聖堂の出口へ
浮かぶ顔、仏の声・・・・。私は平成17年10月から警察に止められる平成18年2月5日まで100日余りの間に異常な出来事をいくつも体験した。逮捕直後からは激しい禁断症状に襲われ、観察独房に監禁され、2年間、生死の境をさまよった。
約100日間の異常、それは自然的なものだった。しかし約800日間の異常、それは極めて人間的だった。
・日に日に過熱する報道、一方で私の素性、病気、犯意、国籍までまったく誤ったまま続いた世間の騒ぎ。
・いっぽうで一寺にも電話や訪問さえしようと決してしない私選弁護士。届かないおわび状。
・切れないはずの糸、なぜか絶対死ねない2畳の空間。
・監禁半年後、突然始まった仏像ブーム。
「全て保険で補てんされたから安心しろ。」と警察に報告を受けていたのに、監禁8ヶ月目に突然独房に届いた法隆寺からの500万を超える三経院゛改修修理請求書。
・まるで家を売って、弁償するようにと言わんばかりに1年後、突然、自宅のある新宿を中心に発生した土地バブルとその終焉。
(国立公園、文化財などの損害を個人が何百万も補てんした例は先進国で前例がなかった。また勾留されている被告人に物損支払保険金の求償を保険会社がしたのも刑事事件上始めてだった。)
・地方裁判所で前例のない「再精神鑑定」。
鑑定後日。拘置所をわざわざ訪ねてきた鑑定医師。「執行猶予になるから、夏には東京に帰れるだろう。」と彼はわざわざ告げに来た。
そして裁判所に提出された鑑定書意見はまったく別のもの「有罪」報告書だった。
・一方、拘置所ではあいかわらず精神異常者が拘禁される保護観察独房のまま、うつを否定されたのに私は刑務所まで抗うつ剤を強制投薬され続けた。
・奈良の私選弁護士は示談すら「寺は私を馬鹿にされてる。絶対行かない。」なぜかかたくなに拒み続けた。そしてこれは出所してから知ったことなのだが、私の勾留中、東京から何人もの知人や友人がこの法律事務所を裁判所から聞き出し「どうやったら彼に面会できますか?」と問い合わせしたが、いつも「彼には事情があり面会はできません。」や「複雑な手続きがいりますが、あなたは覚悟はありますか。」などと脅され、みな諦めていたらしい。いつ電話をしても「先生は今、不在で折り返し掛けます。」ばかりで結局、面会を諦めていた友人もいた。そして誰もが考えた。「何か事情があるのだろう」と。彼は私を奈良にひとり完全に遮断した。彼は栽判2年目にそれまでの不作為が明らかになり、裁判所により解任された。
彼はいったい何者だったのだろう?
・検察官の面会。そして無駄となった異例の再求刑。奈良拘置支所始まって以来の長期拘禁記録。それは殺人犯でもやくざでもなくサラリーマンの私になった。
・保護独房拘禁で生死を彷徨いながら2年間で全てを失い、壮絶な死との格闘を続けた私は、半死半生のまま、大阪拘置所に収監され、是非もなく加古川刑務所に移送された。
そして刑務所で蘇生した。
以上のことはすべて真実である。
私はそれを最初、老齢な弁護士の異常性格によるものだと思った。しかしそれでも不思議だった。私から全てを奪っていった不作為の弁護士たち。2年2カ月で私を診察した医師は計10名にのぼったがすべて医師の診断は異なった。私は家まで売った。しかし法隆寺は検察官が説得するまで厳罰を求め続けた。
弁護士、医師、大寺院、マスコミ、世論、ひとりだけ何回も救おうと行動を続けた副検察官・・・・
刑務所で私を守ってくれた受刑者たち。
私を救うはずのものと罰するのものの立場が明らかに逆転していた。
裁判を支配していたのは・・佛!・・・・私はそう悟った。すべてがおかしな世界に陥っているわけを・・
すべてが逆転していたのだ・・・・・
ひとり検事がいくら釈放に向けて、審理を進行させようとしても仏の掌の中でその都度、止められた。私は2年間、保護観察房に閉じ込められ続けた。
