国際政経学会の業績を継承発展させられ得るか否か、 | akazukinのブログ

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「日本史のいわゆる「非常時」における「抵抗の精神」とは真理追求の精神、科学的精神に他ならない」野々村一雄(満鉄調査部員)

国際政経学会の業績を継承発展させられ得るか否か、
そこにこそ、日本民族生死存亡の命運が懸って居る。

[太田龍の言葉]


太田さんがユダヤ問題に取り組みだしたのは平成三年(一九九一年)二月、「国際政経学会」の存在を知らされてからである。


このことは、機会あるごとに話題にのぼった。



考えても調べても探求しつづけても光が見えてこない。 キラリと光るものがあっても断片に過ぎない。 決定的な何かに欠けているのだ。 それが実はユダヤ・フリーメイソンの日本介入という問題だった。

福山健一(桝谷友厚)著「ユダヤ問題文献集」[一九七九年]の冒頭に次のように記されている。


 わが国におけるユダヤ問題の研究は、大正の初めから開始せられたが、本格的な研究が行われるに至ったのは昭和に入ってからである。特に昭和十年以後終戦迄の約十年間はその全盛期と云える。 この十年間は、わが国のユダヤ問題研究史上における特筆すべき時期であって、今後この時代のような真正の研究が行われるか否かは心細い状態であり、従ってこの時代迄に著わされたユダヤ問題研究書は貴重なものである。即ちどの著者も、国憂国の家存亡の岐路に立って至情から発して著わしたものであるから、戦後の一般の書籍のように営利を配慮したものとは次元を異にするのである。


 恐らくこの時代の研究書は、日本の歴史の上に於ても、空前絶後のものになるのではなかろうか。この意味に於て、戦前のユダヤ問題研究書は一冊と雖(いえど)も大切に保持されんことを希望するものである。


(「天皇破壊史」太田龍著、成甲書房、2002年、24~25頁)


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この言葉を受けて、その後「国際政経学会」の継承者を名乗り、独自に研究を進めていくことになることは、御存じのとおりである。


その後の進展が目覚ましい。

核心をつかむとはこのようなものだと思った。


「ユダヤ問題」は、今風に変えるとユダヤ・シオニスト問題、あるいはロスチャイルド・シオニスト・イルミナティ問題とした方が的が絞れると思う。


言いかえれは、日本のユダヤ問題研究はいかに歴史が浅く、いまだにあやういものか。


関連本が以前より多く出版されているとはいえ、「はやくわかれよ」と言わんばかりに自分たちから開示しているのをいただいている受け身の状態である。


いずれにしろ、日本における最初の先覚者の息吹は今でも新鮮である。


以下引用。


[前略]


第一次大戦、と言はれる。
しかし、この呼称は、ずっと後になって、歴史学界が採用したものであって、その時代の当事者たち、その時代に生きた人々が、始めから、自分たちが「第一次世界大戦」を戦って居る、と自覚して居たわけではない。


当時の日本人の中で、もっとも早く、この大戦の真相を見抜いたのは、四王天延孝陸軍中将である。

第一次大戦時に、日本陸軍から観戦武官としてフランスに派遣された四王天延孝(佐官クラスであらう)は、ほとんどまる四年、フランス陸軍と共に参戦、その中で、実はこの戦争の演出者は、国際ユダヤである、との情報に接した。

既にフランス語に熟達して居た四王天延孝陸軍武官は、この情報を右から左へ聞き流さず、ただちに、調査研究を開始する。


一九一七年三月、勃発したロシア革命は、十月、共産党政権の樹立と成り、しかも、このロシア共産政権の圧倒的多数はユダヤ人であると言ふ。 この事実は日本人の一部を驚かせた。


かくして、大正八、九年、日本民族の歴史上始めて、真剣なユダヤについての調査研究が開始された。

この時期から昭和二十年敗戦までの「ユダヤ問題文献集」(福山健一著)は、必読。


大正八、九年から昭和前期にかけて、日本民族の中に、ユダヤフリーメーソンとの思想心理戦争を推進する、小さな小さな核が生れた。


その核の中心として、

① 四王天延孝陸軍中将
② 愛宕北山(ドイツ文学、東北帝大教授)
③ 白鳥敏夫(外務官僚、敗戦後「A級戦犯」、東京裁判で終身刑。獄中病死)
④ 増田正雄

などが挙げられる。


これらの先覚者によって、昭和十一年、正式に「国際政経学会」が組織される。

昭和二十年八月敗戦までの約十年間。

この時期は、日本民族にとって、ユダヤフリーメイソンとの思想的戦ひが組織的に実施された、唯一の時代である。


実際、昭和十年代のこの十年間、国際政経学会を中心にして、我が国のユダヤフリーメイソンに対する調査研究の水準は、飛躍的に向上した。


既にそこでは、資本主義と共産主義、米英金権資本主義と、ソ連共産陣営とは、ユダヤフリーメイソンの両建て作戦以外の何物でもないことが明らかにされて居た。


にも拘はらず、この認識は、決して、日本民族全体のものとは成り得なかった。


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渡部悌治著「ユダヤは日本に何をしたか(攘夷の流れ)」、

その百七十七頁以下に、
「浅原健三」についての項目がある。


この人物の名前は、今の日本人には、全く、忘れられて居るであらう。

しかし、渡部著にあるやうに「浅原」は、ユダヤ陣営の非常な有力人物である。


と思って居ると、ごく最近この浅原の評伝(桐山桂一著「反逆の獅子 陸軍に不戦工作を仕掛けた男・浅原健三の生涯」角川書店)が出版された。

この「評伝」を、渡部悌治著百七十七頁から百八十一頁までの記述と、良く、読み比べることが必要だ。



更に、渡部悌治著、百七十四頁~百七十七頁。
「帝国大学新人会」の項目。


(中略)

「終戦後の日本転覆、すなわち革命は、親米・英フリーメイソン派と親ソ共産革命派との合作、つまり新人会によって行われたものだといえる。」(前出、百七十九頁)


もちろん、日本人は殆んど全部、当時つまり敗戦直後も、そして現在も、こんなことは、夢にも思はない。

この事実を知るものは、きはめて僅かな、奥の院にひそむ者たち、そしてその直系の最高級幹部クラスの工作員、でしかない。


「新人会」と言ふ名称そのものが、フリーメイソンを暗示して居る(渡部著)、と言ふ。

そしてその中核は、吉野作造である。

「吉野作造賞」。


これは、中央公論社が、毎年日本のいわゆる社会科学関係の学者に与へる賞である。

[引用者注;平成12(2000)年から「読売・吉野作造賞」に改名されている]


これこそ、日本の「社会科学」(法学、経済学、社会学、哲学、歴史学、倫理学、など)なるものが、明治以来ずっと、
ユダヤイルミナティフリーメイソンの日本民族皆殺し戦争の必殺の武器として機能して居ることの象徴でなくして何なのか。


「国際政経学会」の伝統を復活せよ。
そのことにこそ、日本民族の存亡が懸っていることを知れ。


平成十五年三月七日記 
太田 龍


[初出、週刊日本新聞278号]



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反逆の獅子 陸軍に不戦工作を仕掛けた男・浅原健三の生涯

桐山桂一著

■出版社:角川書店/角川グループパブリッシング
■著者:桐山桂一(著)

■2003年