「ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み・・・」大叩き男(イラストレーター渡辺隆司)のブログ -5ページ目

運が良いやら悪いやら



Kさんは今年80歳になる。
最近は右足が自由に動かなくなり、ちょっとした所で転倒することが多くなった。
「おっと!」と、「ちょっと躓いた」と思っただけで、なんとも踏ん張り切れずに大きく転んでしまう。
何度か痛い目に遭った後、「いつか大転倒から大怪我をするんじゃないか?」と心配になって、医者に勧められた車椅子を使うようになった。
そして...今は1日の大半を、車椅子の上で昔の事を考えて過ごす様になった。

家族はいない、が、生活の心配も無い恵まれた環境だ。
これは全て「親ガチャ」当たりくじのおかげ...親が残してくれた遺産はKさんが働かなくとも生きて行くのに十分な額だった。

Kさんの家は東京近郊の元農家で、以前は大して美味しく無い米を作って貧しい暮らしをしていた、と聞く。
それが敗戦後、食糧難の都民が自分の家の貴重品を米や芋に変えてもらう為にやって来るようになり、僅かな農産物と交換で小金が溜まって行ったそうだ。
Kさんの父親はかなり強欲な交渉をしたらしく、米や芋を持って帰る人々にかなり恨まれた、とも噂で聞いた。
そして、住んでいる周辺が東京で働く人々のベッドタウンとして発展するにつれて、実は大した米が作れなかった水はけの悪い田んぼが、簡単に不動産屋に売れて行った。
不動産屋が田んぼ一つで6〜8軒の家を建てると、あっという間に全て売切れ。
それを見てKさんの父親は自分で田んぼをいくつも潰して貸家を何十軒も建てて、家賃収入で暮らすことを考えたそうだ。
案の定安く建てた貸家はすぐに全部入居者が決まり、それ以降生活の心配の無い「金のある生活」が始まった。

父親はすぐに百姓はやめて「働かない生活」に入り、近所の同じような環境の仲間と「ゴルフ」を始めた。
金は毎月入ってくるので、仲間と近所の名門コースの会員になり、外車を何台も乗り回す生活だったとか。

その息子のKさんは、おかげで小学生の頃からゴルフに触れられた。
何しろ毎月多額の家賃が入ってくるので、Kさんも仕事の事など考えずにいろいろな遊びに夢中になった。
高校生を出る頃には父親が亡くなり、Kさんはその遺産を受け継いだ。

毎月必ず入ってくる多額の家賃収入に、さらに残っていた土地にもアパートを建てて、「仕事は貸家・アパートの大家」として未来まで「安定」の生活を確かなものにした。
「東京まで電車で乗り換えなしに1時間以内」という立地条件は、高くさえしなければ空き家・空き室は出なかった。

そうした上でKさんはゴルフに集中し、のめり込んだ。
腕は上がってシングルにはなったが、ハンデ6くらいが限界だった。
身長が小さく、体重も軽く...トレーニングしても筋力は限界があった。
クラブチャンピオンには届かず、公式戦も予選通過が限界だった。
それでも、彼は30代・40代とゴルフに真剣に取り組んだ。

結婚も少しは考えた...が、仲間の様子を見ていても、結婚すると例外無くゴルフの時間が短くなり腕が落ちて行く。
ゴルフが生きがいの自分には、それは耐え難いことだった。
うまくゴルフの時間をやりくりして、家庭生活と両立させるのは自分には無理、と確信して「結婚」は考えないことにした。

毎日いつでも、天気を見て・仲間と都合をつけて・クラチャンやパブリック選手権や県アマや,,,金の心配は無く、体も健康だったから(ゴルフのために酒はやめた)、40代も50代も60代も、真っ黒に日に焼けてボールを引っ叩いた。
他人に威張れるような実績は遂に残せなかったけど、そうした生活に一片の悔いもなかった。

70を超えて、色々と体が壊れて来た。
仲間も同じ様に壊れて来たようだ。

そして75歳を越えた頃、膝と腰と肩がダメになった,,,何処かを痛めるとそれをかばって違うところを痛める,,,その繰り返しでだんだんゴルフが満足に出来なくなって行った。
仲間たちは、時の流れと共にいろいろな理由でゴルフから離れて行った。
いつの間にか、コースに行っても馴染みのメンバーはほとんどいなくなった。
そして...もう、コースで愚痴や嘆きを言い合える仲間は一人もいない。
今でもゴルフは好きなんだけど、60年以上続けてきたゴルフをまだまだ続けたいんだけれど...どうやら「終わり」らしい。