高齢者のための新しい保険会社設立という私の長年の夢。私はそれを`善゛なる行為と思って突き進んだ。しかし仏の前には善も悪も一切ないのだ。それは人間ひとりひとりの煩悩=執着心がそう思わせているに過ぎない。取り巻くすべてのもの、家族・・・仕事・・・家・・・・私が守りたいすべてのものを完全に滅私するまで佛は私を独房に閉じ込め続けた。煩悩が消えるまで・・・・・・。土地バブル、そして仏像ブーム、それは私のために発生したわけではない。仏の奇跡とは自ら起きるものではなく、森羅万象の出来事を通じて、そこにひとりの人間の運命をはめ込むことにより創られるものなのだ。
3年間は仏が決めた時間だった。
滅私。
あの顔が現れ始めた 100日余りの続き・・・・・・あの色々な異常体験・・3カ月弱10日間の犯行・・・・長年月の監禁・・・・刑務所・・・
「明らかにあの林の中の聖堂から私はまだ出ていない。」私はやっと気づいた。
100日・・・・800日・・・・そして刑務所での約1年・・・・・
奈良 → 京都 → 大阪 → 兵庫 関西4府県 引き廻し
そして今、ようやく東京に戻った私はまだ聖堂から出たのかどうか確信がもてていない。私は今、命以外のすべてを失っている。仏が望むのは命なのだろうか。・・・いや違う・・・私は死さえ何度も、強引に止められた。今、私は何も聞こえない。何も見えない。死のうとも思わない。いや 私が帰ってきたのは本当に同じ世界なのだろうか?`今年既に14,000人自殺過去最悪ペース`と電車の中、吊革の雑誌広告。日本は経済大国で平和な民主国家のはずなのに年間3万人以上の国民が自殺している。国連平均の倍、先進諸国ではダントツに高い。心療内科やメンタルクリニックの待合室には無表情の人が一層あふれている。3年の間にホームと線路の間に柵が大幅に増えた。精神科は患者であふれ、大麻や薬物は静かに広がっている。スポーツ、芸能界だけでない。
「え~乗客の皆様にご案内申し上げます。~で人身事故か発生した影響で~お急ぎのところ誠に~」
東京に戻ってからこの2カ月で何回人身事故でこの山手線は止まっているのだろう?それを伝える抑揚のない車内アナウンス。それを聞いても顔色ひとつ変えない無表情の大勢の乗客。これがこの国民?。私がいた国?アナウンスが終わるとチラッと携帯を取り出し、数秒何か打ち送信するとふたたび元の無表情にもどる。遅刻する理由でもメールをしているのだろうか?無言の死が経済大国の中枢部のスケジュールを少しずつ遅らしている。線路のさびのように。刑務所の方がある意味、生き生きしていた。戦後の日本、みんなが同じ目的を持っていた。刑務所は「早く出たい。」とか「懲罰を受けたくない。」とかある意味、目的意識が共通していた。外が内で内が外?だったのか。聖林寺の十一面観音像は私が懺悔で自殺未遂した晩。夢枕で私に語りかけた「人や物を拠り所にしている間は真の仏法は広まらない。」「一時的な仏体の喪失感により無我となり信者もまた救われるでしょう。」と。私はその言葉に堕ちた。あれは本当に仏の言葉だったのだろうか。私が出てきた世界は逆になっていた。寺=仏像巡礼のような風潮になり、本来、教会のようにこの国に広がるうつや薬物蔓延など迷える者に対する地域の人々の救援者であるべき寺社はその役割を担っているのだろうか。刑務所のTVで見た派遣村の報道にも寺社の動きを伝えるものはなかった。私は寺社に本来の役割を忘れさせてしまう大罪を犯してしまったのではないだろうか。救える人たちが私の行為のせいで救われなかったのではないのだろうか。私は生まれてすぐ死にかけ、生を与えられ、息ができる日は懸命にお寺に巡礼し、絵を描き続けた。そして社会人になると土日も正月も夏休みもほとんど取らず、新しい仕事を創ろうとし働き続けた。規制緩和で保険会社を目指した。そして狂った。事件を起した。私はいったい何のために生まれてきたのだろう。今、私はまた生きる意味を考えはじめた。それが人間。それが私なのだ。そこからは逃れられないのだ。
