先日「とてつもない日本」でインドの地下鉄、デリー・メトロのODAプロジェクトについて書いた。
参考当ブログ:「とてつもない日本」つづき (2012-07-12)
http://ameblo.jp/ootadoragonsato/entry-11300708000.html
あれがうまくいったのは、日本政府開発援助の持ち出しもさることながら日本から多くの技術者が参加し一緒に仕事をしていたこともある。
日本人は上下関係なく一丸となって作業にあたる。
インドではカーストが存在し、上のものが下のものに命令する。
ゆえに、一体となって作業が進む……ことはない。
たぶん、作業員のモチベーションもあがらない。
しかしである。
このプロジェクトで指示を出す立場の現地の監督官になれる身分のインド人は、日本人の技術者を観察し、正当に評価できる人物だった。
私はこのビデオを見たとき、何十年も前のことを言っているのかと思ったが、2005年の出来事だった。
昔も今も変わっていないのか。
東京新聞7月19日(木)朝刊社会面(30面)で三回に分けて連載していた記事。
これはどうなんだろう。
異端か「日本モデル」PKO20年 下
実績見ぬ政治
武器使用緩和を検討
後方支援の評価無視、右傾化
「素晴らしい」
海外活動の専門家、英陸軍のセンプル准将はしきりに感心してみせた。 五月、静岡県御殿場市の陸上自衛隊国債活動教育隊を訪れたときのことだ。
センプル准将は英国の「軍事安定支援グループ」のトップ。 英軍の海外活動を円滑に運ぶため現地で民生支援を行なう、いわゆる運民協力の専門家だ。
その専門家をうならせたのは、陸自が国連平和維持活動(PKO)として派遣された東ティモールで、道路補修に使った重機を現地政府に提供し、百人を超えるオペレーターを養成した貢献策だった。 PKO終了と同時に引き揚げ、後は知らないという他国と一味もふた味も違う。
(中略)
撤収後も地元の人々だけで「国づくり」を続けられるよう仕向ける「日本モデル」。 どの国のPKO部隊にもない日本のセールス・ポイントだ。
(中略)
この実績に目をつぶるように野田政権は武器使用基準を緩和するPKO協力法改正案の国会上程を急ぐ。
法改正で参加しやすくなるのは、最前線で兵力引き渡しや停戦監視を行なう平和維持軍(PKF)の分野だ。
PKFに兵士を供給するのは、パキスタンやバングラデッシュ、アフリカ諸国など、国連から兵士に支払われる日当を外貨獲得の手段にしている国々。 「列の最後尾に並ぶのが日本らしい国際貢献といえるのか」
と疑問視する陸自幹部は多い。
イラクへの「戦地派遣」を命じながら、一度も部隊視察に行かなかった首相。 国際貢献を説きながら、PKOの現場を知らない防衛大臣。 机上で右傾化を夢見るのが政治家の「日本モデル」なのか。(半田滋)
参考:
PKO = Peace Keeping Operation:平和維持活動。民間人でもできる活動。
PKF = Peace Keeping Forces:平和維持軍。軍隊がないとできない。
朝雲ニュース:http://www.asagumo-news.com/news/201206/120607/12060707.html
この記事は、日本モデルを褒めているのかなじっているのかよくわからない。
PKOなら日本モデルが生かせる。
いずれ軍隊になってPKFで参加すると、日本モデルが生かされない。
といいたいのか。
それとも、国家や自衛隊幹部はもっと最前線で仕事することを望んでるのだろうか?