親ガチャの「当たり」から、(感謝しながら)ゴルフを思い切り楽しんで来たけれど。
自分の人生はホントにラッキーだった,,,だけど、その代わりにゴルフのプレーではラッキーってあんまり無かった。
木に当たれば跳ね返りはアンラッキーな方向にばかり跳ねたし、「勝負!」のパットはいつも外れたし、たま〜の「今日一ショット」は悪いライばっかりに行ったし、ニアピンはボール一つの距離で負けばっかりだったし、新ペリがハマった事は無かったし、風はアゲンストばっかりだったし...
...人生のラッキーとゴルフのアンラッキーは、あれでちょうど釣り合っていたんだと思っている。


今は、車椅子の上でコースと仲間の事を、自分がプレーした事を思い出して、一人でコーヒーを飲む毎日。

悔いは...無いな。

便利にはなるけど、幸せにはしてくれない



「クッソ熱い狂気の夏」と言ったところで、まだ夏は始まったばかり。
ゴルフも旅も、何処も彼処も気温が体温を超えているんじゃ、行ける場所が無い。
むしろ外の暑さは命の危険が半端じゃ無いってんで、「死にたくないなら家にじっとしてろ」が正しい判断だってんだから,,,今の夏の季節ってのは、まるでこの世の終わり・地獄の様相だね。

そんな所に昨日「夕刊フジが今年で休刊」なんてニュースが飛び込んで来た。
まあ、青天の霹靂って訳じゃなく、「いつか、いやもう直ぐきっと」そんな事態になるだろうなんて、十分予想してたし覚悟もしていた。
夕刊フジは、俺は仕事をしたことが無い...過去には何回も仕事の依頼があった...それもかなりの好条件で。
しかし、俺のその頃のメインの仕事は夕刊フジのライバル誌の日刊ゲンダイで、そこの編集者のN氏・Y氏・H氏とは仕事以外でも一緒に酒を飲んだりゴルフをしたり...友達付き合い仲間付き合い(と自分では思っている)していた為に、商売敵のフジの仕事を受ける事はそんな付き合いを裏切るように感じて、結局全てを断ってしまった。
そういう義理がけは、仕事の上ではもっとドライにしなくてはと良く言われたが、俺の気持ちの問題としての判断だった(後悔はしていない)。

俺が初めて日刊ゲンダイの仕事を受けたのは40代始め頃か,,,ゴルフを始めて一番熱中していた時で、ハンデもシングルになってから9・8・7・6と上げていた時だった。
「ゴルフを良く知っているイラストレーターだから」と連載を任され、プロへの取材や試合の取材も度々頼まれた。

当時は夕刊紙が部数を一気に伸ばしていた時代で、通勤電車や昼間の電車・喫茶店などの中で本当にたくさんのサラリーマンや老若男女達が夕刊紙を読んでいた。
混んでいる電車の中では普通のサイズの新聞が大き過ぎて読み難く、またアメリカやヨーロッパのニュースはテレビには負けるが皆が読んでいる朝刊紙よりは半日早く読めるということで評判が良かった(当時の野茂の活躍の記事は大人気だったとか)。
この時代は「テレビニュースでは見聞きしていても、確実なところは活字を読んで確かめなければ気が済まない」という人たちが大多数だったと思う。
結局人々の間に、「テレビニュースは虚像・文字のニュースが実像」なんて感覚がまだあったように思う。


,,,それが、ケータイの出現から流れが変わりだした。
そして、スマホの出現で完全に潮目が変わった。
「電車の中で夕刊紙を読む」のが普通だった光景が、あっという間に「ほぼ全員がスマホを見てる」光景に変わった。

...つまり、あれほど売れていた夕刊紙がどんどん売れなくなった。
売れ行きが減るに連れて、経費削減を理由に俺の原稿料は下がって行った...半額、三分の一、そして...。
ゴルフページを頑張って支えて俺に仕事を出し続けてくれていた編集者は次々に定年になり、嘱託で残っていた5年も過ぎ、ついに今年から会社を離れ、同時にゴルフページも廃止されて...俺の仕事も無くなった。

今年は、だからゲンダイからの仕事は一つもやって無い,,,とはいえ、自分の中ではゲンダイは「身内」のような感覚で、フジの休刊ニュースを痛みを持って聞いている。

「夕刊紙がある時代」というのは間も無く終わるのかも知れない,,,
写植がパソコンに追われたように、「文字を読む」文化が「与えられて見るだけのスマホ」の為に加速後的に失われて行く気がして心配になる。

