皆様、おはようございます

 

アラン・コーエン認定

ホリスティックライフコーチ

桜水現実(オースイうつつ)です

 

明日は双子座の満月ですね

 

どたばたで申し訳ないのですが(汗)

昨日双子座新月遠隔ヒーリングの募集を

開始しました

 

昨日募集を始めて

明日の朝8時には締切になってしまうのですが

気になるなーと言う方は

どうぞ是非☆

 

☆☆

 

先日私の翻訳のお仕事についての

記事を掲載しましたが

アランさんのエッセイ記事も

たくさんの方に読んで頂いているようで

本当にありがとうございます

 

そこで少しボランティアについて書きました

 

今日はそれについて

最近感じていることを書こうと思います

 

皆さんは頼まれごとをされたことはありますか?

 

たぶん「ちょっとこれやって」的なものから

「興味あったらやってみない?」的なもの

「お願い!助けて!」的なものまで

 

何かを頼まれたことは多いかと思います

 

私も人生において

立ち上げスタッフと言うポジションを

3回経験しています

 

3回目が今のアランさん関連です

 

面白いことですが

私が頼まれることは

何故か苦手意識があるものです

 

人の前に出たり

何かのまとめをやって形にしたり

リーダーシップを発揮する

 

そういうことは

自分の性格には合わないと思っていましたし

今もそう思い続けています

 

もともと一人でもそもそと

楽しんでにやけて生きることが大好きなので

 

組織や集団生活とは程遠いところに

私は居ると思っているのです

 

パーティも好きではないし

ご飯も少人数が落ち着くし

部活やサークル活動では

輪を乱すんではないかといつもびくびく

 

中学校の時の修学旅行で

朝眠くて5分起きるのをしぶっていたら

あっと言う間に班長から怒られました

 

涙を浮かべんばかりに怒られた時は

なんてことをしてしまったのだろうと

思いましたが、何をしたかは

その時も今も良くわかっていません

 

ではなぜ私が頼まれごとを引き受けてきたか

 

その理由は一つです

 

断る勇気がない?

 

それもかつては少しありましたが

最近はかなりしっかり嫌なことは断ります

 

で、結局これかな、と思うのです

 

ご縁

 

そういう言葉がいつも心に浮かんだからかなと

 

何かのご縁で

私のところにやってきた頼まれごと

 

頼まれごとですから

もちろん(特に最初は)ほぼほぼボランティア

 

それもかなり

ハードなボランティアが多かったです

 

ですがボランティアと言う言葉の裏には

意外な人生のギフトがあると思います

 

頼まれると言うことは

 

私のある部分を

他者が認めてくれていると言うことです

 

そしてそのある部分とは

私が知らない私の部分だったりします

それを他者が見つけてくれているのです

 

この人になら頼める

 

そう思ってくれると言うことは

そこになんらかの特技や才能を

見出してくれているからとも言えます

 

そして特技や才能と言うものは

割と秘められていたりします

 

それも何故だか「苦手意識」と言う卵の中に

 

ボランティア(自発的)と言う

言葉の語源を調べてみたら

「自由意志」とか「喜びの精神」でした

 

苦手意識の中に

そういうものって案外あるのかもしれませんね

 

自分を自由にしてくれるもの

喜びを与えてくれるもの

 

それらは自分ではなかなか気が付きません

 

セッションでもよく

 

何をやりたいのかわからないんです

 

と言うクライアントさんに出会います

 

その時私はよくこう聞きます

 

人から同じようなことを繰り返し

頼まれることはありませんか?

 

他者はあなたのことをあなた自身より

ずっとよく見ているのかもしれません

 

そしてもっと思う事は

出会ったスピリット同士が話し合って

気づきのきっかけを

与え合ってくれている気がします

 

人生はスピリットによって牽引されます

 

あなたが気が付かないあなたの良さ

あなたが気が付かないあなたの才能

 

それらを教えてくれるために

他者を使ってあなたに頼んできている

 

そんなこともあるかもしれません

 

頼まれごとはだからこそ

馬鹿には出来ません

 

報酬の発生だけに気を取られていると

あなた自身のギフトを見逃すかもしれません

 

昔ある人に教えてもらいました

 

好きなことと言うのはその人の才能です

 

最初はいやいやながらでも

やっているうちに夢中になる

 

そういうものがもしあったら

それは苦手意識の卵に入った

あなたの才能に間違いないでしょう

 

私に関して言うと…

 

自分に何があるのかはまだわかりません

あるんだろうかとも正直思います

 

ただもしあるとすれば

 

たぶんやりだすとなんだかやたらと

細かく集中してしまうところかも

なんて思っています

 

短距離走みたいに

これだけ走れと言われると

結構本気を出せるシンプルさはあります

 

割と了見も狭いので

全体を見渡すのも忘れたりするので

隣の走者が居ることも気が付かなかったり

時間を間違えたりも多いのですが

 

それでも何と言うわけではなく

頼まれごとをやっている時には

 

心の底力みたいなものが

湧いてくる時があります

 

それは不思議なことに

自分の為だけにやる時にはない感覚です

 

自分の為だけだと

たぶん短距離でも途中で

お弁当を食べ始めてしまうかもしれません

 

集約すると

たぶんゴールして終わったときに

 

「ありがとう」と言われて

笑顔が見たいと思っているのかもしれません

 

でも頼まれごとをやっていくうちに

自分の出来ることが増えていくのは

確かではないでしょうか

 

知らない世界を

いつの間にか知っていくのも確かです

 

そう


何かを見つける可能性をあるという点では

 

頼まれごとは厄介事ではなく

 

頼まれごとには福があると

頼まれごとをすれば得になると

思った方が良いのです

 

 

うつつ