「ケ・セラ・セラと生きて、セ・ラビと酒を飲み・・・」大叩き男(イラストレーター渡辺隆司)のブログ
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車検終了



今日、俺のキャンピングカーが何回目かの車検を受けて出来上がってきた。
(長く乗っているので何回目の車検だったかもよくわからないけど。)

もうすでに走行距離は15万キロオーバーになり、今回はタイヤやブレーキパッドやバッテリー等々、かなりあちこちの部品が交換となってそれなりの金額になっちまった。
でも別に現状は運転には不満なく、特に不都合な場所もない。
狭いし古いし塗装はハゲてボロっちいし、古い型なのでいまの最新の車よりかなり貧弱な装備のかもしれないが...比べるのがそれ以前に乗っていた中古の360cc2サイクルエンジンのジムニーや、ディーゼルエンジンの騒音で隣の人との会話もままならなかったやっぱり中古のBJ44型のトヨタのランクルや、初めて新車で買ったのに信じられないくらいに故障ばっかりだった「どこが(技術の日産)だよ、クソッタレ!」の日産サファリや、いすゞの1・5トントラックベースのキャンピングカーなので、このホンダステップワゴン(ガソリン2000cc)ベースのキャンピングカーは、運転には全く文句が無い。
俺にとっては、静かだし冷暖房完備だし、初めてのATシフトってのも実に楽でいい...なにせ、左足を捻挫してギブスをしていても運転出来たんだから。


...でも、奥さんが言う。
「もう最後の車だから、私のへそくりを足しにして、あなたの欲しいキャンピングカー(もう少し広い車・綺麗な車ってこと)に代えてもいいわよ。」

ちょっと驚いた...俺は買い換えるつもりはなかったから。
(俺はあのオンボロ具合が俺とピッタリだと、すごく気に入っているし。)

でも、ああ言ったうちの奥さんの本音が、「歳をとって病気をして弱った身体には、もう少しゆとりのある楽な車が良い」と言う理由なら、俺は少し真剣に車探しをしようかと思う。
そうなると、俺の車史の最後にもう一台違うキャンピングカーの名前が載るかもしれない。

俺的にはゴルフ前夜の車中泊が楽になる車が良いけど...買い換える基本は、まず「彼女が気に入った車である」という事。

「キャンピングカー以外に選択肢はないのか?」って?

もちろん、絶対にない!(笑)。
キャンピングカーライフってのは、本当に面白いものなんだ。




...もっとも、どれにするにしたって中古以外には手が出ないけど。

手に入ったヒッコリーシャフトの「アプローチクラブ」



先日、松村博士から「面白いクラブが出品されていますよ」という連絡をもらった。
見てみると、ゴルフには関係の無さそうな古道具の店から、「古いパターみたいな鉄製のゴルフクラブ」という名前で古いバッグごと出品されているものがあった。
確かに写真ではいずれも真っ赤に錆びていて、どれが何のクラブやら全くわからないような状態。
ただ、写真で見る限りはシャフトは曲がりも割れもせず、しっかりしているように見えた。
「なら、安ければ今のレギュラーのヒッコリークラブの予備シャフトとして使えそうだ」と、「とりあえず」入札だけはして見ることにした。
...今現在の俺は、ほぼヒッコリー遊びをするのに必要なクラブは集めたので(足りないのは飛距離が出て振りやすいティーショット用のウッドだけ)、これ以上集める情熱はなかった。
それより手持ちのクラブを使いこなす事の方に集中したいので、より多くラウンドしたいんだけど...奥さんの病気やらコロナやら自分の怪我や病気やらで、それもなかなか難しい状態。

なのに。
「まあ、落札価格はこの値段の3〜4倍にはなるだろうな」なんて気持ちで「ポチ」したら...いきなり画面が「おめでとうございます! あなたが落札しました!」なんてのが出て、思わず「うわっ!なになに?」なんて...

