「ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み」大叩き男(イラストレーター渡辺隆司)ブログ
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 掘っくり返し屋のノート 『最初の刊行ルールブック』

 

 

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※先日メール送信や書き物の纏め等で使っているPCが壊れてしまい、新しい物を購入するのに時間が掛りそうな状況になった為、
 暫くメモリスティックに分けていたデータを大叩き氏に直接渡す等してアップして頂く事と成りました。

今回の物は携帯で書いた物で、小噺と副題を付けようとしたものの、いつもながらの冗漫な文章と成ってしまったのはお恥ずかしい事ですが御目汚しを願います。
 また、皆さんに書き物をお届けするのに時間が掛かってしまいますが、如何かご容赦を願います
                            筆者

 

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 筆者は紙物を主としたゴルフ史資料を収集しているが、自身の収集物を挙げる事は好まない。誇示している様な具合でどうも自己嫌悪がするのだ。

 これはゴルフ史関連と平行して研究と収集を行っているもう一つのジャンルに於ける事柄が影響した“コレクターという自認を持ちたくない”という考えが在るのだが、“じゃあ何故集めているのかい?”と問われれば、自身の研究や執筆の為のいつでも見れる資料が必要なためであり。
 また、入手が出来、自分の許に有れば暫くの間は廃棄散逸する事は無いだろう。と云う思いからだ。

 なので、自身の収集物を出すとするなれば、それにまつわる史話を踏まえ考察を加えて書けば、読者諸兄の御目汚しにも耐えうる物に成るではないかと信じている。

 

今回紹介するのは日本における専門出版物として最初のゴルフルール書である松本虎吉訳の『ゴルフ競技規則』。

 

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※このように表現したのは、1879年に文部省が邦訳刊行した英国のチェンバース百科事典『百科全書』の『体操及戸外遊戯』に掲載されているゴルフの項にルールが記されている事。
(なお、原書の出版者であるチェンバース兄弟の片割れロバートの同名の息子は有名なゴルファーであり、彼等の家の執事にトム・モリスの兄=プロゴルファーでもあった=が居た事からこの項の内容が充実していた模様)

 そしてかつて『Choice』でも紹介された、三井物産青島支店員(当時、後支店長を経て内地に栄転の模様)で青島GCの倶楽部委員を勤めていた清水豊一が日本人会員の為に1919年に発行したガリ版刷りの邦訳ルールブックが現存しているため。
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 松本のルールブックは大正12年(1923、以下西暦表示)11月にゴルフドム刊行会から発行され、1926年9月に補修再販(第2版)、1928年1月に第三版が刊行されており、確認できた範囲では大阪府立中央図書館に第二版、国会図書館に第三版が納められている他、西村蔵書目録からJGAの西村コレクションには全版在る様だが、目録(英字タイピング)に記されている出版年が違っている(初版1922、2版1923,3版が1926と記)

 これについて『日本ゴルフ協会七十年史』では、同書は1923年11月の刊行の1年前に『Golf Dom』の付録として配布され、幾つか版を重ねて途中から赤表紙に成ったと記されているので(P152)、西村は付録からカウントしていた模様だ。

訳者の松本虎吉については、元勲松方正義の十三男で関西を代表する実業家松本重太郎の養子になっており。実兄の松方幸次郎・正雄が神戸GCのオリジナルメンバー且つ前者は舞子CC会長を勤めた人物であったが、彼等からゴルフを教わった訳では無かったようで、

松本本人が『Golf Dom』1923年月9号の『So This is Golf!(3)』のアンケートに答えたところによると、1920年夏に久保正助=鳴尾GA初期からの熱心者で有名=の勧めで10月に開場する舞子CCに入会したのが入門で、翌21年6月に横屋のコース(当時は横屋GC若しくは第二次横屋GA)の傍に引っ越したのが熱中の始まりだというが(同P9)、
(※『日本パブリックゴルフ協会20年のあゆみ』掲載の回想ではアメリカ留学中に覚えたとあり、久保については従兄で、舞子入会には彼や実兄の幸次郎らの勧めもあったとの事)