ネロが眠ったように聖堂のかいろうの奥にたどり着き、ルーベンスの絵を見たとき私はやっと楽になれるのだろう。
約100日間の異常、それは自然的なものだった。しかし約800日間の異常、それは極めて人間的だった。
・日に日に過熱する報道、一方で私の素性、病気、犯意、国籍までまったく誤ったまま続いた世間の騒ぎ。
・いっぽうで一寺にも電話や訪問さえしようと決してしない私選弁護士。届かないおわび状。
・切れないはずの糸、なぜか絶対死ねない2畳の空間。
・監禁半年後、突然始まった仏像ブーム。
「全て保険で補てんされたから安心しろ。」と警察に報告を受けていたのに、監禁8ヶ月目に突然独房に届いた法隆寺からの500万を超える三経院゛改修修理請求書。
・まるで家を売って、弁償するようにと言わんばかりに1年後、突然、自宅のある新宿を中心に発生した土地バブルとその終焉。
(国立公園、文化財などの損害を個人が何百万も補てんした例は先進国で前例がなかった。また勾留されている被告人に物損支払保険金の求償を保険会社がしたのも刑事事件上始めてだった。)
・地方裁判所で前例のない「再精神鑑定」。
鑑定後日。拘置所をわざわざ訪ねてきた鑑定医師。「執行猶予になるから、夏には東京に帰れるだろう。」と彼はわざわざ告げに来た。
そして裁判所に提出された鑑定書意見はまったく別のもの「有罪」報告書だった。
・一方、拘置所ではあいかわらず精神異常者が拘禁される保護観察独房のまま、うつを否定されたのに私は刑務所まで抗うつ剤を強制投薬され続けた。
・奈良の私選弁護士は示談すら「寺は私を馬鹿にされてる。絶対行かない。」なぜかかたくなに拒み続けた。そしてこれは出所してから知ったことなのだが、私の勾留中、東京から何人もの知人や友人がこの法律事務所を裁判所から聞き出し「どうやったら彼に面会できますか?」と問い合わせしたが、いつも「彼には事情があり面会はできません。」や「複雑な手続きがいりますが、あなたは覚悟はありますか。」などと脅され、みな諦めていたらしい。いつ電話をしても「先生は今、不在で折り返し掛けます。」ばかりで結局、面会を諦めていた友人もいた。そして誰もが考えた。「何か事情があるのだろう」と。彼は私を奈良にひとり完全に遮断した。彼は栽判2年目にそれまでの不作為が明らかになり、裁判所により解任された。
彼はいったい何者だったのだろう?
・検察官の面会。そして無駄となった異例の再求刑。奈良拘置支所始まって以来の長期拘禁記録。それは殺人犯でもやくざでもなくサラリーマンの私になった。
・保護独房拘禁で生死を彷徨いながら2年間で全てを失い、壮絶な死との格闘を続けた私は、半死半生のまま、大阪拘置所に収監され、是非もなく加古川刑務所に移送された。
そして刑務所で蘇生した。
以上のことはすべて真実である。
私はそれを最初、老齢な弁護士の異常性格によるものだと思った。しかしそれでも不思議だった。私から全てを奪っていった不作為の弁護士たち。2年2カ月で私を診察した医師は計10名にのぼったがすべて医師の診断は異なった。私は家まで売った。しかし法隆寺は検察官が説得するまで厳罰を求め続けた。
弁護士、医師、大寺院、マスコミ、世論、ひとりだけ何回も救おうと行動を続けた副検察官・・・・
刑務所で私を守ってくれた受刑者たち。
私を救うはずのものと罰するのものの立場が明らかに逆転していた。
裁判を支配していたのは・・佛!・・・・私はそう悟った。すべてがおかしな世界に陥っているわけを・・
すべてが逆転していたのだ・・・・・
ひとり検事がいくら釈放に向けて、審理を進行させようとしても仏の掌の中でその都度、止められた。私は2年間、保護観察房に閉じ込められ続けた。