オクをよく見たら、「即決価格」だった...
ヒッコリーゴルフ好きとしては極端に安すぎる価格なんだけど、ゴルフの知識のない古道具屋さんからしたらこんなものは「現代じゃ使えないただの古道具」という値段なんだろうな。
説明にも「ほとんどが鉄製ヘッドのパターです」なんて書いてあったし、そもそも「ゴルフ」分野への出品では無かったし。

そして、今日届いたクラブ達は...なんと俺にはお宝ばかりの「大当たり!」。
シャフトやヘッドの状態は想像していたよりずっと良く、ちゃんとマッシーやミッドアイアンやマッシーニブリックもあるし、パターもある。

そして一番興味を惹かれたのはこの4本。
俺が持っていなかった「アプローチクラブ」と呼ばれる、クラブたち。
ヘッドはL字パターにロフトがついているような形状で、普通の当時のパターより肉厚で重量があるように感じられ、ライ角がパターよりフラットでシャフトもやや長い。
裏には写真のように「アプローチングクリーク」とか「ジガー」とか「サミー」とかの字が入っている。

これがスチールシャフト時代のアプローチクラブと違うのは、この当時のゴルファーたちは「この手のクラブでフルショットに近いショットも打っていた」という松村博士からの情報。
よく見てみると、ネックも丈夫に作ってあるしフェースの面の高さはないが厚さがかなりあって、相当強いショットも打てるような形状をしている。

俺には全く記憶が無いのだが、9年前に他人から借りたこれと同じ「サミー」で、俺は「200Y打てた」と話していたんだそうだ(笑)。
...つまりそれほどの「強打」ができるクラブという事。

やれやれ(笑)...こうした変わったクラブに巡り合って、こうした事を改めて知り、始めめての体験が出来るなんて...ゴルフってのは奥が深くて刺激があって「やっぱり面白い」、

掘っくり返し屋のノート㉔『ケセラ・セラ』





1890年代末期から1920年代初頭に活躍したアメリカのプロにアレックス・スミス(1874~1930)という人物がいた

彼はスコットランド・カーヌスティのグリーンキーパーの五人兄弟の長男(実際には他に夭折した兄弟姉妹が5人いた)として生まれた。そのような環境からキャディやクラブ職人としてゴルフに親しみ、1890年代半ばから労働者ゴルファーとして地元で知られた存在になり、当時の英国のゴルフ週刊誌の地方ニュースや、ゴルフ年鑑掲載の所属倶楽部の情報欄にすぐ下の弟のウィリー(1899年度全米OP勝者)と共にコースレコード達成や競技参加者として度々名前が出てくる。

短期間に2つの倶楽部でプロ活動をした後、1898年にロバート・フォーガン工房の斡旋でグリーンキーパーとして渡米し、この仕事が嫌なので所属プロのフレッド・ハード(全英OP勝者サンディ・ハードの弟)に掛け合ったところ、クラブ造りの腕からプロ助手に昇格し、更にこの年の全米OPでハードに次いで2位に入った事により、カーヌスティの移民プロのパイオニアとして、また全米OP4勝のウィリー・アンダーソンと共にアメリカプロの双璧としての道を歩み、彼の弟と義弟達や友人・ライバル達がアメリカへと移住するきっかけとなったのである。

戦績を見ると全米OP2勝、ウェスタンOP2勝、メトロポリタンOP4勝、イースタンPGA3勝、フロリダOP2勝、サザンOP1勝、サザンカリフォルニアOP3勝、他倶楽部主催トーナメント各種。
USPGA発足の少し前までは、全米選手権とそれに近い日時に行われる大競技、あるいは南部や西海岸で行われる冬季の大会を除くと、所属する地区や州以外のトーナメントには出れなかった時代であることを考えると素晴らしいものである。
加えてジェリー・トラヴァースやグレナ・コレット等全米チャンピオンを育てたこと、コース設計の実績などからUSPGAの殿堂入りをしており、世界ゴルフ殿堂に入ってもおかしくないプロで、そのまま書き物になるだけの各種逸話を備えている。

彼のフォームはスタイリストで知られた弟達や義弟のメイデン兄弟達とは違い、パームグリップで握った長尺クラブを、シャフトが肩に乗るくらいフラットに引き上げ、横から右の手首と腕を使ってぶっ叩くという非オーソドックスなカーヌスティスウィングであった。
1909年末に英国PGA訪問団員として渡英した際に、J.H・テイラーの弟ジョシュ・テイラーから『横から叩く前時代的なスウィング』と評され、後年ボビー・ジョーンズの伝記作家O.B・キーラーからも『もし一般のゴルファーが彼のスウィングを真似したら壊滅的なフックを連発するだろう』と雑誌で書かれ、更に一世代後のジーンサラゼンは『彼が不安定だったのはバックスウィング始動で手首を折り始めていたからだ』と回想記で書いているからかなり特徴的であったのだろう。
(事実弟たちやライバルのアンダーソンに比べるとプレーにムラがある)

