誕生日...74歳

「74歳!」...もう、70歳過ぎてから毎年思うんだけど、「なんだろねえ、この数字は!」
親父が70で死んだから、「70歳」というのが俺にとって一つの「壁」だったんだが...「あらら、越えちまったか...」が素直な気持ち。
しかし、2年前から俺の身体で「使用期限切れ」になった部品があちこちで壊れ始め、現状修理工場入りして修理中の身だ。
エンジン載せ替えが出来れば新車同様になるかもしれないが、俺の身体はそれも期限切れで、部分部分の修理を重ねて寿命を伸ばすしかないのが真実の状態。
12月1日まで2回目のビダーザ注射。
毎日ヘソの周りに皮下注射2発...痛くは無いけど、結構腫れる。
そして強くは無いと言っても抗がん剤の副作用は結構色々と出てきている。
てな状態での誕生日...奥さんや娘や妹たちが祝ってくれる。
来年の誕生日までに、「歩くこと」「ゴルフをすること」「居酒屋でうまい酒と摘みに呑んだくれること」が目標。
50年

50回目の結婚記念日。
つまり、「あれから50年」て事に改めて驚く。
フリーのイラストレーターに勝手になったとはいえ、稼ぎは不規則で安く、板橋のおでん屋の2階の4畳半で力仕事をしながらイラストを描いていた23歳まで。
新聞の募集広告で銀座の広告代理店(の下請け)のデザイン事務所に就職したものの、そこで知り合ったディレクターや編集者たちに「君はこんなとこに位ちゃいけない」なんて説得されて、半年でそこをやめて仕事もないのにフリーになった24歳。
そうしたディレクターや編集者はみんなすぐにそこをやめてフリーになり、デザイン事務所を作って色々と仕事をくれたので貧乏暮らしながら食べることは出来た。
そのやめたデザイン事務所のあった銀座一丁目で、一度は彼女の友人に「近づかないで」と拒否された嫁さんに再会した。
その後多少の付き合いは続いたとは言え、まさかそんなに早く結婚なんて考えられなかったのに、彼女の家に遊びに行くと彼女のお父さんが「結婚する気があるならすぐにしなさい」との強い言葉で、その年のうちにバタバタと結婚することになった。
後でわかったのは、彼女の家は家庭事情が複雑で父親は早く彼女を家から出した方がいいとずっと思っていたって事...それに流される形で3月にはそんな話は全くなかったのに、11月25日には結婚式と決まってしまった。
ただ、再会した後の彼女は明るくて貧乏も平気だと言う心根が表に出て来て、俺の母親と初めて会った時以来母親の方がすっかり彼女を気に入ってしまい「私が彼女を守る」と宣言する始末。
母の友人たちには「ちょっと調子が狂うけど、美人で明るくて凄く優しい娘」だと自慢しまくってていたらしい。

俺も、彼女は出会った頃に比べてどんどん綺麗になってきたと感じていた。
何より、ほとんど稼ぎのなかった俺と初めて住む埼玉の田舎暮らしに、ほとんど料理もできないのに懸命に頑張るのは感動的だった。
で、俺は「俺の人生、彼女のおかげで負けはないな」なんて気持ちになって、行き当たりばったりのフリー生活を頑張れた。
世の中には独身の時には本当に綺麗だったのに、結婚や出産と同時に老け込む女性が多い...と感じていたのに、うちの奥さんは結婚した後どんどん若く綺麗になって行き、娘が生まれた時には神々しいまでの美しさに輝いていた...なんて俺は思っている。
娘が中学生の頃、何かの営業がドアを叩いた...うちの奥さんが「は〜い」とドアを開けると「あ、お母さんいます?」なんて男の声が聞こえて「今出かけています」なんて答える奥さんの声が聞こえた...
嬉しそうな笑い顔でうちの奥さんは「また娘と間違われちゃった」なんて言う...もうとっくに40を過ぎているのに学生に間違われたり、「大人用」の限定品を取り上げられたりしたこともあったと言う。
実際、俺も「うちの奥さんは歳を取らないんじゃないか?」なんて思っていた時もあったんだけど...流石に50を超えるとそれなりに老けて行き、シニアの顔付きになって行くのがちょっと寂しかった。
50年...俺は彼女がいなければ、この長い時間を生きられなかったのは確か。
半世紀,,,長い長い時間世話してもらって、俺は幸せな男です。
本当に本当に、50年間ありがとう。
心の底から感謝しています。
甘ったれ

