アニメ『シュタインズゲート』
STEINS;GATE Blu-ray BOX/メディアファクトリー¥41,040Amazon.co.jp 夏休みは最高だ、一日中家にこもって現代の日本が生みだし続けている最高の文化の粋を一気見することが出来るのだから。 最近つくづく思う、現代の文化の粋は、少なくとも日本に関しては、小説、詩、ましてやドラマや、(実写の)映画の分野にはない。自分の狭い感傷に浸ることで満足する前時代的で回顧的な文化創造者達はまだそこにとどまっている。そしてアニメやマンガを商業的な作品だとバカにして、自分たちは文化的な「純文学」を書き、高尚な映画を撮っていると思い込んでいる。 文学の中心が、叙事詩から、劇、小説に移り変わったのと同じことが、今起こっている。日本の文学の中心は、アニメ化されることになる作品、つまりラノベ、マンガ、ゲームへと移っている。それらの大量の作品群のなかで相互引用、本歌取りが繰り返され、ここ十数年で爆発的に豊穣になっている。文化とは、高尚なものを生みだそうとして生まれるものではない、もっともっと、どろどろとしてバカらしくて、驚くほど熱っぽいところから生まれる。古いものが文化ではなく、古いものを壊したものが文化だ。 だから、現代日本の「物書き(笑)」は、一部の例外を除き、総じて野心がなく、そもそも創作すべき動機がない。書くべきものを持っている人は違う分野に流れ、一日一時間を争う競争を生きている。このアニメは厨二病からしか生まれず、そしてそのエネルギーが昇華されたときの凄まじさを見せつけたものだった。こういったものが、50年後、100年後に、世界中の大学の文学部で研究対象として大真面目に扱われるんだろう。だって、シュタゲは全くもって、単なる「娯楽作品」だからだ、バルザックや、ゾラや、モームと娯楽性の高さに関して言えば全くの同列で、抹香臭くないことや、自分が真性なる「純文学」を書いていないことに対していい訳をしない点などを加味するとより芸術性は高いといえるかもしれない。あるいは作品受容の容易さが、それを文学と呼ぶことを妨げるかもしれない、しかし現代において完全に死んでしまっている作品を読むことが難しく、今最もアクチュアルな問題を描く作品が受容しやすいということをもって、易しい作品の価値は低いなどと錯覚してはならない。それはただ単に自分の文化場から作中の文化場へと移ることの難しさを作品の難解さ、高尚さと混同してしまっているだけに過ぎない。それが必然的に0に近い作品が易しく感じるは当然で、これが数十年もすれば本文一ページに付き、2ページ以上の注が付き、みんなそれを難解だと思ってありがたがるのだ。(もちろんその逆はしかりではない) とはいえ、現代の大学でアニメを研究対象とするなどという二本学だか、なんだかいう奴らの存在は決して認められない。実作者、そしてそれに数倍するオタクたちがいる分野に2、3年の研究(笑)などで入り込もうというのだから、国立大学の文学部に入ってくるような人たちが中高時代にどっぷりと現代文化に浸かれたわけもない(あ、工学部とかなら別か)、そいつらが簡単そうとか、アニメが好き!とかいう理由でお勉強して作った論文など、実作の理解者がもともと数万人規模でいる分野では、納屋の押し入れの隅に巣食う蜘蛛のえさにしかならない。(キャラは鳳凰院凶真仕様です)