秩父神社の妙見さま | 大山蓮華

大山蓮華

ちょっと不思議な体験や感じたことを
古文献や民話や伝承などや遺跡の発掘資料などを参考にして
謎解きをしています

 

 

 

                                         弁才天さんを探して    12

 

 

 

 

 

秩父夜祭

  秩父まつり会館のHPから抜粋

 

   寛文年間(1661年~1672年)には すでに始められていた

 

   秩父神社の祭神の妙見さま(女神)と 武甲山の龍神さま(男神)の

   年に一度の逢瀬の祭りで

   亀の子石でお逢いになるらしい

 

   諏訪神社に敬意を表して その近くを通る時には

   静かに進む「お諏訪渡り」という神事が今も続いている

   これは 

   秩父神社に妙見さまがお祀りされる以前から

   秩父地方に根付く諏訪信仰に由来する

 

 

 

     なんと!

     秩父の妙見さんは 女神だった!!!

 

 

     亀の子石 というのは 玄武のことらしい

     

 

 

亀さんに乗っている妙見さん

 

 

  新たな女神さまを見つけてしまった・・・

        

 

 

 

 

 

  「先代旧事本記」には

 

   崇仁天皇の御代に 八意思兼命の十世孫である知知夫彦命が

   知知夫(秩父)国造に定められて 大神を拝祠したとあり

   これを以て 秩父神社の創祠とする

 

    先代旧事本紀は806年から906年の間にに成立したとされている

 

 

 

 

 

  1828年の成立とされている「新編武蔵風土記稿」には

 

   妙見社は

   天武天皇白鳳四年(675年)の鎮座にして

   祭神は当国国造の祖知知夫彦命とも 大己貴尊とも伝

   国造本紀(=先代旧事本紀)(上記の内容)なれば 祭神大己貴命なること疑いなかるべし

   後に妙見社と号するは 後年妙見社を勧請して

   中略

 

   天慶年中(938~947年)に

   高望王の五男 常陸の国香(=村岡五郎良文)が

   平将門の合戦後 秩父に居を移す時

   上野国群馬郡花園の寺院から 妙見菩薩を勧請したと伝える

   その後 良文下総国へ転ぜしとき 当所の妙見社を勧請すといへり

   略

 

 

   ⇒将門との戦いで亡くなったとする説もあるが

     村岡五郎良文は 常陸の国香の弟らしい

 

 

      平良文は久留間・息災寺から妙見菩薩を勧請

      現 高崎市引間の妙見寺

      妙見寺縁起帳によると

      古くは七星山息災寺で妙見菩薩を祀る

      霊亀元年(715年)の創建

      永平五年(935年)平将門が上野国侵攻のとき戦勝祈願をしたと伝える

 

 

 

 

 

  「秩父大宮妙見宮縁起書」によると

 

    「欽明天皇の御宇 国司のもふしあげによりて

    大星太神ならびに 香香背男命を祝祀給ふに

    勅使降もふき給ふて真名井の原に勧請ましましき」

 

 

  秩父の真名井の原(現在は宮地)に鎮座していた妙見神を

  秩父神社の柞乃杜(ははそのもり)に合祀し 秩父大宮妙見宮と称された

 

  大星太神と香香背男命を祀った妙見宮を

  天武の時代に大貴己命と合わせて中野原(宮地)に祀った

 

 

     この縁起書は享和2年(1802年)に編纂されたらしい

 

 

 

   欽明天皇は 継体天皇の皇子で 29代在位は531~571年

   ハハソとはコナラの呼称らしい

   和歌では ハハソは母の枕詞らしい

 

   大星太神というのは 北極星のこと

   香香背男命というのは 星神のこと(北斗七星のことらしい)

   星神は 天武・持統によって排除されている 

 

   霊符縁起集説を参考にすると

      玄武は亀であり 妙見菩薩のことらしい

      玄武の大元は国常立で 水の神だそうです

      ( 国常立は龍神さん )

   

 

 

 

   妙見信仰は

 

    道教の 星辰信仰・北極星と北斗七星の信仰から

    北天にあって動かない星(北極星)を

    宇宙の全てを支配する最高神・天帝(太一神)として崇めるもので

    それが

    仏教に取り入れられて妙見菩薩になり(菩薩に性別は無い)

    神道ではアメノミナカヌシに習合したとされている

 

    秩父神社では明治の神仏分離令によって

    祭神は 妙見さんからアメノミナカヌシに改称されている

 

 

 

 

 

  「秩父志」によると

 

    江戸末期に秩父神社(秩父大宮妙見宮)の分社を守り神として七ヶ所に配置した

       小鹿野町藤倉

       皆野町金沢

       長瀞町矢那瀬

       東秩父村安戸

       都幾川村大野

       名栗村

       吾野北川

      