実際1922年4月の舞子CC東京遠征チームのメンバーになっており、この年の舞子CC競技会でホールインワン、年末から翌23年の年明けにかけて倶楽部競技で三連勝。
最初の邦文ゴルフ誌『阪神ゴルフ』が『Golf Dom』に改題新装された際に賛助会員制の運営『ゴルフドム刊行会』の維持会員の一人と成っている(1923年12月号P9。兄の幸次郎や久保正助も賛助会員として名が有る)。という具合で、
以降1930年代まで関西の競技の常連で在り、東西アマチュア対抗戦西軍の代表も務めているほか(1927・29)、茨木CC創立に関わっており、晩年はパブリックゴルフ場の代表として日本パブリック選手権の発展に携わり日本パブリックゴルフ協会の副理事を務めた人物であった。


筆者が入手したのは国会図書館所蔵と同じ1928年の第三版。一昨年ネットオークションで出品されていた品で、“まさか出て来るとは”と驚き、大叩き氏に代行して頂いた経緯があるのだが。その希少性から入札合戦になると思った所、誰とも競合せず開始価格で落ちたのが意外であった事を今も覚えている。

装丁は写真の通り赤革の表紙で金の箔押し、題字はシンプルに『ゴルフ競技規則』の文字のみ。大きさは12.9×9.7cmと、A6版の八分の七位の大きさでポケットサイズ。

ページ数は余白、扉の題字・奥付を除くと、冒頭の序言・注意の2ページ、ページ番号が

振られているルール部分とインデックスで38と10ページ。総数は余白を入れて五十数ページで、
 印刷は赤と黒のインクの二色刷り、用紙もコットン紙様の厚手のもので、装丁が良いのはビブリオマニアであった発行元社長の伊藤長蔵が関係しているのだろう。
因みに値段は金壱圓也。

※同書の表紙見開きに “渡邊(渡邉)”と円印が捺してあったが、これは出品者の前の所有者の蔵書印だろう。


 この『ゴルフ競技規則』は丁度松本の熱中期に刊行されており、序言の日付が1923年9月で刊行が11月なので、少し時間が空いているのは構成及び植字に時間がかかった為であろうか。
 また、筆者所蔵の物は第三版なので初版とは違う可能性は大いにあるが、松本によると翻訳に使った原書はロンドンのThe Golf Printing&Co.,の『Rules of Golf』との事で(年版は述べられていない)
『終に訳文につきては尊敬する先輩大谷光明氏子爵九鬼隆輝氏の校閲を受け同好伊藤長蔵氏の援助を得た。』と述べている。

 紹介されている三人について、九鬼隆輝は旧大名九鬼家当主で松本とは同じ舞子のクラブメイトあり、彼と同じように急速に腕を上げていた人物。大谷光明は言わずと知れたゴルフ界の主要人物、当時からルールの研究をしていた人物で、松本とは1928年に1日4コース廻りを行っている。
 伊藤は『阪神ゴルフ』『Golf Dom』の運営者で、ゴルフへの情熱だけでなく先に触れた様に名代のビブリオマニアとしても広く知られており、後年出版社“ぐろりあそさえて”で玄人好みの本を出版していた事でも有名である。

『ゴルフ競技規則』刊行の意図について松本は『序言』において

『Playの練習やshotの研究は練習や研究そのものに充分の興味が伴ふのとその結果が直にscoreに影響するから誰でも熱心過ぎる程に練習するがRulesの研究は中々面倒な割合に興味少なく且Scoreに直接の効果が表はれないので兎角閑却される傾のあるのは止むを得ない事である。』
 

 

という切り出しから始まり、しかし良いゴルファー・スポーツマンであるには只良いプレーだけでなくルールやエチケットを心得え厳守する事も大切な要件であると述べ、そういった事を知らないプレーヤーと廻る事や履行が不十分なコースでプレーする事程不愉快且危険な事は無いのだ。と述べ、

