9 市川由衣 15歳、高校1年生です。 その3(完結編)
新たに 他の事務所からエキストラが7~8人
バスに乗ってきた。
あれ?何のシーンだろう。
成田に着いたのは5時頃だった。
由衣ちゃんが走るシーンだ。
「暗くなる前にとっちゃおう」 監督が言った。
50メートルダッシュを延々とさせられていた。
「若いなあ」バスの中から俺は眺めていた。
時間にしたら1分もない場面だが30分以上やって
いた気がする。アイドルには体力も必要だ。
周りにいる彼らはしきりに電話し、明日の仕事の
催促をしていた。
プロのエキストラ軍団といった印象を持った。
ADが来た。「よっしゃあ 出番か!」
「次、エキストラさんお願いします」 「ガクッ」
おいおい、俺のカラータイマー点滅しまくっているよ。
それを言ったらアウトだ。
黙って待った。役者とは待つも仕事の内なのだ。
もう暗くなっていた。近くに神社かお寺のある公園。
闘鶏シーンだ。
プロさんたちが闘鶏で盛り上がっている所へ由衣が
「お前ら何やっとんじゃー」みたいに入ってくる。
そんな場面。
暗いバスの中一人じっとしていても仕方がない。
外に出て見ている事にした。
由衣マネは写真撮りまくり中。
実は1枚くらい俺も取られたような気はする。
ニワトリの血しぶきが由衣の顔に飛び散る。
もちろんニワトリなどいない。
絵の具を溶かしたやつをスタッフが筆で
”ピッ”と やっただけだ。
スタッフも制服にかからないよう慎重にやっていた。
「かかったらごめんね」監督は割とのんきだった。
プロさんたちだけじゃ人数が足りなかったようで、
たまたまいた地元の人達も出演させていた。
たまたまとはいえスタッフが調達してきたのだ。
通りすがりの人もいたかもしれないが。
彼らもあのドラマを見て
「お、出とる出とる、ワシじゃ」みたいに喜んだだろう。
闘鶏シーンが終わったのは9時を回っていた。
プロさんたちはそこで解散となった。
といっても成田だ。
駅までは送っていってもらっていた。
ある家の隣にある小屋、そこが次の舞台だ。
準備が整いイザ、やっと来た、長かった。
夕飯食ったことさえ覚えていない。
由衣と父ちゃんのシーンだ。
10時だ。1時に集合してから9時間待ったことになる。
俺の最高記録だ。
もちろんNGは一つも出さなかった。待たされたことが
逆に緊迫感を生んで幸を奏したのかもしれない。
由衣が俺に酒(もちろん水)を浴びせるカット、
3,4回やり直したが彼女も台詞はバッチリ。
終わるまで1時間かからなかった。
片付けし11時バスに乗り込み帰路へ。
もう少し長引けばホテルでも取ってもらえたかもしれない。
が、帰りは早かった。
0時ちょいには渋谷についてしまった。
車中は静かだった。
由衣ちゃんは一番後ろの座席にいた。
マネージャーと話していたのか、寝ていたのか
そこまで確認はしていない。俺は寝ていた。
「おつかれさまでした」
俺がバスを降りるときそう聞こえた気はする。
あれだけ早く終われと思っていたのだが、
いざその時がくるとなんだか少し名残惜しかった。
11時間も同じ空間にいたからかもしれない。
メークスタッフの女性と井の頭線へ急いだ。
終電だったと思う。
そのメークさんとも下北で別れた。
妙に人恋しかった。
http://ameblo.jp/ootora7/
完
8 麻生太郎
2008/09/19(Fri) -の記事です。
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2002年7月、
私は1ヶ月だけ町田のホテルでフロントマンをしたことがある。 夜勤を10回程度、日勤は2回くらいやったか。 近くにちょんの間(たんぼ)があり、ヤクザもたまに来た。 7月12日、この日も夜勤。 夕方、出勤した時、ちょうど自民党の会が催されていたらしい。 麻生政務調査会長(当時)がSPに囲まれ、私の目の前を通った。 だからと言うわけではないが、今回だけは麻生さんに勝ってほしい。 私はチャレンジャーが好きだ。3度目の正直はならなかったが 諦めなければいつか勝つ、を見せてほしい。 もちろんそれだけの理由で一国を任せるわけにはいかぬだろう。 失言などで失脚する恐れもある。 それでも、あのような明るさが今必要だ。 暗い時代、その太陽が本物ならば・・・・・ PS) 昨年、4月20日町田のコンビニで発砲事件が起きた。 そこにはホテルマン時代、 いつも弁当を買いに通っていただけに驚いた。 もう、あの辺は6年以上歩いていない。 PS 2) 麻生さんのHP覗いてみたら、明日、お誕生日のよう。 この記事、明日書けばよかった。 |
麻生氏当選
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- 2008/09/23(Tue) の記事です。
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次は小沢党首との一騎打ちとなるのか。 私は支持政党はない。 民主党に国を運営させたらどうなるのか、それにも興味はある。 小沢さんも嫌いではない。 ただ、せっかく麻生さん。 1ヶ月足らずで終わってしまっては、それも寂しい。 余談だが、私の住所は川崎市麻生区。 麻生政権で麻生区が盛り上がるわけではないが・・・・。 ちなみにアソウクではない。 アサオクだ。 |
7 東金女児殺害事件、性善説は死語か?