別に俺に懐いているわけじゃない。
飼い主はうちの奥さん...まあ、餌をくれる人が一番の飼い主だと思っているのは普通の猫とおんなじ。
そのうちの奥さんが見当たらない、忙しくて相手をしてくれない、なんて時には散々うちの奥さんを呼んだ後、俺のところに来て「撫でて」と言う。
それも、俺の椅子の周りを回りながら、ほんの小さな声で「ナオ」「ウニャ」「ウ〜ン」と呟くような声を出す。
「今、忙しいんだけど」なんて言っても関係無い。
しょうがなくて抱き上げると、写真のように膝の上で左手を枕に右手のペンで全身を撫でられる形を一番好む。
すぐに聞こえないくらいの小さな声で「ゴロゴロ」と喉を鳴らし始め、両手を伸ばしたり縮めたりのモミモミし始める。
気持ち良さそうなのはわかるが、この間俺は両手を使って撫でなければならず、イラストを描く作業は一切できなくなる。
「もういいよ」と伸びをして膝から降りるのを待っていると平均30分はかかる...もちろん機嫌が良いと1時間近くモミモミし続けることもある。
(おかげで俺の室内上着の左関節付近は糸がほつれてボロボロになっちまった。)
手のひらに乗る大きさで拾われて来てから何年になるだろう。
「触られ放題の大人しい猫」という特徴は変わらず、ひたすら静かに影に紛れようとする。
薄いグレーで周囲の景色に溶け込む「隠遁の術」しか特技のない猫は、今の季節日向を求めて静かに静かに場所を変えつつ隠れて生きている。
そうそう、撫でてやる時に俺の気持ちが入ってないとそれを敏感に感じるようで、まるで俺に別れを告げた女のように「チラッ」と失望感のある眼差しを投げつけながら、スッと膝から降りて去って行く...
...女猫の心は難しいなあ(笑)。
さて...さて、と...

なんとか10日間輸血せずにヘモグロビン値が8以上になってはいるが...
LD値が上がり始めてヘモグロビン値も8を切るようにジリジリと落ち始めている。
一昔前だったら、こうなった後重度の貧血で動きにくくなり、やがて心不全を起こして静かに消えて行くのが人の一生だったんだろうなあ、なんて思う。
だけど今は医学の進歩によって、患者の望みの人生の先延ばしがいくつかは叶えられるようになったらしい。
もちろんまだ「完治」する治療法が無い以上、あくまで「延命処置」の範囲での話だが。
で、その「伸ばしてもらった人生の間に何をするか?」が問題なわけだが、多くの人は延ばしてもらった人生をさらに延ばすために殊更安静におとなしく過ごすらしい。
その話を聞いて考える...せっかく延ばしてもらった人生に「何もしない」じゃもったいない。
が...さて、だ。
「俺のやりたいことってナンジャラホイ?」,,,真面目な話。
ここで出てくる答えが、それぞれの人生に対する「解答」だと思うんだよね。
人によって、「センチメンタルジャーニーに出る」、とか「会いたかった人に会う」とか、「やり残したことを仕上げる」とか、「いらないものを全部捨てる」とか、冷静に自分の人生を考えた結果は違うだろう。
「じゃあ、俺は?」が、ちょっと困る。
俺の今生の人生には悔いは全く無く、むしろ感謝ばっかりなんで...
大それた夢も望みも何にも無い。
今の俗物即物的軽薄な俺の頭には、「やりたいこと」イコール「うまい酒と摘みで一杯」と「球打ち散歩」しか浮かばない。
せっかく延ばしてもらった人生だってのに、俺の望みはこれしか無い...
つくづく俺は幸せだったという事だ。
,,,あの、有楽町ガード下の「焼き鳥と二級酒で一杯」から始まった俺の人生に乾杯!!
...なんてカッコつけて書いた後で、「でも、そこから今の俺まではラッキーに恵まれただけの命懸けのジェットコースター人生だったよな」、なんて事を思い出す。
奥さんと娘二人を背中に背負って、「努力・才能は当たり前の、後は運任せ」なるフリーのイラストレーター生活を、俺は50年以上ヒーハー乗り切った。
そんな生活を70過ぎてもまだやってるなんて...俺って十分立派じゃね?
少しは未来のことを

ヘモグロビンの基準値は、男性では14〜18g/dlというところを、俺は最低5・9まで落ちた。
医者は7より落ちれば輸血をするというけれど、流石に7以下になるとちょっと動いただけで息が切れ、立っているだけで目が回りそうになる...当然この状態で「ゴルフをする」なんて気力は全く出ない。
だから練習どころか素振りもする気にならない。
(たまにクラブをグリップして、ため息をつく事はある。)
7以下の状態がずっと続いたので毎週輸血を続けていたが、ヘモグロビン値はなかなか上がらず、少し上がってはまたすぐ落ちる状態に担当医が首を傾げる。
もちろん他にも色々な検査をした結果を含めて検討しているのだが、良くなる希望はなかなか見えて来ない。
それでもついこの間ヘモグロビン値が久しぶりに8を超えたというので、今週は輸血がお休みとなった...少し体に活力が戻り、息切れが幾分マシになった気はする。
ならば...ヘモグロビン値が10を超えた日を目標に、「この先」のお楽しみの練習でも始めるか...久しぶりにそんな気になった。
短くて「カート乗り入れ可」のコースで遊ぶにしても、ショット自体が当たらなくては玉打ち散歩も面白くないだろう。
しかし、体力、特に下半身は運動制限を受けている事もあって、相当に筋力が落ちている。
脊椎環狭窄症の影響もあって、以前のような全身を使ったショットはもう出来まい...ならばあくまで上半身主体でクラブヘッドの遠心力を使ってスイングする方法しかないだろう。
これでも欲張らなければ、普段の半分ほどの飛距離でボギーペースで回れる可能性はある。
正確なインパクトさえあれば、レディースティーからのプレーヤーーとタメを張ることだってできるだろう(俺は当然シニアティーだけど)。
実際に練習場に行って打つのは、今週の輸血なしでの検査の結果が良くて、続いて輸血をしなくても良い場合のみだけど...最良の結果としてヘモグロビン値がもっと良くなって二桁に乗れば、また球打ち散歩を楽しめるはず。
俺にも「未来」の光がちょっとだけ射す事になる。