『処が我々BeginnerがGolfのRulesを読んで見るに中々理解に苦しむのみならず読む人々によつて各々見解の異なる様なcaseが少なくない様である。』
という状況と、現在(注=1922年9月)我が国ゴルフ界が非常な勃興の機運に会し、ゴルフ場は十を超えゴルファーの数も数百を数える状況に於いて、新進の者達全員がルールとエチケットを十分理解しプレーの進歩と相まって

『未来のWetheredやTolley, Evans, Sweetserたらんことを熱望し不肖をも顧みず此の訳文を草したのである。
 此書がgolfを知らんとする人、始めんとする人或は始めた許りのgolferのRules及Etiquetteの研究の一助になるを得ば望外の喜である。』
と結んでいる。(※=文中の人物名は英米のアマチュア選手権勝者である、ロジャー・ウェザレッド、シリル・トーリー、チック・エヴァンス、ジェス・スウィーツァーの事)


 さて、このルールブックの内容に就いてだが、用語が全て英語表記で、試しに17ページ掲載の『通則及ビThrough the greenニテノ規則』第26条を引用すると

『水中ニアルballハ動キツツアル間ニstrokeスルトモpenaltyヲ科セズ.但シ風或ハ流レニヨリ其ballノ位置ヲ一層ヨクスル為メニ其strokeヲ遅延スルコトヲ許サズ.之レニ違反セバ其holeヲ失権ス』

 という具合の文体であり、更にこれの二~四倍の文章の条項が幾つも在ることから、ゴルフ関連の原著が読める人でないと中々解り辛かったのは間違いない。

 


 

 これに関して、松本は『序言』の下に記された『注意』の項2で
『Golf特有のtermは能と訳語を用ひず原語のまゝ採用することゝした。此等のtermは意味のみ心得置きて其儘実用語となす方が便利且誤りを生ずる事が少ないと信ずるからである。』
と述べている。

 ※なお注意の3で用語については“『Golf Dom』で連載している『ABC of Golf』及び『golf Interpretation』の中で説明してあるので参照して欲しい。”という趣旨を述べているが、
 初版第2版当時は『序言』に在る様にまだ国内邦人ゴルファーの数が数百人程度且つ大抵の者が『Golf Dom』を購読していた為この様な記述であったのだろう。
 とはいえ雑誌が手元にないと確認のしようが無い。同誌運営者である伊藤長蔵が1926年10月に『ゴルフ用語辞典(ゴルフ用語集)』を出したのはその様な点もあったのだろうか。


 このゴルフ用語をどの様に表現するか。という点は日本のルール研究における課題でもあった。
 用語を完全な日本語訳として表記するか、カタカナ語表記のまま通すか。と識者たちが何年も頭を悩ませ続け議論を闘わせ、発行された書籍ごとに違っていたり、後述するJGA公式ルール制定の際には大論争と成っている。

 また、松本の『ゴルフ競技規則』出版後も暫くはルール解釈が手探りであった様で、1926年の第一回日本プロ(毎日新聞後援)で越道政吉がウォーターハザードの処置を誤って宮本留吉・福井覚治らとタイに成りながら失格になった話や、
1927年の第一回日本OPで宮本留吉がバンカーからのショットの際にテークバックでクラブが砂に擦れた事のペナルティが何打になるのか解らず、彼のプレー後大会委員役員達が原書を調べて、それが“2打”である事が判るのに大分時間がかかったという話は有名だ。

 

 しかし、大谷光明や高畑誠一を始めとする識者各位がゴルフルールの研究及び邦訳を続けており(前者らはR&Aへの問い合わせを沢山行ったという)、1930年前後から関東関西そして外地の各地出版社やゴルフ倶楽部でゴルフルールの研究とそれに依る翻訳ルールブックや判例本(現代にも在る判例集から“こんな時どうする”的ガイドブックまで)が幾つも刊行され出しそれは日米開戦迄続いており。
専門書だけでなく、大阪朝日新聞発行の総合スポーツ雑誌『アサヒスポーツ』の各年度競技記録集『運動年鑑』の付録『各競技(運動競技)規則集』(編集 朝日新聞運動部)にも後述のJGA規則制定以前から邦訳ゴルフ規則が記載されている事は注目すべきことだろう。

