太田さんならどう思っただろう?
今年の未曾有な災害等を踏まえて、太田さんを知っている者たちはそう思ったに違いない。
そう思うのも当然なことで、自分の思考に太田さんの思考を重ねてみるのである。
その結果、でてくる解答は自分の考えであって、太田さんのではない。
太田さん、太田さんとなれなれしく書いているが、
自分が太田さんに出会った頃は、「先生」と呼ばれていた。
その前の世代で先生と親しい人は「太田さん」と呼んでいた。
「先生」と呼ばせなかったらしい。
学者「先生」を嫌っていたから、当然の態度だったに違いない。
その世代が太田さんのもとから離れて、次の世代の人が集まってくる。
そのころにはもう年の差も開いてくるので、「さん」とは呼べなくなる。
本人も、それなりの実績を積んできていることから自然に「先生」で定着していったのではないかと想像する。
その人生の蓄積も学業の蓄積もさることながら、自分たちとの大きな隔たりがありすぎて、なかなかお近づきになれる雰囲気ではない。
だから、よけい「先生」となる。
太田さんは、ときどきご自分が書いた本を読みなおしていた。
そして静かにうなずいていた。
思考方法、志向性は間違っていないと確認しているようだった。
他の人との大きな違いはこの点にある。
だいたい自分の説が決まったら、そこに定着して動かなくなる定住型が多い中、常に新しい可能性を考える追求型とでもいうのだろうか。
だからといって移り気なのではなく、支点が決まっている。
太田さんは自分が日本人であるという支点を変えず、その支点で熟考しどうあるべきかを追求していったのだと思う。
だから、世の中に何事がおきようと太田さんは変わらないのである。
ところが、太田流にとどまろうとすると、形骸化してくる。
世の中は常に変わるのだから、自分も変わらない方が不自然である。
これは太田さんだけの問題ではなく、形あるものはいずれも同じ運命を持つ。
途中、外国との交流で新しいものが流入してきたとしても、日本なら、日本人の支点があった。
日本の支点を忘れない限り、どんなものでも取り入れ、または必要ないと判断すれば排除し、日本化、和風、折衷文化はお手のものだった。
そして、今の時代は、シオニスト・イルミナティ・フリーメーソンの支点が介入してきている。
現代において、この思想は最先端を行っている、これは間違いない。
しかし物質面でだ。
宇宙の叡智を自分たちだけで独占し、人間に新しい思考をさせないようにしている。
当然人間のためにはならない。
これをどのように消化するのか、できるのか、人間は物質的に形骸化してはならない。■