如意尼 = 真名井御前 | 大山蓮華

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謎解きをしています

 

 

 

                                         ・・・弁才天を探して  番外編  

 

 

 

 

 

            如意尼

 

淳和天皇の妃であった真名井御前は

出家して空海さんから如意尼という法名をいただいた

甲山(六甲山)に摩尼山・神呪寺を開基したと伝えられている

 

生まれたときから霊的能力が高かったと思われます・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                < 丹後に伝わる民話から >

               

 

    慈雲寺にまつわる民話

 

    慈雲寺の付近に小萩の屋敷跡があります

 

    ~

     昔 ここに貧しい百姓家があった

     夫婦の間に子供がないので 天に祈って女子を授かった

     その後 都から来た旅の僧が

     芳香を放っている河水に惹かれて 上流の里に至り

     山村には珍しい美少女に出会った

     僧は この少女の父母に会って

     「この児を私にくださらぬか

      都へ連れ帰って必ず大切にお育ていたしますじゃ

      どうか ぜひに」

     と 懇望され 父母も

     「大切な神からの授かりものの児ですが

      ごらんの通り 毎年のように洪水で田を荒らされ

      その日の暮らしにも困っておりますだ

      大切な児で手放したくはありませんが

      いまはもう育ててゆく力も無うなりました

      どうか なにぶんよろしゅう願いますだ」 と承諾した

     娘の名は 小萩といって その時七歳であった

    泣き泣き父母と別れ 僧に連れられて 

    西国霊場を巡拝して後に項法寺という寺に預けられた

    小萩が十九歳になった時 

    当寺三十七歳の皇太子のお耳に入り 宮中に召された

    小萩は 皇太子妃となり

    やがて 皇太子は即位されて淳和天皇となられたので

    小萩は皇妃となって寵愛を受け

    宮中では 与佐の宇屋居子または厳子と呼ばれていた

    ところが

    小萩は 宮中へ出入りする僧 空海の信仰に惹かれ

    深く仏道を極めたく発心し ついに侍女二人を連れて宮中を抜け出し

    空海に弟子入りし 剃髪して「如意尼」の法号をもらい

    侍女二人も尼になって麻耶山に入った

    如意尼三十三歳の時 

    師の空海の死に接し 無常を感じて帰郷を決意し

    西院に天皇を退位された淳和上皇を訪れて別離の言葉を述べ麻耶山を去った

    上皇から授かった書や御下賜金の一部を持って

    故郷の香河に草堂をつくって

    上皇のために仏の加護と 師空海の冥福を祈願した

    この草堂が後に慈雲寺となった

    如意尼は他にも付近に善法寺や慈観寺も創建している

 

 

    ・・・父母と別れてから (または 宮中に上がる際に)

      籠神社の海部氏の養女になったのであろう

      そして

      名を厳子(いつこ)に改名した思われます

      

      芳香を放っている河川=香河

 

 

 

 

 

 

 

     慈雲寺

         京都府与謝郡与謝野町香河578

 

         慈雲寺に残る石碑には以下のように刻まれている

 

     由緒

     当寺は 当地で生まれた小萩が

     人皇第五十三代淳和天皇の妃に立たれ

     其の後 弘法大師の手で剃髪された如意尼が帰村して創建したものである

     今を遡る凡そ千百四十年前

     尼が四十才前後らしく

     真言宗で3町歩の御免地が官給されていた

     其の後五百年 尊氏が足利幕府を開き

     初代丹後守護として 舞鶴に居城した一色範光が

     交通上軍事上の要衝として此地を重要視し

     自分の法号を慈雲寺殿(でん)として厚く庇護した(一三四五年頃)

     足利一色氏の衰退に伴って天寧寺の末寺として寺運も盛衰あり

     一色氏滅亡後 百九十年(安永元年)(一七七二)復興され

     明治中期 天寧寺を離れて 妙心寺の直末となり 延々今日に至っている

 

 

     この慈雲寺には「龍の鱗」があると伝えられています

 

     如意尼は 故郷の加悦(かや)の香河に戻られて

     観音に帰依するために創建されたいくつかの寺院が今も残ります

 

 