 ※なお『運動年鑑』は古書即売会などで時々出て来るが、箱無しの本体のみの場合が多く、『各競技規則集』が箱と共にそのまま残っている物はそれなりの値段と成っているので、興味を持たれた際は国会図書館のデジタルコレクションで確認するのが一番確実である

 

 

 邦訳本が巷に複数出て来る中、当然JGAも邦文ルールの制定に動き出しており、1934年5月の定時総会で公式規則制定を決定し(この年の元日にR&A・USGA合意の改正ルールが施行されている)、委員達の議論論争を経て翌年5月27日の総会で承認、8月1日から施行され、日本でゴルフが本格始動して三十余年目にしてようやく公式の邦文ルールが配布される事と成った。
(ここに関しては『日本ゴルフ協会七十年史』150~160ページの『邦文ルール完成へ―規則変遷』に詳しい)

 その後も解しやすいルール翻訳の為の努力が為され続けて現代に至り、公式ルールブックや各社の即引き判例ガイドが入手できるが、その嚆矢であったのがこの小さな本であった事はもっと知られてほしく。また、最終版かつ写真ではあるが実物の読者諸兄に紹介できた事は、筆者がこれを入手した意義の一つと成ってくれている。
                          
―了―
                         2026年7月中旬~8月13日記
     
※参考資料は文中表記

 


(この記事の文責と著作権は松村信吾に所属します。)

     

諍い      (消えたGDOに書いた記事)

あいつからの年賀状には「謹賀新年」しか書いてない。


もっとも、俺からのだって「賀正」しか書かなかったんだから、お互い様か...

「あんなに仲が良かったのに、一体どうしたの?」なんて、以前一度だけ女房が聞いたことがあったけど、何も言いたくないので黙っていたらそれ以上聞こうとはしなくなった。
女房同士は今までと変わらずに付き合っているようだから、何か聞いているのかもしれないが...

 

...4年前に二人でダブルスの試合に出るまでは、永久スクラッチを約束したライバルであり親友とも言えた。
「俺たちなら、あのダブルス戦決勝でもいいところに行くぞ」なんて、どちらともなく言い出して参加を決めたある新聞社主催のダブルス戦。
お互いの良い方のスコアをカウントしていくから、予選でもパープレーとか1オーバーがカットになる。
でも、俺たちなら噛み合えばアンダーには絶対なるだろう...そんな自信が二人ともあった。
俺はショットに自信があったし、奴は小技とパットに強かったし...

試合では、どう見ても我々より上手くはなさそうな二人と一緒になり、自信を持ってスタートした。
...が、結果は信じられないくらい噛み合わなかった。
二人一緒に3ボギー、1ダボ...バーディーを二つとっても焼け石に水だった。
我々二人よりそれぞれグロスでは悪い同じ組の二人が、それぞれ80近く叩きながら見事に噛み合って1オーバーでまわったのに対し、我々は二人とも4オーバーでまわって3オーバー...2打足りずに予選落ちとなった。

その夜、二人で残念会をした...口惜しかったためか思ったより酒が進んだ。


「俺が悪かった...お前がOBを打った時に、お前の分も取り返すなんて力が入ってクリークに打ち込むなんて。」
「いや、俺が悪いんだ。 お前のトラブルを見て、無理にバーディー狙いにいって3パットして..」
「いや、俺が悪い。 堅く行くべき所でつい狙ってしまった..」
「いや、悪いのは俺だ...」
「いや、俺の方が悪い..」