高齢者のための新しい保険会社設立という私の長年の夢。私はそれを`善゛なる行為と思って突き進んだ。しかし仏の前には善も悪も一切ないのだ。それは人間ひとりひとりの煩悩=執着心がそう思わせているに過ぎない。取り巻くすべてのもの、家族・・・仕事・・・家・・・・私が守りたいすべてのものを完全に滅私するまで佛は私を独房に閉じ込め続けた。煩悩が消えるまで・・・・・・。土地バブル、そして仏像ブーム、それは私のために発生したわけではない。仏の奇跡とは自ら起きるものではなく、森羅万象の出来事を通じて、そこにひとりの人間の運命をはめ込むことにより創られるものなのだ。3年間は仏が決めた時間だった。
滅私。
あの顔が現れ始めた 100日余りの続き・・・・・・あの色々な異常体験・・3カ月弱10日間の犯行・・・・長年月の監禁・・・・刑務所・・・
「明らかにあの林の中の聖堂から私はまだ出ていない。」私はやっと気づいた。
100日・・・・800日・・・・そして刑務所での約1年・・・・・
奈良 → 京都 → 大阪 → 兵庫 関西4府県 引き廻し
そして今、ようやく東京に戻った私はまだ聖堂から出たのかどうか確信がもてていない。私は今、命以外のすべてを失っている。仏が望むのは命なのだろうか。・・・いや違う・・・私は死さえ何度も、強引に止められた。今、私は何も聞こえない。何も見えない。死のうとも思わない。いや 私が帰ってきたのは本当に同じ世界なのだろうか?`今年既に14,000人自殺過去最悪ペース`と電車の中、吊革の雑誌広告。日本は経済大国で平和な民主国家のはずなのに年間3万人以上の国民が自殺している。国連平均の倍、先進諸国ではダントツに高い。心療内科やメンタルクリニックの待合室には無表情の人が一層あふれている。3年の間にホームと線路の間に柵が大幅に増えた。精神科は患者であふれ、大麻や薬物は静かに広がっている。スポーツ、芸能界だけでない。
「え~乗客の皆様にご案内申し上げます。~で人身事故か発生した影響で~お急ぎのところ誠に~」
東京に戻ってからこの2カ月で何回人身事故でこの山手線は止まっているのだろう?それを伝える抑揚のない車内アナウンス。それを聞いても顔色ひとつ変えない無表情の大勢の乗客。これがこの国民?。私がいた国?アナウンスが終わるとチラッと携帯を取り出し、数秒何か打ち送信するとふたたび元の無表情にもどる。遅刻する理由でもメールをしているのだろうか?無言の死が経済大国の中枢部のスケジュールを少しずつ遅らしている。線路のさびのように。刑務所の方がある意味、生き生きしていた。戦後の日本、みんなが同じ目的を持っていた。刑務所は「早く出たい。」とか「懲罰を受けたくない。」とかある意味、目的意識が共通していた。外が内で内が外?だったのか。聖林寺の十一面観音像は私が懺悔で自殺未遂した晩。夢枕で私に語りかけた「人や物を拠り所にしている間は真の仏法は広まらない。」「一時的な仏体の喪失感により無我となり信者もまた救われるでしょう。」と。私はその言葉に堕ちた。あれは本当に仏の言葉だったのだろうか。私が出てきた世界は逆になっていた。寺=仏像巡礼のような風潮になり、本来、教会のようにこの国に広がるうつや薬物蔓延など迷える者に対する地域の人々の救援者であるべき寺社はその役割を担っているのだろうか。刑務所のTVで見た派遣村の報道にも寺社の動きを伝えるものはなかった。私は寺社に本来の役割を忘れさせてしまう大罪を犯してしまったのではないだろうか。救える人たちが私の行為のせいで救われなかったのではないのだろうか。私は生まれてすぐ死にかけ、生を与えられ、息ができる日は懸命にお寺に巡礼し、絵を描き続けた。そして社会人になると土日も正月も夏休みもほとんど取らず、新しい仕事を創ろうとし働き続けた。規制緩和で保険会社を目指した。そして狂った。事件を起した。私はいったい何のために生まれてきたのだろう。今、私はまた生きる意味を考えはじめた。それが人間。それが私なのだ。そこからは逃れられないのだ。
ネロが眠ったように聖堂のかいろうの奥にたどり着き、ルーベンスの絵を見たとき私はやっと楽になれるのだろう。