 

 

     高野山真言宗 石川山神宮寺 

 

     「宮津府誌」には次のように記されている 

      ~ 石川山 神宮寺 在 興謝郡石川村

        真言宗 成相寺末 本尊 不動明王 開基 如意尼~

  

     お寺は廃寺となっているようで 今は 祠とお地蔵さんがある

 

 

 

    「与謝郡誌」には次のように記されている

 

    ~ 石川村姫路にあり 本尊聖観音菩薩 前仏不動明王

      如意尼の開基にて もと慈観寺と云ひ~

 

 

 

 

    臨済宗妙心寺派・金湯山西禅寺

    「丹後旧事記」から

     ~ 一宇の精舎を建立して養法寺と名付られける

       今其寺跡田地の字と成て 

       世に伝ふ手づから彫刻の本尊観世音菩薩は

       養法寺破壊の後 小萩の草堂に安置らしも今は名のみ残りて

       石川村西禅寺と伝に有

       この尼は浦島の同じ血脈なり

       浦島が玉手箱を得て 空海大士に奉り玉ひ

       この箱を以て空海雨をふらせ玉ふこと釈書に委ねし~

 

    ・・・この記述によると 蓮華の推測は当たっていた

       

       浦島太郎が持って帰ってきた玉手箱を 空海に渡して

       空海は その玉手箱を使って 雨乞いをした

 

       玉手箱とは 目に見えない存在の龍

       気象を操作する龍の力を借りて 空海は雨を降らすことが出来たのだろう

       

 

 

 

    「丹哥府志」~

    元亨禅書伝 如意尼は丹後与謝の人なり

            天長帝の次妃となるといふは此人の事なるべし

            薙染の後故郷に帰り一宇精舎をたつ 是を善法寺といふ

            今名のみ残りて田の字となり

            其手づから彫刻せし観世音菩薩は其隣村神宮寺にありとかや

            抑香河は和名抄にいふ神戸なりしが川の匂しより香河とぞなりぬ

 

        薙染とは 出家すること

 

 

 

 

    これらの文献によると

 

            如意尼は

            浦島子(浦島太郎)の血筋で

            浦島子は日下部氏族の子孫で

            日下部氏の祖は 彦坐命

            彦坐命は開化天皇の子 

 

            浦嶋神社の由緒では

            日下部氏の太祖は 月読命・・・ 

            主系・傍系ということかもしれませんね

 

 
    如意尼は 
    慈雲寺の近くの貧しい農家に生まれ
    幼名は 小萩
 
    7歳の時 父母と別れ
    旅の僧に連れられ 霊場を巡拝後 お寺で奉公をしていた
 
    後に 淳和天皇となる皇太子の目にとまり
    宮中に上がったときは  名を厳子と改めた
 
    妃となってからは 真名井御前と名乗っていた
 
    宮中に出入りしていた空海に出会い
    侍女二人と共に出家して 神呪寺を開基
 
    空海の死後 故郷の香河に戻り
    御堂(小萩の草堂)を建てて 余生を送り・・・
 
 

 

     

 

 

      だが・・・

      籠神社の海部氏の系図では

 

         

 

     古代海部氏の系図(新版)にも記されていた如意尼

      ~鎌倉時代に作られた「元亨釈書」によると

       延暦十一年(792)から引仁十年(819)まで二十七年間

       籠神社に奉仕した海部直雄豊祝(29世の孫)の娘に厳子(いつこ)姫がいた

       姫は広仁三年(812)京都の真言宗頂法寺六角堂に入り 修行をし

       広仁十三年(822)桓武天皇の第三皇子の大伴親王の妃となる

       大伴親王は翌年4月に即位して淳和天皇となっている

       厳子姫は妃となってから 故郷の名をとり「真名井御前」と称した

       真名井とは籠神社の奥宮の名である

       真名井御前は 天長三年(826)宮中より退出し

       兵庫県西宮市甲山に一宇を建立し 空海を師として修行した

       これが摩尼山神呪寺である

       そして天長八年剃髪して「如意」と号した

       承和二年(835)如意尼は入定するが~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

        * 弁才天さんを探す記事が続きます *