...気がついたら、喧嘩になっていた。
なんの拍子にか、「もうお前とはゴルフやらねえ!」「ああ、俺もやりたくねえ!」
売り言葉に買い言葉だった。

そのまま、もう4年になる。


ただ、お中元とかお歳暮で、奴からはゴルフの小物が贈られてくる。
もちろん、俺からも同じだ。

去年のお歳暮には、流行のGPS距離計が贈られて来た...偶然俺から贈ったのも、違うメーカーの距離計だった。
なんだか気まずくて、一緒にゴルフする気になれない...が、付き合いが切れている訳でもないらしい。

 

正直...俺が本当に悪いんだから謝ったのに、自分の方が悪かったと言い張るあいつが気に入らない自分を、持て余し続けている。

 



女房はあきれて見ているのだが...

 

梨の幸水

 

汗を流しながらスイカが食べたい時期はもう過ぎた。

何より冷たい缶ビールがうまい時間が通り過ぎようとしている。

冷たい麦茶が欠かせない時期も間も無く過ぎそうだ。

...そろそろクーラーをかけなければいけない季節が終わりかけている。

 

そんな時期に一番美味いものは?

 

と聞かれると、「梨の幸水!」と思う今日この頃。

幸水は一年で8月10日辺り15日くらいまでの(お盆の季節)が盛りの果物。

俺はちょっと酸味のある豊水よりも、この香水の方が甘くて美味しいと思っている。

 

この幸水は、最近特別に人気が出て値段が高くなっているらしい。

 

...以前「梨街道」と言われた地区の梨の直売所には、ずっと以前から行きつけの店があった。

しかし、そこに以前居た親切なおばあちゃんがいなくなってからは、孫くらいの若い男の傲慢な態度に腹が立って行かなくなってしまった。

(この幸水は「梨御殿」と呼ばれる豪邸が立つほど儲かるらしく、その男に「うちは午前中から行列ができるほど売れるから昼頃に来ても無いよ」とか言って鼻で笑われた)。

せっかくお婆ちゃんが「うちのは美味しいよ」と言いながら試食用にどんどん剥いてくれて、買うと三つも四つもおまけしてくれてファンを増やして行ったのに...苦労知らずの孫が殿様商売してぶち壊して行くパターンだろう。

 

今年、新聞に出ていた有名な梨の販売所に行ったら、4個で千五百円....随分高く感じたが一袋買って食べてみると...「水っぽくてそれほど甘くない」の大外れ。

 

では、と去年も買ったスーパーで買うと、少し小さいけれど4個で四百五十円...こちらは以前と同じ甘さで大当たり。

3倍値段が違っても安い方がずっと美味いとは...お勉強お勉強。

 

 

...どこかの「東大出の利口馬鹿大臣」がお米の値段を倍以上にして「農家が大事・農協が大事だから当然」と言い放って、お米を食べてる人間の気持ちが全然分かって無かった結果の米離れ。

...食べてる一般の人は「農家は大変だな」とか「お百姓さんは応援したいな」なんて普通にみんな思っていたから、少しずつの値上げなら「農家の応援なら」という気持ちがあったのに...

いきなり値段を倍以上にして、「それが当たり前」だと言う大臣。

消費者...いや、普通の「国民」は「主食なのになぜいきなり倍に?」って驚いた。

こんなの、どう考えても「嫌なら食うな!」の政策だろう。

 

結果...金持ちじゃない「普通の国民」は、「米を食べることを諦めた」結果の「米余り」だ。

農家に同情して応援するつもりがあった国民が、「自分達には高くて買えないんだから、農家は勝手にやってくれ」になったのだ。

高いコメを右目に、「毎日の食事はコメ以外のもので間に合わせる」生活をせざるを得なくなった結果、心は米や農家から離れちまった。

 

国民は我慢しているのに「卸や農協が大儲け」なんてニュースも流れたし、今更「売れない」からと多少値段を下げたってこれからも米の消費は少なくなるばかりだろう。

一部の金持ちや「投資で儲けている人たち」以外の、「実業で生活している多くの人たち」の生活の実態を知らない利口馬鹿の大失策は、農家と消費者の気持ちを分断して日本の農業の未来を酷く暗くしたと俺は思う。

