263 美容院
ブログネタ:美容院、行けるものならどれ位の間隔で行きたい?
参加中262 分別
川崎市は、ごみの分別は緩やかだ。紙ごみ、プラごみ等一緒に捨てられる。
しかし、習慣として、どうしても分けたくなってしまう性格のようで、チラシ、広告類をそのまま
ゴミ袋に入れることに私は抵抗を覚えるのだ。
なので部屋には紙ごみが山積みされている。結局はそれも普通ごみの日に出すので、溜める
必要などないのだが。
よく遊びに行く町田市は、ゴミ袋が有料なので、それに比べたら川崎市はやはり緩やかなのだ。
今のアパートもそろそろ2年。更新料を払って住み続けるか、引越しをするか迷っている。
金はギリギリだが、物件など調べるとそこそこ手頃なところが結構見つかったのだ。
ただ、いくら手頃だからといって、近くにスーパーもない山奥で生活するのはまだ早い。
人里はなれた地で仙人のように生きてみたい願望もゼロではないが、50過ぎてからでいい。
目標はあと5年で30年分の生活費を稼ぐこと。(¥5000万くらいか)
そして私は世捨て人に・・・。これが男のロマンである。・・・妄想はプライスレス。
(・∀・)
261 「世界仰天ニュース」脱獄王
今、遅い昼食を準備しTVをつけたら、「仰天ニュース」脱獄王・白鳥由栄の再放送がやっていた。
実は私も看守役AだかBだかで出ているのだが、その場面は終わっていた。
この時の撮影のことは忘れもしない。
役者として久々に屈辱感を味わった一日だったからだ。
’02年3月1日、大泉撮影所。その日、私とKさんの2人が看守役として現場へ。
私は役付きで、Kさんはエキストラということだったのだが、急遽チェンジ、つまりは降格。
初めは何かの間違いか、もしくは別の台詞でももらえるのだろうと思いきや、何もないまま終了
してしまった。
今日はその場面を見られなかったが、ビデオ撮りしてあるそれをたまに見るたびに、こみ上げて
くるものがある。
もちろん通常はこのようなことはない。私とKさんは同じ事務所だったが、もし違う事務所だったら
まずありえないのではないだろうか。
マネージャーは現場に来ていなかったが、もし来ていればたとえ、降格させられたとしても、
その鬱憤を晴らすこともできた。
いや、そんなことは頑として許さない、という態度を取ってくれたかもしれない。
しかし何より、エキストラのKさんに貫禄負けした自分が一番情けなかった。
この脱獄王は実在した人物、興味のある方は他で検索して下さい。
(:_;)
260 スキンヘッドぶるーす
カッコつけたタイトルだが全く意味はない。単なる思い付き。「スニーカーぶるーす」とも関係はない。
そろそろ春ということなので、私は昨日バリカンを持ち出し、ものの3分で仕上げた。(量が少ないので)
デジカメでもあればお見せできるのだが、残念だ。
TOPに載せているのでわざわざupする必要はないといえなくもないが・・・。
ちなみに私は携帯でブログをやったことがないのだが、機種によると画像が見れないとかあると聞いた
ことがある。
今、携帯でこれを読んでいるそこのあなた、
この眩いばかりの写真が見られないとは可愛そうで涙が出てきますぞい。ヾ(@^(∞)^@)ノ
さて、ぷーたろー生活も10ヶ月、そろそろバイトでも探そうかなと、昨日町田ハローワークへ行ったが、
待ちが多かったので今回はやめた。私は行列というものがどうも苦手だ。
しかし、連日TVなどで不況、雇用問題など流しているが、いつも気軽に入れたハローワークが
こういう状況となると、・・・。
夜、スキンヘッダーになった後、インターネットハローワークを試みた。
44歳、結構まだ量はあるのだが、・・・。(髪の量じゃなくて仕事の量です)
「時給¥1500以上じゃなきゃやらない」・・・、今はそんなこと言っている場合じゃないのかもしれない。
259 へーナツ
いつからだろうか、私は妹のことをそう呼ぶようになっていた。本名ではない。
さしずめ”平夏”といったところであろうか。世の中には、こういう名前の人もたぶんいるだろう。
特に深い理由はない。しいて言えば夏に屁をコクという・・・、他愛のないいわれだ。
ちなみに私の父の父、つまりジイさんの名前は平作。(兵作かな?)波平はサザエさん。
時は平成。・・・o(〃^▽^〃)o
さかのぼること42年、
1967年4月1日、この世に生を受けた妹は何故か4月2日生まれとされてしまった。
「な、なんと!」これって在りなのだろうか?
なので戸籍上は4月2日が誕生日ということになっているのだが、実はれっきとした四月馬鹿
なのである。
女の子なので、1日違いで1年早く年を取るのは可哀想とのことでこうなったらしい。
子供のころ、チャリンコの後ろに乗せて走ったとき、寒かったのでカーデガンをイスに敷いて
やったら、それがタイヤに絡まってしまったことがあった。
幸い転倒もせず、大事には至らなかったが、そんな優しい面も私にはあるのだ。
そう、自慢である。
また、盆踊りのとき、壇上に登って「子連れ狼」の歌を2人で熱唱し、絶賛を浴びたこともあった。
(本当は私の友人も交え3人で歌ったのだが、・・・)
さて、そんなへーナツがその後どんな人生を歩んできたのか、それは大きく省く。
もちろん、兄弟喧嘩も人並みにはあった。しかし、弟や妹というものは、負けるに決まっている
のになぜ挑んでくるのだろうか、面白いものだ。
「いい加減、その呼び方辞めてくれる?」15,6になった頃だろうか、そういわれた事もあったが、
へーナツはへーナツ以外の何者でもない。
今更”○子”などと呼ばれたら最も当惑するのは当人なのではなかろうか。
40年以上の歴史を積んできたたった一人の兄妹。エピソードはまだまだあるが、このくらいで
幕を閉じることにしよう。
彼女とはもう4,5年会っていない。
実家から8駅先ののマンションに一人暮らしているが、正月も盆も帰ってこない。
それがへーナツの生き様なのだろう。
Σ\( ̄ー ̄;)