 

    妙見神社が北極星で 七妙見社が北斗七星ということか・・・

 

 

 

 

 

 

 

  秩父妙見七つ井戸

 

   妙見さんが秩父神社に合祀される時

   宮地の妙見宮から 七つの井戸(湧水)を渡って行ったとされています

 

    1 山下の井戸 学校建設の祭埋め立てられた

    2 井之上の井戸 湧水は認められず現在の井戸跡は再現されたもの

    3 三の井戸 (子育ての井戸)僅かに湧水が認められます

    4 下堀の井戸 最も水量が多かったが現在は三分の一程度

    5 あらゐの井戸 現在も水量が豊富(個人の所有)

    6 みざわの井戸

    7 今重の井戸 集合住宅(アパート)の下に位置している

 

 

   湧水を巡っていった・・・

   この秩父の妙見さんは 河の女神のサラスヴァテイ

   

   妙見さんは 地域によっては水神とされているし・・・

   水天宮は アメノミナカヌシを祀っているし・・・

 

 

   湧水を巡って・・・というと 

   鉱脈を探していた修験か それとも産鉄の労働者が関わっているのか?

 

   鉱脈を探していた人達ばかりでなく

   海を渡るときにも 方向を定めるために北極星は欠かせない・・・

 

  

 

 

 

 

    真言宗では

    妙見菩薩の本地仏は 十一面観音らしい

 

           また 十一面観音さんだ!

 

 

    仏教では 正倉院の写経請本帳(736年)に

    七仏八菩薩諸説陀羅尼神呪経(妙見神呪経)がある

    妙見とは 仏典を根拠とする語で

    妙見菩薩とは 北極星と北斗七星を神格化した仏のことです

 

 

 

    7世紀頃 高句麗・百済などの渡来人により伝わったらしい

    天智天皇(在位668~671年)以降 

    渡来人を強制的に関東に移住させたらしい

    それによって星神の信仰が伝わったらしい

 

 

   7世紀末から8世紀初めの頃に作られたとされているキトラ古墳には

   北斗七星を始めとする天文図が描かれています

   壁には 玄武・青龍・朱雀・白虎の四神獣が描かれ

   玄武は北を守護するといわれています

 

 

   秩父の妙見さんは玄武である亀さんに乗っています

  

 

 

   仏教には四天王さんが四方を護っています

   北方を守護するのは 多聞天さん(=毘沙門天)

   

 

 

 

 

 

  諏訪湖の御神渡り

    諏訪湖では 寒い日が続くと湖が全面結氷する

    更に その氷が盛り上がる現象が起こる

    昔

    諏訪の本宮には男神と女神が祀られていましたが

    荒れる天候を治めるために

    諏訪湖の北に新しい宮を造り 女神がその宮をお守りすることになりました

    男神が女神に逢いに行くのに舟を使っていました

    冬は湖岸を歩いて渡っていましたが

    寒い日が続いたある日 湖が全面結氷したので氷の上を歩いてみました

    男神が渡り終えると バリバリッと音がして歩いた後が盛り上がりました

    これを 御神渡りと名づけました

    男神はタケミナカタトミノカミ 女神はヤサカノトメノミコト

 

  秩父夜祭の由緒に似ていますね

  まるで 七夕の織姫と彦星

 

 

 

 

 

 

  秩父丹党

 

  秩父丹党の祖は 丹生氏です(吉野の丹生川上神社の社家・丹生氏系図参考)

  秩父に顕れた女神さんは 丹生津姫か

 

 

  「丹」は硫化水銀鉱のことで 辰砂 朱色の鉱物

  有毒だが染料として古くから利用されていた

  朱色は珍重され 神聖な色だったのかもしれません

 

 

  丹を産出する場所に丹のつく地名となったり

  丹を採掘する人達を丹とか丹生というようになったのかもしれませんね

 

 

 

  妙見さんが亀さん(玄武)に乗っているのは

  亀=龍 と考えたら・・・ それは武甲山の伏流水

 

  秩父丹党の中村氏は地下水脈を知っていたのか

 

 

 

         丹?

 

 

 

  蓮華が感応した女神さんは丹後だった・・・

  丹波の国が律令制によって分かれて丹後になったという

 

  

 

 

 

 

 

 

     蓮華が感応した女神さまの後ろにいた守護さんは

     やっぱり 多聞天さん(=毘沙門天)だった!

 

 

     画像を再掲します

 

 

                  

                  鳥居の上 中央に女神さまがいらっしゃいます

                  その後ろの守護さんは やっぱり多聞天さんでした

 

                  この神社を訪れる前に

                  枕元に 多聞天さんが顕れたのも納得しました