 

 

...まあ、米に限らず「上がった値段は下がらない」現実に打ちのめされている貧乏人には、「未来がどんどん暗くなる」感覚を若い人までもが持つようになっている今の日本の未来が心配だ。

 

 

こんな日本にしちまったのは、(俺以外の)「優秀な団塊世代の方々」の責任が重いとは思うんだけどね。

 

 

白ティーから      (消えたGDOに書いた記事)

「同じ白ティーからやって俺より飛ばすなんてね...」

 

(なんだよ、結局それが理由かよ。)

本当のところはそれが理由ならしょうがない、と妙に納得して黙って聞いている自分がいた。
会社の同僚から始まって、5年続いた男との別れの場面。


特に熱い会話がある訳でもなく、薄々感じていた事がはっきりとしただけの話。

彼に誘ってもらった事から始めたゴルフ。

すぐに夢中になって、ゴルフ教室でプロの指導を受け、週2回の練習と毎日のストレッチや素振りやジョギングを欠かさないようになった。


元々体格と運動神経に恵まれたおかげで、学生時代はテニスやバレーボールに熱中して何度か優勝経験もあった。
それが社会人になって運動する機会が無くなり、体を動かすことに飢えている時にゴルフに出会ったので一遍に熱中してしまったんだと思う。
...身体のバネと柔らかさはまだ学生時代の遺産として残っていたので、ボールを打つタイミングと形を身体に覚えさせた後は上達は早かった。
特にインパクトのタイミングをつかんだ後は、プロも驚くくらいにボールがよく飛んだ。
ヘッドスピードもゴルフショップの測定では最高で45まで出た。

女性同士のコンペではいつもドラコンをとるのが当たり前になり、女性用の赤ティーで回るのがつまらなくなった。
会社のコンペや練習場のコンペでも、許されている時はなるべく男性と同じ白ティーからプレーするようになった。
スコアはボギーペース以上には中々ならなかったが、ボールを飛ばす事が気持ち良くてゴルフの誘いは断らなかった。

...彼とのゴルフでも同じティーからプレーするようになり、3回に1回は彼をアウトドライブすると「勝った!勝った!」と喜んでいた。


その頃から彼とのラウンドは少なくなり、一緒に出場するコンペでも同じ組にならないようになった。
自分はゴルフ自体が面白かったので、あまり気にしてなかったんだけれど...ある日、彼が深刻そうな顔で「ちょっと話があるんだけれど...」と言って来た時に、不思議にピンと来た。

「逢うのをやめよう」
その後いろいろと理由を話して、謝った上でこう言った。
...「同じ白ティーから打って、俺より飛ばすなんて我慢出来ないんだ」


それが本音かよ。


それが最後の言葉かよ。


「ふ〜ん」

ゴルフが理由の別れって訳だけど、ゴルフがあるから大した痛みも感じないわ。


さよなら、どうもありがとう。


今度は、私は私より「飛ばす」男をみつけるわ。

 

20年もののポンコツキャンパーは....

 

勘弁してくれ...「石飛び」でヒビが入ったフロントガラスの交換に、20万もかかった(泣)。

 

こんな金額は、今時の高い車に乗っている人には当たり前の事なんだろうけど、もう稼ぎの少ない俺には死ぬほど厳しい金額なのさ(笑)。

 

この20年も乗り続けているオンボロキャンパー...最近修理したところと言えば、「ラジエーターの水漏れで交換」「ライトが酷く曇ってたので、右も左も交換」「後部のスライドドアが壊れてしまったので修理」、そして今回のヒビが入ったウィンドウガラスの交換と来て、今はスマートキーが反応しなくなったので修理予定。

 

それで無くとも、外見は屋根の塗装がハゲハゲだし、外回りは傷や凹みが多数だし、2階部分の窓はだいぶ前から壊れているし、下周りからも音がする(ちゃんとチェックは受けているけど)。