しかし、青年期にクラブ造りや、鍛冶業で培った腕っぷしの強さでフックをコントロールして長打を放ち、そのスプーンやマッシーの巧さは折り紙付きで、あのハリー・ヴァードンから『美しいアイアンショットと必殺のパットを持っている』と評されており。ウォルター・ヘーゲンも彼のチップショットとパッティングの巧みさを回想記に記している。

この名手達が評価するパッティング技術には彼の気質とモットー『Miss em quick(早くミスせよ)』が影響していたようだ。
※日本では全英OP勝者ジョージ・ダンカンの言葉とされているが、彼より活動期間の早いスミスが先に使っていたとみるべきである。

ライン上のゴミも退かさずに打つ事に対しO.B・キーラーが『それではボールがラインから弾かれるのでは?』と訊くと
『ラインから外れたボールがそいつで戻ってくる事もあるじゃぁないか』と答えたというから度胸と自信があったのだろう。
また彼は“陽気な楽天家”として知られ、ショットについて思い悩むことがなく、ベン・ホーガン的なウィリー・アンダーソン(ホーガンがアンダーソン的というべきか)や繊細で紳士的であった弟達に比べるとある種の強みを持っていた。

一例として挙げると、彼がアンダーソンとカナダの名アマチュア、ジョージ・ライオンと参加した1905年の全英OP。
会場のSt.アンドリュースは大会に合わせて、グリーンを狙うのに避けようのない“全か無か”的バンカーが多数増設され、参加者の批判を買った。
予選落ちしたアンダーソンは後でプレーしたロンドンのコースの方が公平だ。と憤懣を漏らし、アレックスもアメリカの雑誌で“全か無か的プレー”になり困ってしまった事を述べている。実際彼はバンカーを行ったり来たりする目にあったそうだ。
普通であればプッツンしてしまうところであるが、ハラハラするギャラリーに向かって
『ま、こンなのはホンの練習だから心配すんない』と笑って見せ16位Tに入っている。

この『サッサとプレー』と『クヨクヨしない』の精神の極致がフィラデルフィア・クリケットCで行われた1910年の全米オープン最終ラウンド最終ホールでのパットだろう。
この大会ではアレックスは優勝候補の一人に数えられ、練習ラウンドでは67(-6)というスコアを出して大いに注目されていた。

しかし、蓋を開けてみたら大混戦、最終ラウンドでトップから4打差に旧チャンピオンや新進プレーヤーが団子状に並ぶ状況で、トップに立ったのは二人の若者、地元の少年プロ、ジョニー・マクダーモットと、アレックスの弟でカリフォルニアから三番目の兄と共に遠路参加したマクドナルド・スミス。両者とも前年に大きな競技で2位に入り、その筋から注目されていた。
前者は安定したゴルフ(74・74・75・75)で、後者は中盤の遅れを最終ラウンドのアンダーパーで取り返し(74・78・75・71)合計298で上がっていた。

 アレックスは前半をパープレー(73・73)で回っていたが、2日目の第三ラウンドで崩れ+6の79、そんな中迎えた最終ラウンド、先に上がった二人のスコアを追いかけながら出入りの激しいプレーをしており、後の無くなった彼は240yd・パー4の最終ホールで直接グリーンを狙いに行った。
このホールはある程度の距離と正確さが出せるプレーヤーであればティショットを乗せることが出来た様で、1908年度勝者のフレディ・マクロードはここで10ftのイーグルパットを沈める事が出来ていればプレーオフに残れたのだ。

アレックスのティショットは素晴しい当たりでグリーンに一打で乗り、其処からカップの上側、難しい15ftのパットを18inまで上手く寄せて勝利は確実と成る。
スタスタと歩み寄ったアレックスはいつもの様に直ぐアドレスに入り、ウィニングパットに取り掛かったのだが…次の瞬間ギャラリーのどよめきが広がった。

そう、彼はパットを外してしまったのだ。
皆が呆気にとられている中、当のアレックスは何が可笑しいのか、ケラケラ笑いホールアウト、合計298で勝敗は翌日のプレーオフに持ち込まれた。
この一部始終を見ていた教え子のジェリー・トラヴァース(全米OP・Am勝者)が、23年後に雑誌でこの時の様子を回想しているが、彼はグリーンを離れたアレックスに詰め寄り
『何であんな不注意極まりないパットをしたんだい?』と不快感を交え尋ねた。
其れに対してアレックスは
『あー、あれこれ考えてミスしちまうのが嫌でね、さっさとパットに取り掛かったってワケさ』
と返したのでトラヴァースは憤懣やる方無く
『それで外しちゃったら本末転倒でしょうに、バカなのか貴方は!?』
とぶちまけるのだが、当のアレックスは飄々と
『そりゃぁどういたしまして、まあ明日のプレーオフで皆やっつけるから心配すんなィ』と返したのである。

