先日、ひょんなことから、ヒプノセラピーの体験を受けてきました。
ヒプノセラピーって、要するに催眠療法と言うものなんです。
私の場合は、遠い遠い昔にワイス博士と言う人が書いた前世療法と言う本を読んで
知っていたのだけれど、まさか、そのセラピーを出来る人が日本に居るとは思わなかったので、
びっくりしたのでした。
そう、この方のブログを読んで、びっくり!
でも、いろいろ調べたら、当時(20年程前)には少なかったヒプノセラピストも
かなり多くなってきたようで・・・
かくして私は、もしかしたら、催眠療法で布団か壺を買わされるかも、と言う、大変失礼な不安を胸に向かいました。
体験は、私を入れて5名様。
次々と入ってくる方を見て、実は気味悪がられそうで言えなかったけど、
どっかで会ったことあるかなぁ・・・って感じる人ばっかりだった。
最初は、セラピストの寿代さんこと、すみちゃんのヒプノセラピーに関する説明がたっぷり。
これによって、私は布団か壺と買わされるかも、と言う不安はなくなりました。
私の解釈で言うと、
ヒプノセラピーって、あくまで、療法。治療法の一つ。
身体の悪いところは、お薬を処方してもらったり、または悪いところを切除したり、そういうの出来ちゃう。
でも、心はそうはいかない。
心は人の心を覗き込んで、「あ~、ここ無理してるから、ほら、腫れてますね~」とか、
「ここんとこ、ちょっと切っておきますか?そしたら、楽になれるから」とか言えない。
前にも一度書いたことがあるけれど、良い記憶も悪い記憶も、化石みたいに埋まっている。
もう何も感じないようで、そこに在る。
在すると言うことは、地層の上に生きてる顕在意識にやっぱり影響していることなんだ。
何も感じないようで、意識の奥で疼き続けているものがある。
ヒプノは、顕在意識と潜在意識の膜(これをクリティカルファクターと言うらしい)を
パカっと開けてあげて、そこに自分で潜在意識にダイビングして、
潜在意識の中の疼いているその化石を取ってくる。
それで、それを磨いて綺麗にして、琥珀に変えてまた埋め込みに戻るって感じらしい。
ま、わかったようなわからないような私の説明は、ここまでにして、いざ体験!
セラピストの方の「はい。呼吸が楽~になってきたぁ」と言う声があり、
「頭の上から、光が下りてきた。どんな光かな?白?ピンク?黄色?」
などと言う問いに導かれて、潜在意識の中へ・・・
ちなみに、私の頭に浮かんだ光は、白でした。
本当は黄色を思い浮かべてやろう!と思っていたのに。ちっ!(笑)
んで、小さいころ楽しかったころの思い出に行きましょう・・・と言う声に導かれ、
行った先には、亡き父が居た。
幼稚園の時、家族で行った山登り。
父がすごく忙しかったで、後にも先にも家族全員で行った旅行は、あの山登りだけだ。
父は若くて、岩の上に腰かけて、帽子をかぶって水筒の水を飲んでいた。
当時は、ペットボトルなんて洒落たものはなかった。
「あ、お父さんだ」
と思った瞬間に、涙があふれてきて、悲しくもないし、特に嬉しいという感情もないのに、
涙が止まらなくなった。
それから、セラピストの寿ちゃんの声に導かれて、生まれたころのこととか、
母親のおなかの中とか・・・・
目を開けた時は、長い長い旅をしていたような感じだった。
夢と現実のはざまの、実と虚の間の、なんとも言えない場所に居た気がする。
私の記憶は、嘘かもしれない。
父は岩に腰かけてなかったかもしれない。
でも、記憶が嘘かどうかなんてどうでもいいのだと、セラピストさんに言われた。
その時、感じたこと、思ったことが、それならばそれでいい。
私にとっては、年老いてしまった父の顔のほうが鮮明に残っていたけれど、
ヒプノの旅を終えたとき、気が付いた。
父親と過ごした時間がもっともっと以前からあったこと。
父も若かったし、私も幼かったころからずっと一緒に居たこと。
そして、その時私は父を見上げるようなまなざしで見ていたこと。
これは、大きな大きな励ましだった。
遠かった過去が、身近に戻ってきて、励ましてくれる。
古い静止画だった過去が、ありありと躍動感をもってよみがえる。
また逆に言うと、例えば私がつらい経験を思い出しても、
その時の自分をきちんと納得させることで、過去をつらくなかったことに出来る(らしい)。
寿ちゃん曰く、「過去の事実は変えられない。でも過去のとらえ方はいつでも変えられる」
なるほっど~!と体験後ちょっと納得。
ヒプノセラピーは、やっぱり療法だと思う。
占いとかとは、目に見えないものを扱っている点は一緒だが、少し意味合いが違う。
もっと、自分で自分を治療するものだと思う。
自分に、「元気を出してほしい」と思ったら、その時がヒプノ日和なのかもしれない。
桜
「東京大神宮」にて・・・
