皆様、おはようございます
桜水現実(オースイうつつ)です
昨夜の夢は
昔の着物を羽織ったら
丈がかなり短くて
あー、母に言って
丈をなおしてもらおうと思い
目がぱっちりと覚めました
亡き母は和裁洋裁のどちらも得意で
着物も洋服もデザインして
一から自分で作れる人だったので
とても頼りになりました
私は正反対で
中学の家庭科で
ミシンの使っていた時
制服のスカートを一緒に
縫ってしまったことがあります(笑)
なんとなく
寂しいような嬉しいような気持ちで
朝のコーヒーを飲んでいると
最近よく思い出す歌詞が
また蘇ってきました
大学の時に
杉山清貴とオメガトライブという
ミュージックバンドが流行っていて
その「リバーサイドホテル」という
歌の歌詞の中に
♪______________
君はもうおとななんだから~
_______________♪
という一節がありました
杉山清貴さんが
優しい声で歌うんです
歌詞の内容は
確かちょっと許されん恋みたいな
感じのことを
つらつら言ってたと思うんですが
もう忘れました
んで
その歌詞の内容はさておき
この一節が
なんだかずっと
心に残っているんです
☆
今年は私にしては
大きな決断をしたのですが
その時にこの一節が
心のなかで折に触れ流れました
例外なくどの時も
杉山清貴さんの声なんですが(笑)
君はもうおとななんだから、と
そして
今朝の夢から
はっと気づいたことがあります
私たちは
きっといつまでも子どもなんだ
誰かに何かを頼めば大丈夫
誰かがきっと助けてくれる
そう思っている、
思っていたい
子どもなんだ
_____________
私はもうおとななんだから
_____________
そう言うと
自由な気持ちもするけど
一縷(いちる)の寂しさが
ふと湧いてきて
心にさざ波を創り出すのです
この還暦近くなった
年齢でいても(笑)
まだ誰か絶対的に頼りになる人を
きっと探しているんだな
そう思うと
自分に「おいっ!もっとしっかりしろ」
なんて感じですが
実際そうだからしかたありません
そう思いながら
親って、本当に
いつまでも無理矢理に
その対象にされ続けて
案外かわいそうかも…
ふと思いました(笑)
親だってきっと
だってもうおとななんだからと
自分に言い聞かせ続けながら
家庭をもち
子どもの反抗に会い
配偶者とけんかしたりしながら
うまくいかない人生の荒波に
もまれながらも
日常をやっと生きていたに
違いないのにな…と
私たちは
なんて心細い存在なんだろうかと
自分で自分が
いじらしくなります
強い応援はもちろんですが
強い反対や抵抗にあおうが
無関心よりはずっといい
応援でも抵抗でも反対でも
自分がやろうとしている
不安なことには
何か「欲しい」のです
自分が元気づけられようが
動揺しようが
無表情よりは
ずっといいのです
☆
今、おとなとしての
法的年齢が変わりつつありますが
おとなって何歳からだろうって
思いますね
自分で自分の責任を
とれるようになる
それがおとなだったら
私はまだまだ子どもです
でも
自分で自分の選択を
できるようになる
それだったら
手すり棒から
少し手を離せて
やっとこわごわと
歩き始めたところかもしれません
同じような体験を共有しつつ
人生の励まし合える仲間に
いろいろ出会えたこともあって…
人生って
本当によく出来ていると思います
人によって場合は違うとは
思いますが
「手すり棒」だった両親は
ちゃんと先に逝ってしまい
「手すり棒」なしの人生が
遅かれ早かれ与えられて
最後はやっぱり
自分のなかの「手すり」を
しっかり探して握ることになる
また
横を見たら
同じようにこわごわ歩いている人と
励まし合えるようになる
言い換えると
もしかしたら
同じ手すり棒でも
今度握っていく棒は
自分軸というのかもしれません
自分だって
「手すり」が欲しいのに
私のためにそうあり続けてくれた
二人に心から感謝です
だからこそ
今度は私自身が
誰かの手すりになって
サポートできることがあれば
喜ぼうと思いました
夢のなかの
ちんちくりんの丈の着物は
少しは
成長した証なのかもしれません
でも着物を身について
鏡をのぞき込む私は
やっぱり
子どもの顔をしていました(笑)
姿はなくとも
やっぱりずっと
彼らは私の
もっと頼れる手すり棒です
U22