私も千葉の出身だ。千葉だけに限ったことではないが、
あまりにもこの種の事件が多すぎる。 昔も今も、その数に大差はないと言う意見もある。しかし そんなことを問題にしているのではない。 私は独り身だが子供は好きだ。 全国の小中学校を旅して歩く劇団に10年以上かかわって来た。 保育園などにも行った事がある。 魔女役で登場したとき、小学生なら笑ってくれるような場面でも 本気で怖がって、泣かれたりした。 4~5歳くらいと言うのは、それほど純粋なのだ。 犯人に対しては怒り以外何も感じない。 こういう事件を起こす人種は、人の怒りや悲しみを快感とする 変質的要素が強い。騒げば騒ぐほど喜ぶような・・・ ただ、暴行されたという報道がないので、怨恨なのだろうか。 福岡の件もある。 親族を疑うのはいやだが。 一つはっきりしているのは、 人の未来を奪う権利は誰にもないと言うこと。 誰でも知っている、当たり前のことだ。 これが、野生動物の犯した事故だったのなら、 ここまで怒りも起きない 罪を憎んで人を憎まず、 そういう心境にはなかなか至れそうにない。 |
6 ホリエモンと菊川怜
ホリエモンのぶろぐが
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話題になっているという情報をキャッチした。
たまに読んでいるメルマガの作者からだった。
さて、さっそく飛んでみた。 内容は難しそうだったので ざっと流した。
牛丼の写真が載っていた。
彼の生き様に関しては賛否両論あろうが、 私は7・3くらいで好意的に捉えている。
確かに経営者として非情な面もあっただろう。 闇の部分もあったかもしれない。 しかし客としてみるならば、やることなすこと楽しかった。 「プロ野球って普通に買えるんだ」と。 いちいち桁が違っていた。 マスコミもあおっていた。
彼が何者であろうと、一つの時代に君臨したしたことは事実だ。 「金で全てがモノにできる」 とは、心底は思っていないだろう。 頭のいい人間だ。
それがいつまでも世間に通じることのないくらいは知っているはずだ。
そのような演出、パフォーマンスを一時していただけに過ぎない。 悪であれ正義であれ、人間的魅力がなければあそこまで色々 事をなすことは不可能だ。 たとえそれが失敗に終わったとしても そのステージに立つことすら簡単ではないのだ。 選挙に立候補はできても、TV局は普通は買えない。 それを買える人間がもし、
「やめときなよ」と言っていたら少しは聞く耳を持ったのだろうか。 大いなる野望を抱くのは悪いことではないのだが・・・・ まあ、いずれまた何かやるだろう。 大々的にかどうかは別として。 堀江氏とは面識はないが、東大生と話したことはある。 昔、バイトでリーダーをやった時、メンバーに東大生がいた。 俺の指示で天下の東大生が動く、快感を覚えたものだ。 日テレの麹町スタジオで、菊川怜とすれちがったこともある。 「おはようございます」 俺を偉いスタッフと思ったのだろうか、
挨拶されてしまったときはさすがに照れた。 もし単なる小物と知っていて、あのように挨拶ができたとしたら その人間はそれだけで誰からも尊敬を得ることになるだろう。 六本木ヒルズはまだ行ったことがない。 家賃200万円か・・・・、俺の2年分の給料だ。 |
5 市川由衣 15歳、高校1年生です。 その2
「市川由衣 15歳 高校一年生です。 よろしくお願いします」
・・・それが出会いだった。 まもなく彼女とマネージャーは、食事兼打ち合わせで、その場から去った。 ビル内の一室では 他の渋女メンバーと、うちの役者が別のシーンを撮影中だった。 集合はしたものの、いきなり出番というわけではなかったのだ。 しかしいつ始まるのだろう、いっこうに声がかからなかった。 俺は用意された弁当を、英樹君と一緒に食った。 台本にも目を通した(たぶん)。 再び外に出ると、ロケバスが来ていた。 「中で待機していて下さい」スタッフに言われた。 後でわかったが、