なんでもすぐに検索出来て知識を得ることが出来るスマホは、本当に便利なものではあるけど...同時に強者のフェイクと弱者の悪意も渦巻いて待ち構えている、超危険なツールである、と俺は思っている。

こんなものにどっぷり浸かっていては,,,人は幸せに絶対になれない。


先人が残した「人を便利にはするけれど、決して幸せにはしない」なんて言葉が、だんだん重く現実味を帯びてくるのが恐ろしい。

クソ暑さと突風とカミナリ夕立セミの声



気温は朝から30度越え、湿気が多くて風も無く、気違い染みた夏の日々が続いている。

子供達が小さい頃には、気温30度を越えただけで「暑い暑い」って騒いでいたのに,,,今じゃ体温を越えるような暑さが当たり前になっている。

気温が高いのは当たり前だと覚悟してるけど、湿度が強烈に高くて汗がダラダラ流れて乾かないのは堪らない。
地球温暖化なんてユルイ話じゃなくて、これは「日本の熱帯化だろ?」って言った方が正しい気がする今日この頃...セミがやっと鳴き始めたが、「元気一杯」というより「息も絶え絶え」の鳴き声に聞こえる。

家のクーラーは当然つけっ放しだが、クーラーの効かない場所はお湯を張った風呂の中みたいで、息をするのも苦しい。
だいたい俺の住んでる埼玉・越谷は、週に何回かニュースで「日本一暑かった町」なんてのに名前が出てくる,,,以前は「暑い」と言ったら熊谷やら前橋なんかだけだったのに。

こんな暑さでゴルフなんかとんでもないし、散歩でさえ命がけになっちまう(根性のある人は、俺が寝ている早朝4時頃から歩いているらしいけど)

昨日、買い物に自転車で出かけたお昼頃、サングラスに麦わら帽子で土手道を走っていたら,,,黒い雲が凄いスピードで湧いて来て、一天俄かに掻き曇り,,,突然強い風がブワっと吹いた。
「お、涼しい!」なんて思った次の瞬間、ものすごい突風がドカン!と来た。
ちょうど風に向かって走っていたので、思わず姿勢を低くして風に逆らって漕ごうとしたくけど,,,風はドッカンドッカンと猛烈に強くなる。
自転車を全力で漕いでも全く前に進まなくなって、紐で結んであった麦わら帽子が紐をブツンとブチ切られて背後に飛ばされる。
体を起こすと自分も一緒に飛ばされそうだ。

自転車を抱えて近くのスーパーの風下側に逃げ込むと、そこは風が遮られてなんとかなりそうだったので、自転車を置いて店内に逃げ込む。
,,,途中、強風に押されて「キャアー!」って叫びながらすごいスピードですれ違ったおばさんがいたけど,,,今日の新聞に載っていなかったから多分無事だったんだろうなあ。

店内で一息ついていると、外はますます暗くなって雷の音とポツポツという大きな音。
ちょっと間を置いて、ゴロゴロゴロ・・という音と、バシャー!という雨の音。
朝の晴れ具合から傘を持っていなかった高校生達が、キャーキャー言いながらびしょびしょになって店内に駆け込んで来る。
あっという間に道路に水が流れ出し、車にライトが灯る。

豪雨は短い時間で通り過ぎたが、気温は10度以上下がって空気がヒンヤリしている。

,,,今じゃ天気の変化が極端過ぎるんだけど、「昔はこんな風に夏の午後はどんなに暑くても夕立があって涼しくしてくれたんだよなあ」なんて「昭和の夏」を思い出すのは、団塊の世代のジジーババーの勘違い記憶なんかなあ,,,


で、まだまだまだまだ狂った夏は続く。

(,,,そういえば20年くらい前までは、今頃から恒例の根元キャンプ場に行っていたんだよなあ。)

2024年全英オープン



不思議なもので、毎年全英オープンが終わると「これで今年のゴルフシーズンは終わったな」なんていう気持ちになる。
4月、春の花満開のお祭り「マスターズ」で幕を開けたゴルフシーズンは、まだ真夏の7月だというのに秋から冬の寒さまで感じさせてくれる「風と雨のザ・オープン」で終わる、と言うのは実に「うまく出来た物語だ」と俺は毎年感じている。

あの華やかで明るく、笑顔に溢れたマスターズのオーガスタナショナルから、陰鬱な曇り空から吹き付ける強風と横殴りの雨の中、まるで苦行僧のような表情でリンクスコースと格闘する全英オープン,,,この二つのトーナメントにはゴルフの全てがあると俺は思っている。

