自分は感情をぶつけられることがとても苦手でトラウマになる
客観的な事実を話せばすんなり納得できる場面であっても
話した人間の感情が入ることによって意味不明になってしまう
事実に対してならどんな行動をとればいいのかわかりますけど
感情に対することは何をして良いのかわからなくなってしまう
感情が入ったことで拗れた関係がけっこうあるので嫌いな概念
国語の教科は感情では無く文章の中に根拠を見つけるものだし
感情移入するのは道徳的な思考の場面ではとなります
感情の無い業務連絡ラインとかが便利だなという使い方だけ
感情が無いのなら必要以上にケンカをすることも無いから
それだけ自分は嫌な感情に対して敏感なのかもしれない
相手の感情なんて理解できない場面の方が多いのだから
ぶつけた所で良い結果になるはずが無いというのはわかるはず
他人の感情と線引きしないと何を求めているのか理解できない
忙しくて断られたから他の人がいませんかなら探せますけど
この人嫌いだから他の人いませんかは自分に関係無いよって
そこは線引きしてくれないと良い結果が出るわけない
これが感情と事実を分けないと意味不明になるという理由
本当に無表情は怖いけど訳のわからない感情も嫌だわ
感情をぶつけられたらリセットボタンおしたくなるものという
長年かけてできた信頼関係が一瞬で終わるという怖いものです
一回壊れた信頼関係は元に戻せないものだしなんだかなって
歌は感情にささるものがあっても良いけどというのはある
それは嫌な感情というより心情描写という感情なのか
心情描写が無いのはさみしいから平気ではあるっていう
嫌な感情をぶつけるということが自分にとっては苦手なことです