ADだと思っていたそのスタッフはプロデューサーだった。
「それじゃ僕、他の現場行きますので・・・」 2時頃か、英樹君は渋谷を後にした。
事務所といってもマネージャーが何人もいるような大手ではない。
いや、
マネージャーが現場にこられない時のほうが実は多いくらいなのだ。
「一人になってしまった。まあいつものことだ」 もう一人の仲間も今の撮りが終了したらあがりだ。 由衣とマネージャーが戻ってきた。 ひとりポツンといる俺に会釈をくれた。先のAD、いやPもいた。
俺は機種交換したばかりのJフォン(なつかし)をいじくっていた。 すると 「台詞合わせお願いします」
「いい子だな・・・」 口にはしなかったが内心感動した。
この作品では、10人くらい女子の名前が並んでいたが 由衣君は3番目位だったろうか。 「ああ、一応メインの子なんだな」そういう認識はあった。
一説には、年間300人以上もデビューするというアイドル達。 「いい子だな、応援してやりたいな」
出会った人間にそう思わせることは最大の才能の一つだろう。 もちろんそれだけで生きていかれるほど甘い世界ではないのだが。 しかし俺はそのとき、 彼女を300分の1のアイドルとはまだとらえていなかった。 今現在の彼女の活躍を予測する、先見の明を持ち合わせて いたならば写真の一つも残していただろう。
マネージャーが一所懸命写真を撮っていたのは知っていた。
「あ、じゃあ・・・」 そう言って俺は丸めたコピー用紙を上着のポケットから出した。 台詞など2つ3つしかない。
後は全部 「・・・」だ。これも入れると5,6個か。
「良いよ」 「はい。・・・『(駆け込んできて)父ちゃん、美代子どこやったんじゃ』」 美代子とはニワトリの名前である。 闘鶏用のニワトリを育てている父という役だった。 娘に売らないと約束していたにもかかわらず、その美代子という名の ニワトリを酒に換えてしまった、ダメおやじという設定だ。 「その酒はどうしたと?」 「ぬしの知ったこっちゃなかと」」 以下省略するが由衣ちゃんは台本を手にしていなかった。 恥ずかしいかな私は持って読んでいた。 2つ3つの台詞を入れるのに5分もかからない。 しかしその5分の努力を怠ってしまう、悪い癖だ。 心構えのしっかりしている子だと感心した。 「九州の友達に電話して、方言教わったんです」 あっぱれである。
その後、グラビアアイドルとして雑誌などに出たが、 この日は全く胸には気がつかなかった。 あ、いかんいかん。父であった。
「どこの事務所なの?」 「エイジです」 「?(知らないなあ) ああ、そう。・・・お芝居やってたんだ」
「はい。 (・・・・)」 色々話してくれたが忘れてしまった。 俺はその頃、半月後に舞台の本番を控えていたので もちろん宣伝をした。2,3枚チラシを渡した。
「絶対観に行きます」
社交辞令でも悪い気はしない。
実際、彼女は当時売り出し中、マネジメントで一番大事なときだ。 そんな暇はなかったろう。 その後、研音事務所に移ったがエイジと言う所とは 関係のある所なのだろうか。
しかし研音といったら最大手の一つだ。 所属タレントのほとんど全員主役クラスといっても過言ではない。
「では今から成田に向かいます」 ADさんが戸を開け言った。 「!何」
思わず絶叫しそうになった。
3時くらいになっていただろうか。いやあ、まいった。
3時には終わっているだろう、そのつもりだったからである。 夜勤明けで、そんなに長ちょうばになるとは思っていなかった。 新たに 他の事務所からエキストラが7~8人バスに乗ってきた。 つづく
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