今年は特に三日目の天候が印象的だった。
個人的には「あんな天気じゃ絶対にゴルフなんかやるもんか」だけど、その悪天候の中をプレーしているゴルファーたちは実に魅力的だった。
ゴルフとは本来こういうものなんだろう...絶対に金持ちジジーのおべっか・言い訳・自己満足の道楽遊びじゃない。

で、今年の全英に勝ったのはアジアの血を持つザンダー・シャウフェレ。
ショットの安定感、パットの上手さは素晴らしい...と言っても、あんなグリーンでパットがよく入る、なんて別次元なので参考にはならず、ただただ感心して呆れるだけ。
見ていて面白かったのは、J・ローズとSh・ローリーのイギリス勢の粘りのゴルフと、南アフリカのT・ローレンスの「攻めゴルフ」と、今の世界ナンバー1シェフラーの悪戦苦闘。
俺が気に入ったのはローレンスのパンチショットのキレと、ローリーのボールを切りまくるゴルフ。
特にドライバーをブンまわし、アイアンで目標にまっすぐパンチショットで狙い打つ巨体のローレンスのゴルフ,,,俺も何十年か前にはあんなゴルフをやってたなあ、なんて少し感傷気分もあって(笑)。


そんな事を考えて少しウズウズしても、日本は今「体温越えの狂気の夏」の真っ最中。
とてもゴルフなんてやれる訳無く、ひたすらこのクソ夏をやり過ごして涼しくなる筈の秋を待つ事しか出来ない。
ヒッコリークラブでのパンチショットは、クラブを壊すのでもうやれないが、もう少し体力を戻して秋の「俺の2024年後半シーズン」を悔い無く楽しみたい。


,,,てな訳で、今年の全英オープンは久しぶりに面白かった。

認知機能検査



運転免許用の「認知機能検査」ってのを今日受けて来た。

高齢者免許の更新条件の一つということで、なんとも気持ちの良くない検査だった。
自分がボケているのか、認知機能が衰えているのか...どういうテストで判定するんだろうか?
確かに記憶力の衰えは自覚している...それに筋力の低下による運動能力の低下も「若い時」に比べれば嫌でも認めざるを得ない。
しかし、以前よりは一層安全運転を心がけ、慎重に運転することを肝に命じて...まだ、旅の手段としての車の運転は俺には必要だと考えている。
...病気で体がうまく動かなくなったと感じたら、すぐの免許返納の覚悟はして。

今日は11月の免許更新のために必要必須の検査で、本人の認知機能が運転するに足るか、ということを判定されるんだとか。
そして、事前にどんなテストをするか、ということの予備知識が全く無いままテストを受けると,,,
テストの方法はイヤホンから流れて来る問題をタブレットで解答する形式だったが...解答方法をよく理解しないうちに始めた俺は、表示されたイラストに対する答えをタブレットの真ん中に表示されているボタンを押して答えようとした...するとボタンを押すと正解が出てくる,,,「え? どういうこと?」と焦る。
答えを出そうとしているのに、なんで正解が勝手に出てくる?
そのボタンは画面の真ん中に出てくるのでつい押してしまったんだけど、そこには「正解を見る」と書いてあった。
なんで? ってことはここじゃなくてイラストを押さなくちゃいけない?
ここで、俺は焦って最初の2問のイラスト8枚をよく見ていなかった。
3問目からはやり方がわかったので、残り全部はよく見て正解した、と思う。

で、途中いくつかの問題があって、そのあとに「先ほど表示されたイラストを全部書け」という出題。
、、、ヤバイ、最初の8枚をあまり見ていない...後半の8枚はすぐに書けたけど、前半の8枚が、はっきりしない。
残りの8枚のうち、目の隅に写っていたものはなんとか書いたが、やり方を間違えて焦っていた最初の4枚が...
「次に」というのを押すと「ヒントが出る」というので、押してみたが...どうしても思い出せないものがあり、全問正解にはならなかったと思う。
一緒にテストを受けていた人の中で一番に終わるつもりでいたのに、右側の男が「基準点に達しました」という音声で「終わりました」。
焦りを覚えながら次の問題に取り掛かり、回答している途中で「基準に達しました」の音声があり、俺も二番目に終了。
正直ホッとしたけど...テスト以前に、回答方法を間違えて注意力が散漫になるなんて情けない。
とりあえず問題無しの判定だけど、ちょっと恥ずかしい。


,,,これも俺の認知機能の問題なんかしら...