輸入すべき時であろう。國内の油槽船(タンカー)を総動員し、貯蔵施設を各地に建設して、可能な限り大量に輸入しておくのだ。

 武漢肺炎による各国の鎖国状態は、當分續くであろう。石油は、工業に必要であるのみならず、今後行われねばならなくなる食糧の大増産においても必要となろう。また、苦しい時に、産油国に恩を賣っておくにも良い機會だ。一石二鳥であろう。

 

紀元二六八〇年・令和二年 五月二日