そして、18日に発生したスズキのインド工場の暴動。
東京新聞7月21日(土) 朝刊24面。
印スズキ暴動 労使対立激化(出口阿生)
成長の裏 不満が蓄積
「差別発言は暴動のきっかけかもしれないが、原因ではないだろう。 むしろスズキは現地の風習に合わず、日本方式を持ち込んで、職位やカーストに関係なく同じ作業服、同じ食堂を使わせていた」。
インドへの進出を支援する会社の経営者土肥克彦氏はこう指摘。 スズキは「日本流」で現地労働者に対応してきた。
日本とインドの文化摩擦の可能性はどうか。 土肥氏は「インド人は親日的。 文化摩擦とは関係なく、労使間の意志疎通不足が原因」とみる。
岐阜女子大南アジア研究センター長補佐の福永正明氏…によると、暴動が起きた工場は〇六年に操業を開始したが、昨夏以降、会社と組合の関係が悪化した。 発足した新組合を州政府が認めなかったことが背景で、労働組合側はこれを会社による州政府に対する圧力の結果だと考えた。 これを境にストライキやサボタージュが断続的に発生した。
この新組合は急進的との評判もある。 インドでは経済成長で左派離れが進むため、左派勢力が自動車最大手のスズキに活動家を送り込んだのでは、との観測もある。
(中略)
福永氏は、「これまで、従業員から不満が出なかったのは、スズキが高い賃金を出していたためだ。 しかし、経済成長の結果、中間層が増え、スズキは特別な存在ではなくなった」。
以上抜粋。
韓国人の鬱火病(ウラビョン)に見られる、
現代の若者が教育で「世界で最も優秀な民族」と教えられてきた為に現実を知ったときのギャップで発症するというが、そんなに短絡的なものではないはずだ。
永年の民族的抑圧が根底に存在する。
同じように、インドの場合も文明発生以来のカースト制度が「文化結合症候群(CBS = Culture-Bound Syndrome)」的なものを発症させて見境のない暴動まで至ると考える。
日本モデル
日本流
日本式
が通じるのは日本人だからであって、プロジェクトという短期間では効果がある。
奴隷社会のなかで虐げられてきた民族はどんなに待遇よくしたとしても、情況の変化に判断力を失いすぐに態度が変わってしまう。
10年以上前、私がバングラデッシュの農業研修センターで見てきた青年たちはイスラム教であっても教育を受けられる身分のものはそれなりの家柄であったために家に帰れば雇用人が大勢いた。
バングラデッシュ独立直後の国造りに躍進していた時代(1970年代)とは違い、道路は開通し、電気は通じ、携帯電話も手に入り、すぐ金儲けに通じる商売を始めるようになり、先進国の最新の情報がどんどん入るように現実社会が変われば、以前のような地道に農業で国造りに燃えた人々もいなくなり考えも変わってくる。
研修しても将来の見込みがない。
ここを修了しても仕事がない。
そうすると、矛先はこっちにむけられ男子生徒たちは団結して実習放棄のストライキをする。
授業料を払う訳でもなく逆に生活手当を出しているというのに。
なんのためにこんなことをするのか、さっぱりわけがわからない。
想像したのとは当てが外れたからか。
大事には至らなかったが、これはクーデターであると思っている。
彼らには、国造りの理想を創造することができなかったのである。
残念ながらこちら日本人側にも動機づけの知恵がなかった。
ただ日本式にやればわかる時が来ると思っていたのは間違いなのだ。
イルミナティの存在も知らなかったし。
現在のグローバル社会に則った経済制度は、形を変えた世界を巻き込む新型の奴隷制度でしかなく、インドにおいて従来のカーストのような階級制度はやすやす変わるわけではなく、そのまま新型に移行する。
イスラム社会は見かけ上のカースト的分断はなくても男女の分断は公然と行われているので、フェミニズムが躍進して来る。
争いの材料を用意され、そこに火をつければ理想の創造は難しい。
いうなれば、奴隷を経験したものに理想の創造は難しい。
まじめに仕事をするからといって、奴隷身分に経営を任せると途端に気が狂ってしまう。
というようなことが起こる。
奴隷根性を打消し勤労精神に高めたのは日本の先祖たち。
それを受け継ぐ現代の日本人。
日本モデル
日本流
日本式
は、みんなのために役立ちたいという勤労精神が土台にあって成り立つ。■