前職時代に

とてもお世話になった

大好きな先輩

Oさんが亡くなりました。

 

昨年夏にがんが見つかり

その時点で

他臓器への転移もあって

ステージ4の診断。

 

先輩の入院先は

コロナ感染拡大防止のため

家族以外のお見舞いは不可。

 

一度も直接会うことは叶わずに

2か月ほど前に

LINEでやりとりしたのが

最後になってしまいました。

 

 

退院の報告を受けたあとも

心身ともに

すごく状態が悪そうで。

連絡は負担になるかと思い

心配しつつも、

メッセージを送るのを

控えてしまっていました。

 

その気遣いは正解だったのか。

最期にもっと、

あと一言でも二言でも

言葉を交わせなかったのか。

たとえ一方的であっても、

もっと声をかけて

よかったんじゃないか。

詮なくも

ぐるぐる考えてしまいます。

 

ジョギングの際に

ご近所の神社で

「Oさんが元気になりますように

 また、Oさんと呑めますように」

と、願掛けする日々でしたが

その願いは届きませんでした。

 

 

この週末、

先日録画していた

NHKスペシャル

『Last Days 坂本龍一 最期の日々』

を観ました。

 

昨年、2023年3月28日に

がんで逝去した

坂本龍一氏の最晩年を

静かに追ったドキュメンタリー。

 

闘病の日々を記録した

日記や写真・動画と、

同時期に応じたインタビューの

音声を軸にした構成でした。

 

闘病生活の苦悩

治療への葛藤

生きること、死ぬことへの

赤裸々な本音

そして、死生観

 

それらが、

Oさんの最期とオーバーラップして

泣けてきました。

 

番組中で公開された

インタビューの肉声記録で、

「ペットボトルのふたが開かないぐらい

筋力が弱まっちゃった」

という談話のあとに

以下のような言葉が続きます。

「筋力が弱まると

 主体性まで弱まっちゃう」

 

以前、Oさんも

まさに同じことを語っていて

命の終焉の空気を

肌で感じるような思いがしました。

 

ビールを片手に視聴。

Oさんと〝教授〟に献杯。

 

  *  *  * 

 

番組を見ている間、

下村敦史の小説

『闇に香る嘘』の一説が

ずっと思い浮かんでいました。

 

人生は固定された大きな砂時計だ。

砂が残り少なくなってきても、

引っくり返せない。

私には後悔がないだろうか。

愛すべき人を愛し、

支えるべき人を支えてこれただろうか。

私には砂がどれだけ残されているだろう。

 

わたしも、病気をして以来

「自分はどう死ぬのだろうか?」

ということが

常に頭にあります。

 

人はいつか死ぬ

自分もいつか必ず死ぬ

 

誰にもかならず訪れる

人生の終わり、

それを強烈に意識した

ここ数日でした。

 

   *   *   *

 

追記:

NHKスペシャル『Last Days 坂本龍一 最後の日々』

番組の覚え書きをまとめました。