実際プレーオフは負けん気の塊で飛び掛かるマクダーモット、重度のプレッシャーによってショットとパットが乱れる末弟のマクドナルドに対し、アレックスは悠々とプレーし前半をリード。(アレックス37・マクダーモット38・マクドナルド41)
後半もマクダーモットは奮戦するが、ショットは良いものの肝心のパットが外れ追いつけず75、マクドナルドは当りを取り戻したが前半の崩れが響き77という中、ペースを守ったアレックスはさらに加速して34でまとめ71で上がり、二度目の優勝を果たしている。

世に陽気な、或いは楽天家と呼ばれるプレーヤーは数多在れど、一国のメジャー競技の大事な局面の軽率なミスも気にせず。酷いプレッシャーに成るはずの自身のミスにより起きたプレーオフにも悠々優勝するというのは、アレックス・スミスという人間がそれらの者達を遥かに突き抜けたゴルフ史上有数かつ実力の伴った楽天家として、世のプレッシャーに悩むゴルファーの為に長く語り継がれるべきだろう。 

                         ―了―
                       2021年2月16日記
                       









主な参考資料
・Golf Journal 1994年10月号掲載 Howard Rabinowiz『Alex Smith and The Early Days of American Golf』 USGA機関紙
・The Fifty years of American Golf H.B Martin 1966復刻版
・ゴルフ殿堂の人たち ロス・グッドナー著 水谷準訳 ベースボールマガジン 1982
以上JGA資料室より閲覧および、筆者蔵書

以下LA84 Foundation デジタルライブラリーコレクションより閲覧
・The American Golfer 1910年7月号『The Open Championship of The United States』
・The American Golfer 1923年6月18日号 O.B. Keeler 『Studying the Styles of Champions No.8-Alec Smith, Former Open and Metropolitan Champion』
・The American Golfer 1933年 7月号 Jerome D. Traverse 『A Former Champion’s Reflections Recalling the Late Alex Smith and His Philosophy the Game』
他USGA HP Segl Electric Golf Libraryより閲覧雑誌『Golf Bulletin』『The Golfer』等から各種記事閲覧
※LA84~、USGA共にThe American Golferは2010年代前半まで1934乃至35年分までアップされており、筆者は1923,33年の記事は2008~12年間に閲覧したのだが、国内戦前資料に注目している数年の間に著作権の問題か両HPで閲覧できるのは1923年以前の物のみに変更されているのを近年確認したので、資料検索をされる方はそれをご留意されてほしい






(この記事の著作権は松村信吾氏に所属します)





今年の初打ち...37年ぶりのショートコース



コロナは嫌、花粉も嫌、でも運動不足で腹が出続けるのが一番嫌...な俺が、花粉渦巻く下での散歩が嫌でここ数日散歩をサボっていた。
だって、気温が上がって強風が吹いて花粉が飛びすぎて、太陽の周りに花粉の輪っかが出来るわ・車の窓ガラスに黄色い粉がビッシリ溜まっているわ...花粉のために鼻がズビズビ・目がショボショボ・寝不足で頭がボケボケとなるのを数十年も経験し続ければ、どんなバカでも春先の良い天気の日になんか浮かれて外を遊び歩かなくなる。

でも、自分の腹が日々成長していくのを見る度に、「このままじゃいけない」なんて思いが焦りとともに込み上げて来る。
ああ、俺は「このままじゃいけない」って人生を一体何十年生きて来たことか。

...なんて事はどうでも良くて、とあるブログの方の「最近はショートコースで一人寂しく遊んでいる」なんて記事を見かけて、「あちこち傷んでいるからいきなりラウンドはキツイかも」なんて事でゴルフから遠ざかっていた俺でも「そうだ、ショートコースならリハビリになるし、回復具合も確認出来る」「芝の上から打てるから腕が鈍ったかどうかも判る」とのいきなりのやる気が事の始め。