別に普通に走る分には何も具合は悪く無いし、運転も前に乗っていたいすゞエルフのキャンピングカーよりはずっと楽だし、燃費もリッター10キロと言った具合で遠出も問題無い。

 

修理だって、普通なら部品を手配して交換すれば済む事なんだけど...20年も前の車なのでディーラーに行っても「もう部品がありません」と言われて、まず部品探しから始めなくてはならない。

日本中探しても新品が「もうありません」「もう作っていません」と言われるばっかりで、中古の部品屋で見つけなくてはならない...なので、中古品なのに「高い」。

でも、それが無くては直らないので止むを得ずそれで直すしかない。

 

今困っているスマートキーの問題も、機械的な鍵穴の具合が悪いので直らなければ物凄く面倒なことになる。

修理屋さんには「新しい車に替えたら?」なんて言われるけど、そんな金は無いしあと何年乗れるかわからない歳なんで...考えられない。

俺は死ぬまでこのオンボログルマを楽しむ、と決めているし。

 

 

俺は以前は「四駆しか車じゃない」と思っていた...悪天候でも悪路でも、たとえ道が無くても走れるし。

だから免許を取った後、ジムニー・ランクル・サファリ・いすゞエルフの四駆キャンパーと四駆ばかり乗り継いで来たんだが...そもそも四駆じゃなきゃ車じゃないと思い込んでいた理由ってのは、免許を取る前にある女性に「私が好きなのは絶対ジープよ」なんて言われたのがきっかけだったと思う。

その時以来、頭の中に「車に乗るなら絶対四輪駆動車だ」という思いが消えず、免許を取って初めて買った車が「四駆で手が届いた360Cのジムニー」だった。

 

最後の四駆「いすゞエルフ4WDベースキャンパー」をディーゼル規制のために手放さざるを得なくなった後、やむを得ず手に入れたのがこのステップワゴンベースの2WDのキャンパーだった。

4WDに乗っていた自分としては、この2WDの車はなんとも頼り無く...悪天候時や未舗装路なんかはまず走れずに不満が多かったけど....今じゃその「楽な走り」が気に入っている。

若く無くなった俺は、もう悪天候(特に雪)の時は乗らないし、「林道を走る」なんて事もしんどくなってるし。

 

 

それともう一つ...負け惜しみのように聞こえるかもしれないが、俺の中に「オンボログルマで走るのはカッコイイ」と思っている自分がいる(笑)。

アメリカ映画なんかによく出てくる「絶対に日本なら車検が通らない」ふうな車がガタゴト走っているのをカッコ良く思うのだ。

 

例えば一般ではあまり評判が良くなかった、エリオット・グールドとキャンディス・バーゲンの「YOU」(原題は「Getting Straight」)の中でエリオット・グールドが乗っていたドアが落ちそうなオンボログルマを見て、俺は「カッコイイー!!」と感じてしまったのだ。

 

他にも現代物の西部劇によく出てくる、「もう壊れてる」ようなオンボロトラックやオンボロキャンパーに物凄く魅力を感じてしまう。

 

俺と同世代の人間は(全共闘世代ね)、定年を過ぎた後に「若い頃乗りたかった車に乗る」とか言って外車やスポーツカータイプの車を買う人が多い。

...俺にはそういう考えは全く無くて、乗りたいのは四駆かキャンピングカー。

 

で、オンボログルマ(と言っても故障ばかりする車は嫌)も好き...と言ったら、今乗っている「オンボロキャンパー」というのは...俺は今「俺の乗りたい車に乗っている」という事で、実は結構満足している(笑)。

 

ただ、問題は古くてオンボロな車は「あちこち壊れる」ことと「修理する部品が無い」こと。

 

 

こうなると、ジジーで貧乏な俺には「乗り続けるには運がいる」訳で、前途多難な「車語り」はこれから一体どうなることやら(笑)。

 

 

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