弁才天さんを探して 12
京都府与謝郡伊根町に 浦嶋神社があります
由緒
「 かつては宇良神社(うらのかむやしろ)
祭神は浦島子(浦島太郎)
創記は淳和天皇の天長二年(825年)
浦島子を筒川大明神として祀った
浦島子は 日下部首等の祖先に当たる
日下部氏は 「新撰姓氏録」によると 「日下部宿禰同祖、彦坐命ノ後也」
彦坐命は 開化天皇(紀元前157~98)の子
従って
日下部首等は後裔氏族で
その太祖は 月読命の子孫で当地の領主である 」
< 由緒と画像は 浦嶋神社の公式サイトから >
・・・月読命の子孫 ?
また 後でしらべよう・・・
筒川大明神の 筒川というのは
創建当時の この地の地名らしい
そういえば
六甲姫神社の資料に
「 武庫郡大領 日下部宿禰浄方 」 とあった
六甲と 丹後は 繋がっていたのかな
そうすると
如意尼が第4妃になったのが822年(20歳)
淳和天皇が即位したのが823年で
浦島神社の創記は825年
如意尼が甲山に入ったのは828年・・・
そして・・・
如意尼は 籠神社の海部氏の娘では無く
浦島の娘 つまり日下部の娘で
海部氏は養女としたのかな
それとも 創作?
如意尼は 巫女さんだったのだろうか
空海が 如意輪観音像に隠した如意宝珠とは
如意尼が空海に渡したのでは無くて
渡したのは 浦島太郎だったのかな
浦島太郎のお話は後で調べなきゃね
浦島太郎のお話では
「 浦島太郎が竜宮から帰ってきてから
玉手箱を開けたら 白い煙が出てきた 」
と伝えられていますが
白い煙については
蓮華も体験していますが
高次元の存在が視えるときには
白い霧とか 白い煙のように視えることがあります
現実のモノでは無く 物質的なモノでも無いので
誰にでも視えるもの では無いかもしれません
干珠・満珠というのは 玉手箱と同じモノかもしれませんね
浦島太郎が
持ってきたのか 憑いてきたのかはわかりませんが
竜宮から帰ってきたので
その「たま」は 霊(たま)
珠=玉=たま=霊(たま)
龍のことかもしれませんね
空海が唐から帰ってくるときに 龍が顕われ
空海は 海を渡ったことからサンズイをつけて 「 瀧 」として
清瀧権現と名付けたとされています
空海は 806年に帰国したとされています
空海は 宮中に出入りをしていました
浦島太郎の伝説は 創作ですからね
籠神社の 海部氏の系図にも記されていましたが・・・略
「勘注系図」は現存する日本最古の系図として国宝に指定されている
885年~889年に海部直稲雄によって収録され
江戸時代初期に海部千代によって書写されたものとされている
アメノホアカリを祖とするのは海部氏だけでは無い
熱田神宮の宮司を代々務めた 尾張氏もアメノホアカリを祖としている
尾張氏系図は「先代旧事本紀」でわかるが
アメノホアカリから何代かは海部氏系図と重複している
そして
やはり 尾張にも浦島伝説があった
竜宮神社
愛知県知多郡武豊町大字富貴字竜宮
祭神は 大綿津見神
現地案内板の由緒によると
「天長二年(825年)7月
浦島太郎が竜宮から帰った後 竜宮を偲んで建立したと伝えられる」
さらに
香川県の三豊市観光協会のHPにも・・・
「 三豊市詫間町にある荘内半島 丸山島には浦島神社があり
弥生時代の遺跡がある山頂から少し降りたところに
浦島太郎を祀る龍王宮がある 」
・・・ここの浦島とは
大浜浦・積浦・生里浦・箱浦・香田浦・粟島・志々島を総称して
浦島と呼ばれていたという
つまり ここの浦というのは 浦島太郎とは関係なさそうです
この記事を書いている途中で
もうひとつ 「うら」 が頭に浮かびました
それは 桃太郎のお話
「うら」=「温羅」
温羅というのは鬼のことで
鬼を退治したのは 吉備津彦
うら・・・宇良・・・浦・・・温羅
「うら」という氏族があったのかもしれませんが
浦島太郎については 今のところ ここまでです
こういう おとぎ話の謎解きは 楽しいです♪
何故か気になる 月読命・・・
* 弁才天さんを探す記事が 続きます *