ネットで調べてみれば、最長150y前後で9ホールを回って2千円程度のコースが結構たくさん見つかる。
まだウッドをぶん回すには右膝がちょっと心配なので、ニブリック・マッシーニブリック・マッシー程度で回れるこの距離は都合が良い。
おまけに芝の上から自分のボールを打ててインパクトまで体感出来るので、練習場に行くよりずっと実践的だ。

で、とりあえず家から行きやすくて評判も悪くないコースとして沼南ゴルフ林間コースを選ぶ。
沼南とは手賀沼の南という意味のようだ。



小さなクラブハウスが見つからずに、ちょっと迷ったがコースはそれなりに雰囲気が良い。
が、困ったのがティーグランドが全て人工芝だったこと。
マットとはいえ、スチールシャフトなら関係ないがヒッコリーシャフトのクラブにはかなり抵抗が大きくて厄介。
試しに1番ホールでマットの上に糸巻きボールを置いて打つと、ガツンとソールが跳ね返される。
100y程のホールでハーフショットをしてもかなり手への衝撃は大きくて、ダフれば簡単にヒッコリーシャフトは折れそうだ。
こんな練習で100年も持ってきたクラブを折ってはダメだと、10ヤードほどチップして傾斜のあるラフから普通に打つ...手応えもヘッドの動きもそれほど悪くない。
ただ、重くなった体に息が切れるだけ。

そういう打ち方をして、ハーフ1時間もかからないで回って、そのままもう一周...と行くところで気がついた。



マイホールフェアウェイの半分くらいまでに、黒く細長いゴムマットがクロスしておいてある。
「何だろう?」と思っていたが、全ホールのティーグランドには「第1打は人工芝の上から打って下さい」というような言葉が貼り付けてある。
俺はフェアウェイじゃなくて近所のラフから打ってはいたが、あのゴムは「ここから打つな」というバツ印じゃないのか?と気がついた。

「ええ〜?ここは基本的に芝の上から打っちゃいけないのか?」
難しいヒッコリーアイアンだから、インパクトの感じを捕まえるためにわざわざ芝のあるショートコースに来たんだけれど。
どうも、俺はやっちゃいけないことをやってたみたいだ。

帰ってから、改めて調べてみると...ショートコースというものはそういうものみたいだ。
かなり、ガッカリ。

今日は右膝はサポーターでがっちり締め付け、左足首もサポーターで捻挫した方向に捻りにくく固定し、アンダーウェアーも膝をある程度保護するサポーターを履いていたので、気になる痛みや後遺症は無し。
ウッドやアイアンでの強振はしていないのでまだ安心とは言えないが、ゴルフが十分楽しめる感触はあった。

これなら、3月から花粉症と武漢肺炎に気をつけながら、オープンコンペ参加再開を試してみよう。
ショートコースの人工芝のティーグランドで遊ぶのよりはずっと楽しそうだ...料金的にもそれほど変わらないし(安いコースしか行かないからね)。

2021年、今日が俺の「今年のゴルフ始め」だ。


昨晩就寝前に飲んだ鼻炎薬と、昨年医者から貰った目薬のおかげで、今日はまだひどい花粉症は発症していない。






花粉だ...



朝起きると、まぶたが腫れぼったい。
窓を開けるとくしゃみの3連発。

昨日は1日1回就寝前に飲む鼻炎薬を飲み忘れてしまった。
目の方は医者からもらったアレルギーを抑える目薬をさす。
薬はしょうがないので今日1日は飲み忘れとしておこう。

目の感じでは、今日の温かい風の中花粉は大量に飛んでいる。
今日も最低5千歩は歩きたいのだが...鼻炎薬を飲み忘れた上に、昨日も5千歩以上歩いて浴びた花粉の上に今日も飛んでいる花粉を浴びるのは危険と考えて、今日は散歩無しで家籠り。

また腹が出るな...


来週はヒッコリーでショートコースを回って運動がわりにしたいのだが...毎年花粉症の最初の発症の時のゴルフでは、無茶苦茶にしんどい思いをしているので迷いが出る。
単純にマスクとゴーグルで、どのくらい防げるか?
鼻炎薬と目薬で抑えきれるか?

鼻水を垂らしながらスイングする情け無さ、他人が打つ時に急に出そうになるくしゃみを我慢する苦しみ...ラウンド後は数日頭がボーっとして熱さえ出そうな気がする花粉の結構重いアレルギー症状...
他人と密になることは無い一人ゴルフだから大丈夫だとは思うが、こんな花粉症の症状で体力を落として、あの武漢肺炎に感染する隙を作るのも嫌だし...

ああ、悩ましいなあ。
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