「砂の器」がドラマ化されてテレビ朝日で放映[9月10,11日]された。
3月に放映される予定だったのが例の地震騒ぎで半年遅れての放映だった。
私が知っている「砂の器」は、1974年映画化された丹波哲郎、加藤剛主演のものだけ。
その前後にも何度か制作されているということを、調べてみて分かった次第なのだが、見たことはない。 ついでに原作も読んだことはない。
今回、このドラマを見てみる気になったのはその前回見た映画「砂の器」の印象があまりにも強く残っていたためで、その記憶を確認したかったからだ。
もちろん、テレビドラマと映画とでは設定や時代に合わせて変更はあったものの、一番気になっていた所はあまり変わっていなかった。
写真拝借;http://blogs.yahoo.co.jp/sonogono_pony/35706541.html
東北地方と出雲地方とでは同じズーズー弁を話すということ。
同じではないが音韻が同じだから、同じように聞こえるらしい。
当時どうしてこれが気になったのだろう。
だからといって、この問題の明確な解答がなされているとは思えない。
今では、一つ思い当たることがある。
山本健造氏の「ヒダ族」の話である。
地球の気温が現代より高かった時代、多くのものは、ヒダから北の方へ移動移住していたという。
だから東北地方は、古くから縄文原住民が住み着いたところであるという。
出雲はなにかというと、スサノオの尊が国を治めたところである。
スサノオの姉にあたるヒルメムチの尊(アマテラス)は、ヒダ地方を治めていた。
故にいずれも同族が住み着いている地域である。
そのうち気温が寒冷化して雪が降り、さらに積もるようになると、ヒダからヤマトの方にクニを移した。
それ以前から渡来人が上陸するようになり、クニ固めする措置もあってマツリゴトの中枢機関をヤマトに移したのだ。
渡来人の勢力が強くなりヤマトに渡来人が多く住むようになると、コトバにも影響するだろう。
東北地方と出雲に似たような音韻が残ったのはなぜか、山本健造氏の説をもとにひとつ想像してみた。
そのような渡来人が上陸、定住する前に生活していた人たちが、移動することなく外部からの流入も少ないため音韻が残ったのではないか。
そのうち、被差別扱いになり、そのまま隔絶されることになったのかもしれない。
スサノオはシラギからヨメを貰ったではないか、というかもしれないが、そのころはまだ親戚関係が成立していて、人数も習慣も圧倒的にヒダ族の方が優勢だったのかもしれない。
渡来系の権力志向型はみな中央に集まってくる。
このころの中央はヤマトである。
そうしたら、ヒダ族もズーズー弁を話していたということだろうか?
現在の飛騨地方のひとに聞いてみたら、ズーズー弁とは言わない。 しかし、その方が青森へ行ったとき音に違和感がなかった、と言っていた。
コトバは時代によって変化している。
現代でも「コトバが乱れた」とよく話題になる。
しかし、音韻は…音韻はそれほど変わらないのではないだろうか。■
写真拝借;http://d.hatena.ne.jp/los_endos/20110828/1315145760
それにしても、映画『砂の器」(1974)に出てきた日本の風景は、現代とだいぶ様変わりをしているのではないだろうか。
小道具も懐かしい。