太田流思考法 | akazukinのブログ

akazukinのブログ

「日本史のいわゆる「非常時」における「抵抗の精神」とは真理追求の精神、科学的精神に他ならない」野々村一雄(満鉄調査部員)

太田さんならどう思っただろう?


今年の未曾有な災害等を踏まえて、太田さんを知っている者たちはそう思ったに違いない。

そう思うのも当然なことで、自分の思考に太田さんの思考を重ねてみるのである。

その結果、でてくる解答は自分の考えであって、太田さんのではない。


太田さん、太田さんとなれなれしく書いているが、

自分が太田さんに出会った頃は、「先生」と呼ばれていた。

その前の世代で先生と親しい人は「太田さん」と呼んでいた。

「先生」と呼ばせなかったらしい。

学者「先生」を嫌っていたから、当然の態度だったに違いない。


その世代が太田さんのもとから離れて、次の世代の人が集まってくる。

そのころにはもう年の差も開いてくるので、「さん」とは呼べなくなる。

本人も、それなりの実績を積んできていることから自然に「先生」で定着していったのではないかと想像する。


その人生の蓄積も学業の蓄積もさることながら、自分たちとの大きな隔たりがありすぎて、なかなかお近づきになれる雰囲気ではない。

だから、よけい「先生」となる。


太田さんは、ときどきご自分が書いた本を読みなおしていた。

そして静かにうなずいていた。

思考方法、志向性は間違っていないと確認しているようだった。


他の人との大きな違いはこの点にある。

だいたい自分の説が決まったら、そこに定着して動かなくなる定住型が多い中、常に新しい可能性を考える追求型とでもいうのだろうか。

だからといって移り気なのではなく、支点が決まっている。

太田さんは自分が日本人であるという支点を変えず、その支点で熟考しどうあるべきかを追求していったのだと思う。

だから、世の中に何事がおきようと太田さんは変わらないのである。


ところが、太田流にとどまろうとすると、形骸化してくる。

世の中は常に変わるのだから、自分も変わらない方が不自然である。

これは太田さんだけの問題ではなく、形あるものはいずれも同じ運命を持つ。


途中、外国との交流で新しいものが流入してきたとしても、日本なら、日本人の支点があった。

日本の支点を忘れない限り、どんなものでも取り入れ、または必要ないと判断すれば排除し、日本化、和風、折衷文化はお手のものだった。


そして、今の時代は、シオニスト・イルミナティ・フリーメーソンの支点が介入してきている。

現代において、この思想は最先端を行っている、これは間違いない。

しかし物質面でだ。


宇宙の叡智を自分たちだけで独占し、人間に新しい思考をさせないようにしている。

当然人間のためにはならない。


これをどのように消化するのか、できるのか、人間は物質的に形骸化してはならない。■